弟の可愛い反抗期

*ホップ視点
*本編の数年後




 姉ちゃんが帰ってきた。居を構える大都会シュートから、ど田舎のハロンに。原因は同棲中の恋人と喧嘩をしたから。
 だからってなんでその原因である恋人の実家にわざわざ来て、ウジウジとしているのか。

 家主の居ないチョロネコのベッドに向かって三角座りをしている背中を見つめる。この光景は今日で三日目になった。
 お気に入りの寝床を譲ってやったのだと家主であるチョロネコは、ソファに座るオレの隣で優雅に毛繕いをしている。

「姉ちゃん」
「……」

 返ってくる無言に思わず大きなため息が出る。その音に肩をビクつかせる姉ちゃんは、それでも何も動かない、語らない。

 どうしたものかと背もたれに身体をあずける。先週までの研究の長い修羅場をやっと乗り越え、今週は久々にゆっくりできると思っていたのに。
 一つ問題が解決すると、また一つ何か問題が起こる。

 直接的にオレは関係ないのだから、とは思うものの、やはり長年の付き合いというか。
 この状態が姉ちゃんにとっても、オレにとっても良くないことは分かる。分かるからこそ面倒くさい。いい大人なんだから、さっさと自分たちで解決してほしいというのが本音だ。

 ゆっくり鼻から深呼吸をしたところで、オレのスマホロトムが着信を告げる。画面に表示されている名前は。

「アニキだ」

 オレの声に反応するように、ガタっと大きな音。ちらと目を向けると、足がもつれて起き上がれないのか、四つん這いでリビングを出ていくなんとも情けない後ろ姿。
 それから視線を外し、階段を上がる音を聞きながら通話ボタンをタップする。

「もしもし」
『ああ、ホップか?』

 オレのスマホなんだからホップ以外が出ることは早々ないだろう、というのは飲み込み、いつもより幾分かだけ低く、緊張が混ざる声に答える。

「どうかしたのか?」
『いや、久々に声が聞きたくなってな』
「なんかじいさんくさいぞ」
『なっ……!?』

 ビデオが繋がっていないのをいいことに、ニヤニヤと口角が上がってしまう。珍しく余裕がないアニキ、おもしろいぞ。

「で?本題は?」
『……兄が弟に電話をするのはそんなに、』
「あーもう、そういうのはいいんだぞ!姉ちゃんだろ?」
『……いや、その』
「なんだ、違うのか!オレ勘違いしちゃったぞ」
『いや!あってるぜ!その……ナナシのことだ』
「うん」

 あ、そうだと閃く。アニキはどんな反応をするのか。

「姉ちゃんはもうハロンに居ないぞ」
『は?』
「『ダンデくんなんか忘れてやる!』って飛び出して行ったぞ!昨日な!」
『……』

 さあ、どんな反応が返ってくるのか。慌てふためく?怒り出す?それとも、諦める?
 チャンピオンの頃よりも身近に感じるようになったアニキへの好奇心が止まらない。やっぱりオレ、研究者に向いているのかも。

 しかし待てども待てども返事はない。もしもし、と繋がっているか確認しようとしたところで『ホップ』、と低い声。
 あ、やばいかも。

『ホップ、嘘をつくのはよくないな』
「う、嘘?なんでそう」
『オマエは嘘をつくときいつも以上に声がデカくなる』
「そ、そんなことは……」
『母さんかナナシに聞いてみることだ』
「……。姉ちゃんは今二階に居るよ」
『そうか』

 少しだけ安心した声色になり、諦めがつく。アニキにはまだまだ敵わないなあ。顔も見られていないのに。

 「毎日ウジウジして家の一角がカビそうだ」と伝えると、少しは反省しているような、それでも嬉しさが隠せないような、曖昧な『うん』だけが返ってきた。


****


「……ダンデくん、なんか言ってた?」

 アニキとの電話が終わってすっかり経った頃、リビングの入り口から姉ちゃんが顔を覗かせる。流行りのポケチューバーの動画を見ていたが、そんなこともあったなとついさっきのことを思い出す。

「アニキ、怒ってたぞ」
「……、」
「もう暫くは頭を冷やして来いって」

 静かに、静かに。声が大きくならないように。
 出来るだけ真面目なトーンになるようにしたからか、姉ちゃんは疑ってはいなさそうだ。

 にししと笑いそうになるのを必死に堪え、顔に力を入れる。途端に暗い面持ちの完成だ。

「……んで」
「え?」
「……なんでよ、なんで怒ってるのよ。悪いのはっ」
「オレだな」
「!」
「あ、アニキ……!?」

 泣きそうに声を震わせていた姉ちゃんを後ろから抱き込むように現れたのは、ここにいる筈のないアニキで。
 あれ、マズくないか?これ。

「な、なんで、ダンデくん、なんで」
「帰ろう、ナナシ。オレが悪かったんだ」
「う、そうだよ。全部、全部ダンデくんが」
「ああ。すまない、ナナシ」

 まるでドラマのワンシーンですかというくらいの熱量で抱きしめ合う二人を見つめる。
 そんなアツアツな二人を刺激しないよう、ゆっくりと足音を立てないように部屋の奥へ移動する。くそ、入り口に二人がいるせいで出られない。

「ホップ」
「ヒッ、な、なんだ?アニキ!」
「ナナシが迷惑をかけたな。帰るよ」
「ありがとね、ホップくん」
「あ、ああ!も〜喧嘩はやめろよな!」
「ホップ」

 ひくっと喉が詰まる感覚。あ、ヤバい。アニキ、結構、怒ってるかも。

「またシュートに遊びに来てくれ!マサルも会いたがっているぜ」
「そ、そうだな〜!また機会があれば……」
「オレも」
「……」
「タワーで待っている。勝ち上がって来い」
「……、……善処します」

 オレの返答ににっこり笑ったアニキは、キッチンに居た母さんたちに声をかけるとそのまま家を出て行った。

 シーンと静まり返ったリビングの床に、へにゃりと座り込む。

「こ、こえ〜〜〜……」

 小さい頃はよく怒られた記憶はあるが、こんな怒り方ではなかった。もっと、それこそ躾けの一環のような。こんな、静かに怒りをぶつけてくる感じでは、決してなかった。

 子供扱いではなくなったということに喜んでいいのか。いや、そもそも子供みたいに嘘をついて怒らせたことを反省すべきなのだろうが。

 ──弟の可愛い反抗期くらい多めに見てくれよ!

 ザリザリと腕を舐めてくるチョロネコを撫でながら、しばらくはシュートに足を踏み入れられないと覚悟を決めた。




2023/08/10




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