ヒゲが生える話

*年齢操作あり
*ダンにぃ=ダンデのこと





「ホップくんおーはーよっ、……っ!?」
「わっ!なんだよオマエっ!」

 今日はソニア博士のお手伝いはお休みで、スクールに行くと聞いていたから家まで迎えにきた。登校にはだーいぶ早い時間だけど。それは置いておいて。
 おばさんが笑いながらホップくんの居場所を教えてくれて、言われるがままに洗面所を覗き込んだ。そこには教えられた通りホップくんが居たのだけれど。

「ほ、ホップくん……!?」
「あーもう!これから着替えるから出て行けよ!」
「わぷっ」

 ホップくんが私に向かって何かの布を投げつけて来て後ろによろけてしまう。これ幸いと勢いよく洗面所の扉が閉められた。
 投げつけられた布はさっきまで着ていたのであろう青と白のストライプのパジャマ。心なしかほんのりホップくんの体温が残っているような。くんくんと欲望のままに香りを嗅ぎながら、先ほど見た光景を思い出す。
 私の手元にあるパジャマとセットのズボンと白のタンクトップ姿。これは稀によく見ることができる姿だ。だがホップくんが鏡に向かってしていたこと。

「お、おヒゲ剃ってた……」

 カミソリ片手に口元を弄っていた。あれは間違いなくヒゲを剃っていた。ヒゲと聞いて思い浮かぶのはダンにぃだが、あの人はずっとあの変なヒゲを生やしているし今更なんの違和感もない。
 でも、ホップくんが、あのつるつるもちもちお肌のホップくんが、ヒゲを剃っているなんて。確かに最近はお顔に触れる機会なんて無かったけれど、まさか剃らなければいけないほどおヒゲが生えていたなんて。私は全く気付かなかった。幼馴染失格かもしれない。
 ホップくんのパジャマに顔を埋めながらぐるぐるとホップくんのおヒゲについて思いを馳せていると、頭にガンと衝撃が走る。

「いっっっっ!!」
「うわ、まだ居たのか!」

 ドアノブを持ったまま制服に着替えたホップくんが驚いた声を出す。酷い、忠犬の様に健気に待っていたんだぞ私は!
 そんな私には目も暮れず、ホップくんは悪かったぞと言いながらパジャマを奪い取る。心がこもっていない様に聞こえたのは気のせいかな?そんな事より。
 ヒゲの気配を全く感じさせないその顎を、口元を、私は触らなければならない。これは今の私の使命だ。パジャマを洗濯機に入れているホップくんの後ろに静かに近付き手を伸ばす。

「あ」
「なんだ?」
「えへへ〜そりゃあ……」
「ダメだぞ」

 あと少し、というところでパシッと腕を掴まれて阻止された。じっと見つめてもジト目で見下ろされる。ちぇっ、いつの間にか見下ろす様になっちゃってさ。
 今日の授業の準備をするというホップくんについて行ってお部屋にお邪魔する。あらら、前よりも乱雑に物が置かれている。難しそうな本や資料がたくさんだ。なんだかホップくん、すごい大人になった様な。
 ベッドに腰掛けてスクールバッグに教科書を詰めるホップくんの後ろ姿を眺める。こうして見るとスクールの男子たちと同じなのに。本当に同い年なのだろうか。

「ナナシ、教科書以外で要るものあるか?」
「んーと……。あ、今の数学コンパス使うよ」
「マジか!何処にしまったっけな」

 机の引き出しを開けては中のものを漁るを繰り返す。遠目に見ても引き出しにはいっぱい詰まっているのが分かって面白い。こういう所はまだまだ子供の様で、少しだけ安心する。

「ダンにぃの借りてったら?」
「あー、そうだな。そうするぞ」

 ごめんアニキと言いながらダンにぃの部屋に行くホップくん。別にダンにぃはそんな事で怒ったりしないだろうに。そもそも帰って来ないんだし。
 遠くでガチャガチャ聞こえる音を聞きながらベッドに仰向けに寝転ぶ。昔から壁に貼られているガラルトップスリーのポスター。大分色褪せてしまったな。時が経つのは早いものだ。
 もし。もしあの時、マサルくんがジムチャレンジに行かないと言ったら。私と一緒にホップくんを見送っていたら。ホップくんはダンにぃに勝って、チャンピオンになってたのかな。そうしたら此処にはバイウールーやアーマーガアが。

「ナナシ?」
「ぅわっ!び、ビックリした」
「何度も呼んだんだぞ」

 ボーとポスターを眺めていたらホップくんの顔が突然視界に入り込んできて慌てて起き上がる。どうやらコンパスが見つかって戻ってきていた様だ。呼ばれていたのには全く気付かなかった。
 コンパスを入れた筆箱をスクールバッグに入れ、よしと声を上げたホップくんがバッグを肩にかける。そのまま私の足元に転がっていた体操服を手に取ろうとしゃがむ。あ。

「……」
「……」

 今だ、と無意識に伸ばした手がホップくんの顎に触れる。そこは全然じょりじょりなんかして居なくて、記憶にあるすべすべ具合を維持している。
 ダンにぃのあの痛さを想像していた事もあり、少しだけ拍子抜けする。そりゃそうか、剃っていたんだし。

「こら」
「……ごめんなさい」

 ちょっとだけムスッとした顔で手を離される。あ、久々に見たな、この顔。昔は気に入らない事があるとよくこの顔をしていたのに、いつからしなくなったんだろう。ジムチャレンジが終わってから?分からないや。

「ナナシ?」
「あ、……なぁに?」
「……今日様子がおかしいぞ。体調悪いのか?」

 またボーとしてしまっていた。心配そうな顔をされてしまい、ぶんぶんと大きく頭を振り否定をする。どうしちゃったんだろう、私。全部、ホップくんのせい。そうだ、ホップくんがおヒゲなんか剃ってるから。

「ホップくんが悪いんだもん」
「オレが?なんでだよ」
「……ホップくんがおヒゲ剃ってるから!」
「なっ!別にそれくらい普通だろ!?」
「知らないもん!」

 私男じゃないからそんなの分かんない!とふて寝をする様にまたベッドに寝転ぶ。クラスの男子のヒゲ事情なんて知らないし、興味もない。ホップくんだから、私は。
 数秒黙っていたホップくんが声を上げて笑い出す。そうやって私をバカにして。どうせ子供だなって笑ってるんでしょ。そう言ってくるのはダンにぃだけで充分だよ。

「そうだな、そりゃナナシが知ってる訳が無い!」
「……ふーんだ」
「怒るなって!バカにしてる訳じゃないぞ」

 私の腰の横に手を突いて顔を覗き込んでくるホップくん。押し倒されているかの様な体勢に少しだけドキドキする。ニヤケそうになる顔を必死に力を込めて怒っている顔にしていることなんか、ホップくんは一生気付かないんだろうな。

「……じゃあ、ホップくんが教えてよ。触らせてよ!」
「……」
「ほらダメなんじゃん!」
「そうじゃなくて、あー……。その、剃りたてはヒリヒリするから、だな」
「……そうなの?」

 そっと手を伸ばし、両手の人差し指で左右から顎をちょんちょんとつつく。ぺちぺち跳ね返ってくるそれは、昔よりも弾力は少なくなり骨張った印象。口元も。
 ヒリヒリするという割には特に文句を言われないので、ひたすらちょんちょんを続ける。ほっぺたもちゃっかりつついたり。楽しい。
 いつかはホップくんもダンにぃみたいなゴツいヒゲを生やすのだろうか。……ちょっとヤダな。あんまり想像できない。

「……もういいか?」
「あっ」

 少しだけ顔を赤くしたホップくんが私の腕を離させる。照れちゃったのかな、可愛い。ニヨニヨしながらごめんねと謝っていると、掴まれたままの腕を顔の横に押しつけられる。えっ。

「やっぱり、ナナシはもう少し大人になった方がいいぞ」
「え?」
「……なんでもない。ほら、スクール行くぞ!」
「あ!ま、待って!」

 勢いよく部屋を飛び出し階段を駆け降りるホップくんの後を慌てて追いかける。おばさんに行ってきますと声を掛け、玄関の扉を開くとホップくんの楽しそうな顔。

「ナナシ!ブラッシーまで競争だぞ!」
「ええっ!?む、無理だよ!」
「じゃあハロンの端までな!スタート!」
「あ!ズルいってば!」

 さっさと走っていくホップくんと必死で追いかける私。それをおばさんとチョロネコが微笑ましそうに窓から眺めていた。


****


「て事があったよね〜」
「そうだったか?」
「覚えてないの!?」

 私はあの日、それはそれは衝撃を受けたんだからねと大袈裟に教えてあげる。私にとって、ホップくんが大人に見え始めた日で、焦り始めた日なんだから。あれから必死にホップくんに置いていかれない様に勉強をして、知識をつけて。

「私、大人になれた?」
「当たり前だぞ」
「わっ!痛い痛い!」

 後ろからお腹に腕を回され、疎らにヒゲが生えた顎をほっぺに擦り付けられる。暫く研究所に篭って居たからか、めずらしく伸び放題だ。

「はは!触りたかったんだろ?」
「別にそんなんじゃないけど〜」
「そう言いながら触ってるのは誰だ?」
「分かんなーい」

 少しだけ背伸びしてほっぺを押しつけて、さらに反対側を指でなぞる。数分後には綺麗さっぱり無くなってしまうから今のうちに堪能しておかないと。
 毛並みに沿って撫でたり、逆向きに撫でたり。チクチク刺さるのもまた癖になりそうなくらい楽しい。実際癖になっている。

「なら、オレが教えてやるぞ」
「え、わ!ホップくん!」
「ナナシとは一緒に大人になった筈なんだけどなあ」
「ふふ、なんかおじさんくさい」
「……」
「わわわっ!ごめんなさい!やめっ、ちょっ!」

 するりと無言で服の中に入り込んできた手を止める。きっとまたムスッとした顔をしているのだろう。こういう時だけ表情が幼くなる。やってる事は大人なのに。
 やめてと口では言っても、久し振りな事もありそこまで本気で抵抗していないのはしっかり把握されていて。

 こうして私は期待の新人博士と共に日々大人になっていくのだ。





([蛇足情報]このスクール時代のホップくんは既に精通を終えて居ます!)




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