忘れた答え合わせ
もうやめた。全部やめた。
貴方の隣に並びたくて背伸びして履いたヒールも、貴方に子供と思われたくなくてお勉強したメイクも、貴方と同じ味を感じたくて飲んだブラックコーヒーも。
貴方だけを想ってずっと育てていたこの恋心も、全部。
どれだけアピールしたところで貴方にとって私はただの子供で。努力はいつか報われるなんて、大人はすぐに嘘をつく。もう私は騙されたりなんかしないのだ。
「だから私、留学する」
「はあ」
「聞いてるの、お兄ちゃん!」
私の話をつまらなさそうに聞いていた兄が頭の後ろで手を組んでプクリン型のクッションに凭れかかる。可愛い妹が大事な人生相談をしているというのに。
「行きてえなら行けばいいじゃん。オレは止めねえよ」
「……」
もう少し、私の気持ちに寄り添ってくれてもいいんじゃないか。……引き止めてほしくない訳では無いけど、それは兄では無い。
「で?オマエは何処の地方行くの」
「それは、まだ……考え中、です」
「はあ〜〜〜〜」
ワザと私に聞かせる為だけの無駄に大きい溜息。
「お兄ちゃんはオマエが思ってるほど暇じゃ無いんだよなあ。オレさまの事なんだと思ってんだ」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん」
「……まあそうだけどよ」
本当は分かってる。今日だって忙しいジムの仕事を早めに切り上げて、私の為に時間を割いてくれていること。でも、あの人に一番近いのはお兄ちゃんだから。
やめるって言ったって、結局私は無意識にあの人の影を追いかけてしまうんだ。
「オマエが本当に留学したいんだったらオレは否定しない。でも協力もしない」
「え、なんで?」
「可愛い妹だから」
私と同じシアンの瞳が片方だけ閉じられる。
「可愛い妹なのに?」
「そ。他の地方だと護ってやれねえからな。ドラゴンさまも海を越えるのは流石に一苦労だし」
「ふーん……?」
護る、はて……?確かに小さい頃は私がちょっかいをかけられたら何倍にもして返していたけど、近年は兄が忙しい事もあり思い当たる節はない。
私がピンと来ていないことに気付いた兄がまた溜息をつく。なんかムカつく。
「お兄ちゃんは大事な妹の為にこんなに頑張ってんのにな」
「……頼んでないもん。ていうか何してくれたっけ」
「うーん、秘密?」
唇に人差し指を当て何故かキメ顔をする兄。なんだコイツと思っているとロトムがパシャパシャと撮影を始めた。ああ、SNS用のね。
「私の部屋だって分からない様にしてね」
「はいはい」
兄は自撮りを始めると満足行くのが撮れるまで撮りまくる。今度は私が溜息をついて空になっていたグラスにお茶を足しに行く。冷蔵庫からボトルを出して、と。
この水出しに使っている紅茶も、あの人が飲んでいたから買ったものだ。すっかり慣れ親しんだ味だけど、これも早く使い切ってしまわなければ。
「お、サンキュー」
「もう終わったの?早いじゃん」
「今回は構図決まってたからな」
「へー」
どんなものになったのかと兄のSNSを見に行く。既に五桁に届きそうなほど反応されているその投稿には思い切り私のベッドが写っていて。
──傷心中の妹を慰めるなんて、オレさま良い奴すぎね?
「ちょっと!お兄ちゃんこれ!」
「どうだ!ベストショットだろ!家族の存在を匂わせてプラス優しいお兄ちゃんアピール!好感度上昇間違い無しだ!」
最強のポイントは此処だと兄が態々教えてくれたそこには、床に放っておいた筈の週刊誌がベッドの上に置かれ上手い具合に見切れている。
怒りで体温がカッと上がる、分かっている癖に人の失恋をバズりに使うな!
「ありえない!サイテー!」
「サイテーなのは週刊誌に撮られた奴の方だよ」
「……っ!っ!!」
正論を振りかざす兄に躊躇無しで思い切り拳を振り下ろす。こっちは全力なのに、全く効いていないのが悔しい。
兄のせいで記事の内容を思い出してしまって、涙が込み上げてくる。もうやだ、お兄ちゃんなんか大嫌いだ。あの人も、あの人と一緒に写ってる女性も、みんなみんな大嫌い!
「もういい!帰って!」
「え〜。まだ何も解決してねえじゃん」
「誰の所為よ!お兄ちゃんのバカ!!」
売り言葉に買い言葉の言い争いは次第に取っ組み合いの喧嘩へと変化する。昔からこうだ。
当たり前だが兄に、私より何十センチもデカイ男に力で敵うわけは無く、すぐにマウントポジションを取られ終了、となる筈だった。
──バリンッ
「「えっ」」
「ナナシ、違うんだ!アレは……は?」
え、今何が起こった。ベランダの窓ガラスは勢いよく割られ、そこには此処に居る筈の無い人が立っている。あれ?
兄に床に押さえつけられた体勢でポカンとその人を見上げる。なんで、この人が此処に。
「……キバナ?」
「よぉ、ダンデ。オレさまの可愛い妹の部屋に何しに来たんだ?」
「とりあえずキミたちは離れるべきだ」
私たちの側にしゃがんだダンデさんが私から兄を引き剥がす。盛大にローテーブルに背中をぶつけた兄が痛いと喚いている。
そんな兄には目も暮れず、ダンデさんは私をゆっくり抱き起してくれた。
ダンデさんの前ではお淑やかな大人の女性を演じていたのに、全部お兄ちゃんの所為だ。まあそんな努力も意味は無かったんだけど。
「ナナシ、大丈夫か?怪我はないか?」
「は、はい。大丈夫です、ので」
離してくださいと続けるが何故か手を離してくれない。前から思ってたけど、ダンデさんて女タラシって奴なのかな。
どうしようと困っていると立ち上がった兄がダンデさんを足蹴にする。ちょ、ちょっと!
「お兄ちゃん!?」
「帰れよ、ダンデ。オマエが此処に来る資格は無いよなあ?」
「いや、帰らない。ナナシ、誤解を解かせてくれないか」
「ご、誤解……?」
「ああ」
どうしよう。誤解ってなんなんだろう。今まで思わせ振りな態度をわざと取っていたとか?本命が出来たから私はもう用無しだとか?そもそも私たちは兄を通じて面識があるだけで、私たち個人間で関係なんか無いんだった。
私に伸ばされた手を兄がまた足で止める。流石に失礼じゃ無いのかな。
「ダンデ」
「キバナ、分かってやっているだろう」
「……何のことだか」
「まあいい。ナナシ」
これを見てくれ、とベッドに置かれていた週刊誌を開き目の前の人が知らない女の人を背負っている写真を見せられる。
嫌だ、見たくない。そんなにこの人は私に好きじゃないと言わせたいのだろうか。好きになっちゃいけないならもっと早く教えて欲しかった。
「違うんだ、泣かないでくれ。ナナシ、心当たりは、見覚えは無いか?」
「無いっ、無いよぉ……っ」
兄に助けてと視線を送るけど首を振られる。どうして、さっき迄ダンデさんを追い出そうとしてたじゃない。
次から次へと溢れ出てくる涙をダンデさんが指で拭ってくれる。既に私の涙でその指も手もびしょびしょだ。離してと手を添えても離れてくれない。
「ナナシ、よく聞いてくれ。オレが背負っているのは、キミだ」
「うぅ……っ、ぇ……?」
「キミだ、前に会った時と同じ服装だろう?」
そう言われてみれば、そう見えなくも無い、様な。モノクロだし暗がりだし、よく分からない。
でもその日は確か、食事の途中で疲れて眠った私を兄が送ってくれたって。そう聞いていたのに。
兄を見上げる。視線は合わない。
「あの日ナナシを送って行ったのは、オレだ」
「でも、お兄ちゃんだ、って……」
「キバナとは途中で別れたんだ。夜の見回りがあるからって」
そうだなとダンデさんが尋ねるとそうだったかもなと曖昧な返事。
それって、お兄ちゃんは最初から全部分かっててやったって事……?
「お、お兄ちゃん……?」
「あー、まあ、オマエの為だよ。分かってくれ」
「お兄ちゃん!」
「ナナシ」
兄にまた喧嘩を吹っかけようとしたタイミングでダンデさんに名前を呼ばれ肩を掴まれる。いけない、私ったら。
あれ、でもそれじゃあ今回出たこの熱愛報道は相手が私という全くの捏造記事で、私は私に嫉妬してたって事になる。
「ナナシ、だから安心してオレのことを好きでいてくれ」
「えっ」
「は?」
「もう少し、もう少しだけ待っていてくれ」
「え、わ、分かりました……?」
よし!と飛び切りの笑顔で微笑まれたかと思うと何故か横抱きで抱き上げられる。な、なんで!?
「窓をダメにしてしまった!変わりの部屋を用意しよう!シュートシティになるんだが」
「コラコラコラ!ダメに決まってんだろダンデ!窓が直るまでナナシはオレの家な。母さんには言っとくから」
「それはキバナに悪いぜ!」
「悪くない!オレの可愛い妹だ!」
ダンデさんはニコニコしているのに妙に圧が凄いし、兄は兄でとても怒っている。私の上で何が起こっているのか。
ナナシはどっちが良いんだと言われとりあえず兄を指差す。だって、一人暮らしをしているとはいえ近くに家族が居ないのはちょっと不安。
「よし、良い子だよナナシ」
「そうか……」
「う、うん……?」
「じゃ、ダンデは帰れ。ナナシは必要な物詰めて来い」
「はーい……」
玄関から出るのかなと思ったけどベランダの方へ向かうダンデさん。
やっぱりダンデさんの方を選んでも良かったかなと後ろ姿を見ながら少しだけ後悔していると、くるりと振り返ったダンデさんと目が合う。
「そうだ、ナナシ!」
「は、はい!」
「無理して大人になろうとしなくていいぜ!キミはキミのままが一番可愛い!」
「へ」
「オマエ……!」
じゃあまたとリザードンに乗って飛び立つダンデさん。
い、今ダンデさん、私のこと可愛いって。しかも今まで無理していたのも全部バレて……?
私は照れと恥ずかしさで真っ赤になり、兄は怒りで顔を真っ赤にしていた。
ちなみに、兄はあの投稿でバズる事なく見事に炎上した。複数付けられたタグの中に『#失恋とかマジウケる』というタグが含まれており、妹の失恋を笑い事にするとは何事だと大バッシングされる事になった。
本当にバカな兄だと思う。
[読まなくても良い設定]
・夢主
→あのお兄ちゃんに勝つなんて凄い!から始まる刷り込み型初恋。兄妹の中で一番身長の伸び率が悪く、子供扱いされるのが嫌い。姉二人、キバナ、夢主の四兄妹末っ子。
・ダンデ
→多分まだチャンピオン。キバナに妹の写真を見せられた時から夢主のことが好き。夢主が自分を好きでいることも知ってる。今はまだキバナ含む三人でしか遊ぶ許可を貰えてない。
週刊誌の記事はまあ夢主だしいいかと思っていたらキバナの投稿で失恋とか書かれているし焦って窓にアタックしちゃった。
・キバナ
→重度のシスコン。姉二人には雑に扱われているので妹が可愛くて仕方ない。一時期本当にお姫様の様に扱ってたこともある。ちょっと足癖悪い。
夢主とダンデが両想いなのは知ってるけどまだ早い!妹はやらん!てなってる。ダンデに妹が何歳になるまでは付き合わない、手を出さないと誓わせている。妹もその内違う人好きになるだろうと楽観視していたらそんな気配は無く、最近はダンデと約束した年齢が近付いてきて焦り気味。
キバナは絶対女家系、間違いないね。