Roses are red
カントー地方に居た頃はこの時期といったらどのお菓子を手作りするだとか、誰に渡すだとか、誰が本命だとか。とにかくチョコレートの甘い香りと一緒に皆がソワソワしていた。
私はその雰囲気が好きでも嫌いでも無かったが、義理チョコとして配ったり交換したりするのは正直とても面倒だった。
親の都合でガラル地方来てからは、恋人同士がメインという事もあり私には特に関係が無いイベントに。便乗してバレンタイン限定の可愛いパッケージのお菓子やワイン、偶に化粧品などを買うくらいだった。
そう、『だった』なのだ。
週末関係無くシフト制の職場で働く私は、例え世間の恋人たちがバレンタインデーを楽しんでいようとそんなのは関係無い。
眠くて放っておくと引っ付いてしまいそうになる瞼をなんとかこじ開けながら今日も家を出た。いつもと違ったのは、つい郵便物を溜めがちな私が珍しいことに、朝からポストを確認した事。
しぶとく送られて来るダイレクトメールや近所のお店のテイクアウトのチラシが数枚。その上にちょこんと乗っている赤地に白いハートがあしらわれた二つ折りの可愛らしいカード。
最近街中で見かけるそれとよく似た雰囲気のカードは、紛れもなく私には無縁の筈のバレンタインカードだった。
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仕事終わり、バスに揺られながらカードを見る。周りからは見えないようにバッグの中でこっそりと。
何度確認しても、やっぱりどう見ても、それはバレンタインカードで間違いなく。開くと中には筆圧の強い文字で書かれた定番の薔薇の詩。差出人の名前は無く、締めは『Be my Valentine』。
勿論私にはそんな相手は居ないし、なる予定の人も居ない。ならば一体誰がと頭を抱えるも考えても分かる筈が無い。告白してくるなら花束でも持って直接来いよと一人毒づきながらバスを降り、家へ向かう。
マンションのエントランスを潜りポストには目をやらずそのままエレベーターで上がる。すると、私の部屋の前に誰かが立っているのが見えた。
紫色の長い髪と臙脂色の尻尾が二本生えた重厚そうな服を身に纏っているその人は。
「……ダンデさん?」
「ああ!お帰り。今日も仕事だったんだな」
「はあ……」
ガラルに住んでいるなら知らない人は居ないであろうこの人物は、驚くことに私と顔見知りである。
以前彼の弟くんがフィールドワーク中に滞在する為、私の部屋の真上の部屋をマンスリーマンションとして借りていた事があった。その際に何度も間違えて私の部屋を訪ねてきたダンデさんを案内したという訳である。
でも弟くんはもうとっくに滞在を終えているし、こうしてダンデさんと会うこと自体久し振りだ。
「どうされたんですか?もう弟さんはこちらには」
「今回は間違えた訳じゃないぜ!キミに用があるんだ」
何故私に用があるのだろうかと考えていると目の前が真っ赤な花で埋め尽くされる。これは、薔薇?
「『Roses are red, Violets are blue, Sugar is sweet, And so are you.』」
ハッとする。私が今日一日悩まされたカードに書かれていた詩を歌う様に紡がれた。花束を少し下げ楽しそうな顔をしたダンデさんが顔を覗かせたと思うと跪かれ左手を取られる。
「Be my Valentine」
「え」
左手の薬指にちゅ、と音を立てキスをされる。満足そうに立ち上がったダンデさんに花束を持つよう促されたので慌てて受け取る。持つというか抱え込むという方が正しいかもしれない大きさだ。
「オレの気持ちだ」
「これって……」
「また此処に来てもいいだろうか」
「は、はあ……」
余り理解できていない私が面白いのか、ふふっと笑うダンデさんに耳を擽られる。他人に触れられるゾワリとした感覚に首をすくめて抵抗すると髪を耳にかけダンデさんの手が離れていく。
「ありがとう、じゃあな!ハッピーバレンタイン!」
「え、はい。さようなら……?」
そのままダンデさんは早々にエレベーターに乗り込んでしまった。私は大きな薔薇の花束を抱えたまま呆然と立ち尽くす。
つまり、あのバレンタインカードもダンデさんだったのだろうか。視界の半分を埋める大きな花束の中に、ポストに入っていたカードと同じものが添えらているのが見える。
花束でも持って直接来いと文句を言っていた数分前の自分に言ってやりたい。そんな事されてもただ混乱するだけだぞ。
頭が回らないまま部屋に入る私の耳元には、キラリと身に覚えのないイエローダイヤモンドが輝いていた。
◆Be my Valentine.
── 私のバレンタイン(恋人)になって下さい。
◆Roses are red, Violets are blue, Sugar is sweet, And so are you.
── 薔薇は赤く 菫は青く 砂糖は甘く そして貴方も。
(イギリスの古典的な子供向けの韻を踏んだ詩で、愛を伝える常套句だそうです)
改稿:2021/09/04