図書委員の私と九条くん
私は星奏学院高等学校普通科に通う極々普通の女子高生。今年の四月からは二年生に無事進級し、少し怠ける事もあるが日々勉学に励んでいる。
新学年が始まり約二ヶ月。今の私にはとある楽しみがある。いや、あったと言うべきか。
去年はジャンケンに負けてしまい逃してしまった図書委員会に、今年は見事に勝ち抜き所属することができた。といっても、他の立候補者と同じく単に楽そうという理由で選んだだけで、現実は本の管理や掃除に本の補修作業など地味に仕事が多く、当番が回ってくるのが憂鬱だった。
その中で唯一の楽しみ、それは隣のクラスの九条くんだ。彼はこの学校の中でも一、二を争うレベルの美少年で、そのクールな見た目と物憂げなオーラに彼に想いを寄せる生徒も少なくない。
九条くんはほぼ毎日の様に図書室に通っていた。その為、図書委員のメインの仕事である本の貸出作業で自然と彼と話す機会が増えた。彼もあまり話す方では無いのか、「お願いします」「ありがとうございました」の挨拶だけだが。
それでも、私はそんなやり取りを楽しみにしていた。美少年と話せる機会なんて人生単位で早々無いし。
だが、そんな九条くんが最近あまり図書室に来なくなってしまった。風の噂で聞いたのは、音楽科と普通科の生徒で構成されるスターライトオーケストラに所属したとの事。
それを聞いた時はとても驚いた。だって、この学校には音楽科があるのだから。音楽がしたいのならそちらへ行くべきだし、普通科に入学した上でオーケストラに所属するなんて中々難しい事だと思う。
私は音楽の事についてはちっとも分からないけど、中学の頃の吹奏楽部は放課後は勿論、朝練や休日も丸々練習に当てていた様に思う。
どうやら九条くんも練習で忙しく、メンバーを集めるために校外にまで遠征をしているらしい。これはもう図書室で彼を見かける事は無いんだろうな。詰まらない。
あの綺麗な顔を近くでもう見れないのかと少し残念に思いながら窓の戸締りを確認する。よし、全部鍵は閉まっている。返却ボックスに入れられていた本までは今日手が付けられなかったので明日の当番の人に任せるとして。
教科書の詰まった重いリュックを背負い、出入口扉の横の電気のスイッチを押した瞬間に扉がガラリと勢いよく開かれる。
「わっ」
「っ!すまない、もう今日は終わりか?」
「え、はい」
そうか、と肩を落とす美少年。走ってきたのかうっすら額に汗を滲ませている。その手には本が二冊抱えられていて。
もしかしなくても、本の返却に来たのだろうか。今までよりも格段に忙しくなったはずなのに、彼は、九条くんはまだ図書室に通っていたらしい。返却期限を守らない一定数も居るのに律儀な人だ。
ありがとうと言い階段を降りようとする背中に慌てて声を掛ける。
「あのっ!大丈夫ですよ!」
「え?」
「本、返しに来たんですよね?次のも借りるんでしたら選んでもらって大丈夫ですよ」
「……いいのか?」
美少年は驚いた顔も綺麗だなと感心しながら頷く。こんな熱心に通う生徒は九条くん以外に居ないし、忙しい時間を縫ってここまで来たのだ。少しくらい特別扱いしたっていいだろう。
別に綺麗な顔を眺めたいとかでは無いもんね。
電気のスイッチを再び押し、図書室全体に明かりを灯す。今日だけ営業時間延長だ。
ゆっくり選んでくださいと声を掛け、貸出カウンターの中に戻りリュックを下ろす。いつもは思い切りドサっと落とすけど、今は音が鳴らない様お淑やかに下ろしたのは私の可愛らしい乙女心だ。
今日やった仕事は日誌に書いてしまったし、今更別の仕事をこなす気もない。パソコンだけ付けて、手持ち無沙汰に日誌のノートを捲りながら時間を潰す。この先輩字が汚いな。
そうだ、ママに少し帰りが遅くなる事伝えないと。いつもの電車には確実に間に合わないのでスマホを開きメッセージを送る。
ついでになんかゲームでもしようかなとホーム画面を吟味しているとそっと本を差し出される。
「これだけお願いしていいか」
「あ、はい」
差し出された文庫本を受け取りバーコードを読み取る。いつも二冊ずつ借りていたと思うけど一冊で良いのだろうか。さっきも二冊を返却ボックスに入れていたし。
もし遠慮されているのだったら申し訳ないし、念のため聞いておこうか。
「一冊だけでいいんですか?」
「ああ。今週はそこまで読む時間が取れなさそうだから」
「そうなんですね」
は、恥ずかしい〜!要らない気遣いしてしまった。沈黙が辛い。早く終えてしまおう。生徒手帳のバーコードも読み取らせてもらって、と。
パソコンを操作して読み取った本を貸出に処理する。このパソコン、動作が重いから新しいものに変えて欲しい。
「お待たせしました。期限はこちらの……一日前です」
「……ふふ、分かった。ありがとう」
笑われてしまった。さっき明日の為に期限を知らせるカレンダーの日付を進めたんだった。なんだか恥ずかしい思いを沢山している気がする。黒歴史になりそうだ。
本を鞄にしまい、出口に向かう九条くんの背中を見ながらパソコンの電源を落とす。はー、絶対変な奴って思われたじゃん。
真っ暗になった画面でマウスをカチカチと動かし、完全に電源が落ちた事を確認する。リュックを背負い、電気を消して扉を開けるとすぐ前に人影が。
「終わったか?」
「え、はい……」
図書委員会で作ったオススメの本を紹介している掲示板を眺めて居た九条くんが声を掛けてくる。待って居てくれたのだろうか。
驚きで動けなくなった私が手に持っていた鍵をするりと抜き取られたかと思うと、九条くんがカチャリと図書室の施錠する。
「鍵は?」
「あ、職員室の、」
「ああ、あそこか。行こう」
なんで九条くんが手伝ってくれているのか。早く練習に戻った方がいいし、終わったのなら早く帰ってゆっくりして欲しい。
でも九条くんと並んで歩けるのが少しだけ嬉しくて、職員室までは黙っている事にする。直ぐそこだし。
職員室に入ると迷いなく一直線で鍵置き場に進んでいくのを不思議に思っていると、練習で使っている別棟もここに鍵があると教えてもらった。
もう既に鍵が掛かっているという事は今日はもう終わったのだろう。早く終われる日もあるみたいで少し安心だ。
昇降口まで一緒に行き、下駄箱の前で立ち止まる。
「あの、ありがとうございました」
「いや、こっちこそ。あと敬語は使わなくていい。君も二年だろ?」
ネクタイの色を指されたので分かったと頷く。九条くんと普通に話せるなんて、私は明日刺されてしまうかもしれない。
いや、九条くんの言う通り、同じ学年なのでなんら問題は無い筈なんだけど。
「そうだ、私の当番の時だったら九条くん来るまで図書室開けるし、今日みたいに急がなくていいよ?」
「それは流石に悪い。……でも頼む日もあるかもしれない」
「ふふ、分かった。出来れば事前に教えてね。じゃあ、」
気を付けて、と言おうとしたところで九条くんがスマホを取り出して待ったをかける。
「それだったら、その。連絡先、交換しないか」
「え!い、いいの……?」
「ああ、勿論」
じゃあ、といそいそとスマホを取り出す。やばい、今どんなアイコンにしてたっけ。……よかった、我が家のアイドル猫ちゃんだ。
一人で内心ほっとしながらコードを表示する。九条くんに画面を向けると読み取ってくれた。
「……猫だ」
「我が家のアイドルだよ!すごく可愛いの」
「うん、いいな」
私の事では無いけれど、家族だと思っている猫を褒められて嬉しくなる。帰ったら教えてあげなきゃ。美少年に褒められたよって。
九条くんのアイコンは青の単色で、シンプルというか、彼らしいというか。いや彼のこと詳しく知らないけど。
「後で私の当番の日付送るね。じゃあ今日はこれで」
「あ」
「?」
「いや。……今日はもう暗いし送って行く。君は寮では無いよな」
「あ、うん。電車だけど。……でも大丈夫だよ?駅近いし、街灯も十分にあるし」
手を振って断ろうとするけど、俺の所為で遅くなったしと言われると何も言えなくなる。綺麗な顔でそんなに言われてしまったらイエスの選択肢しか残って居ない。
「……じゃあ、駅まで」
「ああ。行こうか」
「う、うん……」
下駄箱でローファーに急いで履き替え、既に玄関で待ってくれていた九条くんと駅までの道を横に並んで歩く。
まさかこんな日が来るなんて。私なんかが九条くんみたいな美少年の隣を歩くなんて烏滸がましいにも程がある。
いつもは短く感じる道のりも今日だけは長く感じてしまう。こういう時って普通は逆なんじゃ無いのか。
「……そういえば。今週は本を読む時間がないって事は、忙しいの?またオケの遠征?」
「ああ。また県外に行くらしい。……詳しくは教えてくれないが」
「え〜、大変だね」
「ああ。……でも、楽しいんだ」
チラリと見上げると、九条くんは言葉通りに楽しそうな顔をしていて。本当に音楽が好きなんだな。
噂によると、九条くんのバイオリン技術は普通科に居るのが勿体ない程素晴らしいものらしい。普通科に入ったのにはきっと事情があるのだろうけれど、彼が楽しく音楽を出来る環境が出来て良かったなと思う。
「校内では演奏とかしないの?聞いてみたいな」
「練習は結構人目のあるところでしてるが……。そうだな、演奏が出来る日が決まったら一番に伝えるよ」
「本当?嬉しい、楽しみにしてるね!」
「ああ」
なんだかんだあっという間に、周りよりも一段と明るい駅の入口が見えてきた。九条くんて案外話しやすい人なのかも。
でも会話が途切れる事なく駅に着けて、正直ホッとしているのが今の感情の八割。
「寮とは反対方向なのにごめんね。今日はありがとう」
「元を辿れば……いや、もう言ったな」
「ふふ、聞きました!じゃあ九条くんこそ、暗いんだから気を付けてね」
「ああ。それじゃあ」
手を振って今来た道を戻って行く九条くんを見送る。その背中は遠くへ行っても見えるほど周りは明るくて。それでも暗いからと態々駅まで送ってくれるなんて、美少年は行動まで美しい。
私は高鳴る鼓動には気付かないふりをして、駅の階段を駆け上がった。