勘違いする話
――あれ、あの人。
歩いていた足が思わず止まる。すぐ商品棚の向こうに隠れてしまったが、チラッと見えたその後ろ姿は、記憶の中に強く残る印象と変わりがなかった。
体格やシルエットが、大きくはなっていた。それ以外は本当に、驚くほど、同じだったのだ。
名古屋の中でも大きなショッピングモール。目的もなく歩き回っていた私は、もう一度彼の姿を確認しようと普段踏み入れることもないスポーツ店の中へ入った。
そういえば、彼はいつの間にかスケート選手になり、いつの間にかその世界から姿を消していた。名古屋からも。風の噂では横浜に居ると聞いていたのだが。
そんな彼がここに居るということは、彼は名古屋に戻ってきて、そしてまだスポーツをやっているのだろう。
なんのスポーツかと考えた時、彼が大きな大会で、素人目で見ても取り返しがつかないと分かるくらい激しく転倒していた姿がフラッシュバックする。……スケートでは無さそうか。
本当に彼だったとして、私はどうしたいのか。声をかけたい?でもどうせ日和ってそんな勇気は出ないでしょう。話しかけられたい?彼が私を覚えている保証なんてどこにも無いでしょう。だったら?
拉致のあかない自問自答を繰り返し、それでもゆっくりと歩みは進む。心臓がバクバクと跳ね、痛みすら感じ始めた。緊張か、興奮か。
やがて棚の向こうに感じる気配。誰かが話している。彼と、女の子、だろうか。
彼の低く優しい声色に懐かしさを覚えながら、内容を聞き取ろうとする。が、棚の向こうということもあり、あまり聞き取れない。
こうなったら、と自制の効かなくなった足は勝手に動きだす。
今居る棚の端まで移動し、深呼吸。彼らの居る通路を通り過ぎるふりをして横目で見るだけだ。ただし、何度も行き来はできない。怪しまれてはいけない。
ヨシ、と再び動き出した時。
最初から居たのであろうか。彼と女の子、そしてもう一人の声がした。それは大人の女性のもので。
一般客のフリをしながら横目で見た光景は、大人の男女と子供という、なんともありふれた幸せの象徴だった。
逃げるように店の端まで早歩きで進み、邪魔にならない位置で止まる。心臓がずっと痛い。強く動揺しているのを自覚する。
彼は――明浦路司は、もう結婚して、さらには子供が居るのだ。
私たちの年齢を考えると何もおかしなことではない。小学生くらいの女の子だった。
相手は綺麗な女の人。歳上だろうか。何処かで見たことがあるようなと頭の中の引き出しを開け回り、気づく。
あの人は、明浦路くんが一緒にスケートをしていた人だ。明浦路くんが、選んだ人。高峰さん、だっただろうか。
そっか、と足の力が抜け、思わずその場にしゃがみ込む。
女の子の年齢を考えると、おそらく二十歳あたりには産まれていたのだろう。ちょうどスケートもやっていた頃と重なり、ますますそうとしか思えなくなる。
子供を産んだ後にもスケート選手で居た高峰さん。彼によく似合う、強く逞しい女性。そんなの、叶いっこないじゃないか。
敗北どころか足元にも及んでいないと分かりながらも、それでもこんなに悲しいのは。私と別れて二年以内の出来事へのショックと、私はいまだに未練タラタラで生きていたのが思ったより応えてしまっただけだ。
あまりの情けなさに涙が滲んできたもので、お手洗いへ向かおうと立ち上がろうとした時。
誰かが慌てたように話しかけてきた。
「あの!ずっと座り込んでますが大丈夫ですか……って、あ、ナナシ、ちゃん?」
「……あ」
突然の出来事に頭が追いつかず、思わず見開いた目から涙がポロリと溢れる。
明浦路くんだ。明浦路くんが、話しかけてきた。優しい彼は、私のことも、覚えていてくれて。
「うわあ!大丈夫?とにかく休めるところに行こう」
「ぅえ、ちょっと」
呆然としていたら突然身体が宙に浮かび、懐かしい香りと熱がぐっと近付く。
何が起こっているのか理解が追いつかない。持ち上げられているのか。誰に。明浦路くんに。横抱きで。相変わらず高い体温。
そういえば、昔もこんなことがあった。体育の時間に貧血を起こした私を、明浦路くんが同じようにして運んでくれたのだ。それまではクラスメイトという関わりしかなかったのに。
確かそれがきっかけで、話すようになって。
チラリと明浦路くんを見上げる。前を強く見据えるその目が、大好きだったなって。やっぱり今でも好きだなって。
でも、もうこの気持ちには蓋をしなきゃいけないんだ。彼には奥さんと子供がいるのだから。
これが最後だから、と肩に擦り寄ると、私を支える彼の手に少し力が入った気がした。
****
「大丈夫?」
「……うん、もう平気」
良かったと笑うのを見て、思わずこちらの頬も緩む。太陽のような、大好きな笑顔。本当に変わっていない。
私を隅のベンチに座らせてから、明浦路くんが買ってきてくれたスポーツドリンクのペットボトル。それへ視線を落とし、手で弄びながら、どうして彼はここから離れないんだろうと考える。
付き合ったことがあるとはいえ、私たちは高校卒業以降の親交はなかった、謂わばただの旧友だ。お互い連絡も取らなかったし、取ろうともしなかった。……いや、私は何度も彼とのトーク画面に文字を打ち込み消すのを繰り返していた、が正しいけれど。
あまりにも気持ちのベクトルが、私と彼では違いすぎて笑えてくる。
「大丈夫そうだね、よかった」
「何度も言ってるじゃん」
「でもナナシちゃんは誤魔化すのが上手いからさ」
「……そんなことないよ」
そんなことあったら、私は今、あなたの妻になって、あなたとの間に可愛い女の子を産んでいたよ。そう言いたいのを全部飲み込む。
嫌な女だ。
まだまだ居座るつもりであろう明浦路くんになんだか吹っ切れた私は、誰かに引き離されるまで堪能してやろうかなと企む。
「明浦路くん。そういえば、よく私のこと分かったね」
「当たり前だろ!」
大きな声に身体がビクッと跳ねる。発した本人も思ってた以上の声量だったのか、焦って周りの視線を気にしていた。
「相変わらず声が大きいんだね」
「……あ、はは。とにかく、俺が見間違えるわけないでしょ」
「なんで?」
「なんでって言われてもな」
彼の中の私は、それこそ高校生の私で終わっているはず。
あの頃の若さはもう無いのだ。十年近くが経とうとしている。制服は遠い存在になったし、あの頃はしていなかったメイクだって、生きていく上で義務になった。
それでも気づかれてしまうだなんて。
「私って、そんなに変わってないのかな」
「そんな事ない」
あの頃よりも分厚く大きくなった手が、それでも繊細な動きで私の頬に触れる。彼の温かな体温を感じながら、どうして彼は私に触れているのかと不思議に思う。
離させようと彼の手に触れた時、その手はそのまま私の頬を包んだ。
「……明浦路、くん?」
「ねえ、ナナシちゃん。俺は」
「司くーん!やっと見つけた!」
「ハ、ハイ!!」
瞬時に離れていく手になんだかガッカリしながらも、ホッとする。
あのままでは彼は悪者になっていた。彼は善人であるべきだ。
近づいてきた高峰さん――彼女も現在は明浦路なのだろうが、私の心の平穏のため旧姓で呼ばせていただく――と明浦路くんが話していると、女の子がじっとこちらを見ているのに気づく。
女の子が一歩近づいてきたのに会釈をして、立ち上がった。
「明浦路くん、ありがとう」
「え、ナナシちゃん?」
「奥さまも、明浦路くんをお借りしてすいません。あなたもね」
「……へ、オクサマ?私……!?」
「ナナシちゃん!?」
では、と逃げ出すように一礼し、颯爽とモールの外に出る。
幸いにも入り口近くのベンチに座らせていてくれたので、簡単にあの場から逃げ出すことができた。
駅に向かって駆けながら、すっきりとした青空を見上げる。こういう時って、天気は気持ちに反映するんじゃないのか。
あーあ。大失恋だよ。まだまだ引きずりそうだ。
ちょうどタイミングよくホームに入ってきた電車に乗りながらため息をつく。眩しく輝く太陽を見つめるだけで、明浦路くんを思い出すのだ。救いようがない。
立ち直るにはかなりの時間が掛かるだろう。未練がましい女でごめんなさい、明浦路くん。
この後、家にたどり着いてすぐにふて寝をした私は、明浦路くんからの大量のメッセージと怒涛の着信履歴を寝起きから確認させられることになるのだった。
司くんは高校卒業あたりかなり不安定だったんじゃないかな〜て思いから自然消滅しちゃった二人イメージ
中高一緒で中三くらいから高校卒業まで付き合ってた
この後司くんは必死に誤解を解こうとするし夢主が納得してからも連絡は取るようになる
それこそおはようからおやすみまで たまに連絡忘れることあるけど夢主からは何も来てなくてしょぼんとなる
スケートできるようになってからちょっと落ち着いて夢主に連絡しようとするけど間が空きすぎて何送ったらいいか分かんないから文字打っては消して通話ボタン押そうとしてはやめてを繰り返してた(お前もか)
結果的には本格的にスケート選手になって必死だったからまた他のことは何も考えられない状態になってたから下手に連絡取らなくて正解だった 二回も放置されるのは……ね……
スポーツ店でも夢主が通り過ぎたの気付いてたし(でも一瞬だったから自信はなかった)、座り込んで動かなくなるから心配で声かけた もしかしたら夢主かもってなったのもあるけど
司→ナナシちゃん呼びなのは距離縮めたいけど難しくてできなかった名残 そのうち呼び捨てにして顔真っ赤にする