不審者
厳しい冬の寒さから段々と春の陽気に近付いてきた今日この頃。このタイミングで増え始めるものがある。多数の人を悩ませる花粉、冬眠から起き出したポケモン達。ではなく不審者だ。
スクール登下校中の学生へ向けてだったり、夜道を一人で歩く女性へ向けてだったり、その対象は様々。
斯くいう私も現在夜道を一人で歩いていて、且つ職場を出てからずっと私のものでは無い足音が後ろから聞こえている。
家まではまだ少し距離がある。出来るだけ遠回りをして来たが残念ながら意味はなく、足音は離れる様子は無い。立ち止まったら足音も止まる。少し早く歩けば足音も早くなる。
先程スマホのインカメでさり気無く確認した画面には、キャスケット帽を被りロングコートの前面のボタンを全て閉め、マスク、サングラスと如何にも不審者ですといった様相の男性が映し出された。心当たりは無い。
早く家に帰りたいが不審者に家を知られるのも怖い。近辺に交番は無いし、既に店も閉まっている時間なので頼ることもできない。
どうしよう。どうしよう。誰か助けて。そればかりが頭をぐるぐる回る。
人気の無い赤信号で止まらざるを得なくなった、その時。
「なあ」
「ひっ」
誰かに肩を叩かれ声を掛けられる。恐る恐る振り向くと予想通り先程から後をつけられていた不審者で。
大声で叫ぼうとした口を大きな手で覆われる。離そうともがいても恐怖で震える身体は男性の力には敵わず、涙を零すことしかできない。
私が泣き出したのに慌てた様子で辺りを見回し、何故かコートのボタンを片手で外し出す不審者。も、もしかして、中は何も着ていない露出狂タイプの不審者なのか。嫌だ、やめて、見たくないと必死に首を振っても口から手は離れてくれない。もうダメだ。見たら許してくれるだろうかと諦めの境地で視線を前に戻す。
コートの中は裸、ではなくこの街のジムトレーナーが着用する紺色地に橙色のラインが入ったユニフォーム。しかもキバナ様のものだ。
コスプレを見て欲しいタイプの不審者なのかとスッと冷静になった私は、心底軽蔑した目で不審者を睨め付ける。何でどこの誰かも知らない奴のコスプレを態々見せられなければいけないのか、腹が立って来た。
苛立ちをぶつける様に全身の筋肉を使い手から逃れる。やれば出来るじゃない、私。
「あの、何なんですか?警察呼びますよ」
警察という言葉に困った様に頭を掻きながら息を吐いた不審者が、何故かマスクとサングラスを外して行く。顔を見せらたからといって何も状況は変わらな、い……。
「キ……!」
「シーーッ!」
慌てて今度は自分の手で口を塞ぐ。だって、マスクとサングラスの下から現れたのは、この街に、いやガラルに住む人全員が知っているこの街のジムリーダー・キバナ様だったからだ。
「悪りぃ、怖がらせるつもりは無かったんだ」
「は、はひ……」
これ、と差し出されたのは鞄に付けているのと同じマホイップのぬいぐるみのキーホルダー。アレ、と鞄を確認すると確かにそこに姿は無い。
もしかして。
「ひ、拾ってくださったんですか?」
「ああ。オマエのだよな?」
まさかのキバナ様に落とし物を拾って頂いたという衝撃の事態に声の出せない私は、コクコクと頷く事しかできない。よかった、と言いながら態々少し屈んでキーホルダーを鞄に付けてくださるキバナ様。ひえ、どんなサービス精神。
「よし!もう落とさない様にしなよ。この街に居るドラゴン様から守ってもらわないとな」
「……ドラゴン様が守ってくれるんじゃ無いんですか?」
「さあな。ここのドラゴン様は気まぐれだから」
じゃあ気をつけてな、と何回目かの青を灯していた横断歩道へ促す様に背中を押された。ペコリと会釈をしながらキバナ様に背を向け家路を急ぐ。
まさかまさか、あのキバナ様に会って、直接話せるなんて。しかもキーホルダーまで拾って貰えて、鞄にまで付けてくれて。友達にどう話そう。いや、こういうのは広めない方が良いのだろうか。
先程までの恐怖はどこへやら。正反対に興奮している私は、キバナ様が何故あんな格好をして、私の職場からずっと着いてきていたのかなんて深く考える事はしなかった。
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思わず鼻歌を奏でるほど機嫌良く自分の家に帰り、ポケモン達を部屋に出していく。加湿器の調整や磨いてやるのもそこそこに足早に寝室へ籠る。
すぐにパソコンの電源を入れ、起動するのを待つ。その間に先程の彼女とのやりとりを思い出しながらベッドに仰向けに寝転んだ。
今日は普段よりも距離を詰めすぎてしまった所為で彼女に早々に気付かれてしまうミスを犯してしまった。だがそのお陰で初めて直接話すことができ、目当てのものを渡す事ができた。嬉しい誤算だ。
恐怖で身体を震わせ必死に自分を守ろうとしていた彼女。白くまろい頬を伝う涙。オレのよりも何周りも小さいか弱い手。手のひらに感じた柔らかい唇。……はあ、考えただけで身体が熱くなる。
ようやく起動したパソコンを操作し、前から準備しておいたソフトを立ち上げる。少し時間をおいて開かれた地図にはある場所に赤いピンが刺されていた。前に後をつけ辿り着いたマンションに間違いない。現在そこを示しているという事は無事に帰り着いた様だ。
きちんと機能している事を確認し、スマホのアプリと連携させる。
ああ、勝手に口角が上がってしまう。これでいつでも、彼女の行動を把握できてしまうのだ。
ドラゴン様に目を付けられた彼女はそれはそれは可哀想だ。もうオレ様を抜きにした、普通の生活が出来るとは思わない方がいい。守ってくれる筈のフェアリーちゃんは裏ではドラゴン様に手を貸しているなんて、どこぞの寓話だろうか。
彼女を手元に置くのは気まぐれなドラゴン様、このオレ様だ。
さあ、次はどうやって彼女に接触しようかな。