煉獄さんに押し倒される話〜闇ver〜
この人は何故私を押し倒してるのだろう。今まで見たこともなかった、まるで人一人は殺せそうな、嫉妬に塗れた顔。その日輪のような瞳にはほのかに情欲を揺らめかせて。
確かに一応恋人同士ではあるが、それは可哀想なことに前世からの関係を断ち切れなかっただけで。この人にとって私はそういう感情を向けられる対象では無かった筈だ。
前世。私と彼は摩訶不思議なことに前世の記憶を持っている。今より少しだけ昔の、大正時代。教科書には記述されていない、人を殺め食す鬼が蔓延していた時代。
目の前の彼はその鬼を滅する鬼殺隊の柱として、私はその許嫁として生きていた。結局、彼が任務の際に帰らぬ人となり、夫婦になる事は無かったけれど。
許嫁となったのは彼が鬼殺隊に入る前で、お見合いと言いながらも既に私の嫁入りは確定事項だった。
今でこそ自由恋愛が当たり前だが、あの時代ではまだまだお見合いが主流で、何より彼の家柄が自由恋愛など認めないだろう。
彼の実力が十分になったら、それこそ柱になったら嫁入りする。その手筈が狂ったのは彼の母が亡くなってから。自暴自棄になった彼の父は一切家庭を顧みる事がなくなり、実質家を支えているのは彼となった。
そんな状況でも任務に出向き、遂行し、柱にまでなった彼は本当に素晴らしいお方だと思う。自分なりの戦い方で、刀だけでなく投げや蹴りを使っているその姿は獅子のように雄々しいのだと教えてくれたのは彼の継ぐ子だっただろうか。
同じ女性でありながら、彼の元で、彼の側で彼を支えられる彼女が羨ましいと何度も妬んだ。本当に人格者の彼には見合わない性格をしていると自負している。
彼が柱になってから何度かこちらの家から嫁入りについて尋ねたが、毎度毎度ご丁寧に『まだまだ自分は未熟ですのでもう暫しお待ちください』と返答されるのみ。
これはもう駄目だろうと悟っても、こちらの家から断る事は出来なくて。お前の花嫁衣装は見れないのだろうなと寂しそうに父に言われたのは印象的だった。
そんな彼と私は、実は疎遠だったという訳でも無い。何日かに一度、任務へ向かう途中の深夜に、または任務終わりの夜更けにこっそりと会いにきてくれていたのだ。今思うと恐らくは彼なりの罪滅ぼしだったのだと思う。
任務終わりの時は少しだけ一緒の布団で眠ることもあった。文字通り、ただ一緒に寝るだけ。家に帰った方が、と何度伝えても曖昧な笑みを浮かべられるだけで。
彼と彼の父の関係は最期まで改善される事は無かったし、色々と事情があったのだろう。
私は正直言うと、彼に心底惚れ切っていたので気が気では無かった。もし行為を求められたら嫁入り前だとしても断る事は出来なかったと思う。そんな心配は要らなかったけれど。
彼にとって私は父が無理矢理持ってきた許嫁であり、欲を向ける相手では無い。父がああなっている以上自分ではどうしようも無いし、ご機嫌取りにだけは伺い顔を合わせるだけ。嫌でも把握させられたものだ。
それから暫くして彼は帰らぬ人となり、私は流行り病に罹り、呆気なく人生を閉じた。
そして今の時代に転生した私は、同じくこの時代に転生していた彼と、高校の入学式という場で偶然的な再会を果たした。彼が教師、私が生徒という関係で。
運が良いのか悪いのか。この学校には記憶の有無を問わず、鬼殺隊に関係する人物が同じように転生していた。
初めは無関係を貫こうと努力はしたのだが私にも記憶がある事が露呈されてしまい、昔の私たちの関係を知っていた方達によりあれよあれよと付き合うことにされてしまった。あれだけやんやと持ち上げられ騒がれれば、流石の彼も断れない様だった。本当に可哀想だ。
何度も別れようとしたのだがタイミングを逃し続け、ついに私は卒業してしまった。勿論彼は今の時代でも人格者であるので生徒に手を出すなどは有り得ない事だ。
二人きりで出掛けることもなく、恋人らしいことを一切することも無い。清い関係、というか普通より話はするかなくらいの、ただの教師と生徒の関係。
それは仕方ないなとあれだけ騒いでいた周りも大人しくなったものだ。そもそも彼は私をそういう対象として見ていないのに。
そんな彼との関係も私が卒業した事により少しだけ変わり出してしまった。彼の家に呼ばれる様になったのだ。全部断っていたのだが流石にこれ以上断るのも申し訳ないので今日、初めてお邪魔した。
それで、これ以上彼を縛り付ける事は出来ないと別れを切り出したのだ。ここで冒頭に戻る。
「何を考えているんだ。他の好いた男か?」
「えっと、……っ」
痛い。頭の上で纏められ床に押し付けられている手首に彼の指が食い込む。大して力は入れて居ないだろうにこの痛さだ。ただの男女の力の差だけでは無い。きっと今世でも彼は鍛錬を積んでいるのだろう。
彼の大きい猫目が私を冷たく見下ろす。いつもは視線が合わないその瞳が、今は不思議な事に逸らせないほど強くこちらを射抜く。
「聞いているか」
「は、いっ。先生、手が」
「俺はもう君の先生じゃない」
「ぅ、煉獄、さん……?」
「杏寿郎」
君も煉獄になるだろうと耳元で囁かれる。前世でも今世でも初めての感覚に首筋から背筋がゾワゾワとする。
私は煉獄にはならないのに。さっきそう伝えたのに。ここでそれを訴えたところで何も状況は変わりそうに無いので大人しく従う。ああ名前で呼ぶなんて、なんだか前世に戻ったみたい。
「……杏寿郎、さん」
「なんだ」
「手、痛い、です」
「ああ」
すまなかったなと少しだけ、ほんの少しだけ拘束が緩められる。ほとんど変わらないのは彼が怒っているからなのだろうか。
彼の為を思って、私はここに来て、心を削りながら別れを告げたのに。何がそんなに気に入らなかったのだろう。彼がこんなに怒りを露わにしているのを私は初めて見た。
「で、どうなんだ」
「……え?」
「君は好いた男がいるのか」
どうなんだと目を細め見下ろされる。好いた男だなんて、私は今も昔もずっとずっと、貴方に囚われて居るのに。とは言えない。
他の人を好いている事にしたら、彼も納得してくれるだろう。そもそも、彼が私にこだわる理由なんて無いのだし。
「……はい」
「よもやよもや。そうか、居るのか」
「……っ、はい」
また手首を締め付けられる。さらにもう片方の手が顎の下に差し込まれ、頭を動かせない様に固定されてしまった。
怖い。恐い。苦しい。こんな彼は初めて見る。彼に斬られる鬼になった気分だ。身動きの取れないこの体勢が心底恐怖心を煽る。
「だったら」
「……ぐぅっ、きょ、じゅろ、さん……っ」
「もう君をこの家から出す事は出来ない」
「ぇ、んぅっ!」
私と彼の距離が初めてゼロになる。なんで、どうして。そんなに私が離れていくのは気に入らなかったのだろうか。だったら、貴方から言ってくれれば。
今も昔も、貴方は私を見えない鎖で縛り付ける。情など無いのに離してくれない。
「っ嫌、です……っ!」
「……」
拘束が緩み、背中に手を差し込まれたかと思うと少しだけ身体を起こされる。背後で何かが動いた気配の後に首筋に鈍痛が響き、意識が遠のいて行く。
苦しそうな顔をした彼の顔を網膜に焼き付け、私は意識を手放した。
耳元で彼の声が聞こえた気がしたけれど、それは夢の中だったのかな。
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「君は、いつになっても俺を好いてくれない」
「ずっとずっと君の事だけを」
「やっと手に入った。君はもう、俺のものだ」