掌編

▼2021/07/31:はりやこ1

とある夏の日(付き合ってない)

 パタパタと絶えず髪から滴り落ちる汗が地面に滲みを作った。酸素の足りないせいで瞼の裏が白み、身体は熱いのに額がどんどん冷たくなる。身体中の酸素という酸素を使い果たし、酷使された肺がキリキリと痛む。動かし続けた脚の筋肉は限界を迎えたようで、地面に立っていることすら危うかった。本当はすぐに倒れ込みたかったが、残された微かな理性がそれを制した。激しい運動の後に突然停止するのは危険なのだ。
 玻璃はゆっくりと歩きながら大きく肩を上下させながら呼吸を整えることに意識を集中させる。すると突然、首筋をヒヤリとした感覚が襲った。

「ほら、水」

 ふらふらと歩く玻璃の後ろからやってきた夜光は、呆れを隠さない顔をして冷えたペットボトルを差し出した。スポーツドリンクを受け取り、一気に喉に流し込む。カラカラに渇いていた口内に冷えたドリンクは神からのギフトのように思えた。半分ほど飲み干したところで乱れた呼吸もようやく落ち着き、玻璃は隣で汗を拭く夜光に礼を告げる。

「頑張るのもいいけど、ペース配分はしろよ」
「はい、分かっていますよ」
「分かってないからそんなにバテてるんじゃん」
「ですが」

 言い訳しない、と身を乗り出した玻璃を夜光が制する。玻璃と同じ距離を走っていたはずなのに、体力を使い果たした自分と比べて夜光は平然としており疲れた素振りも見えない。

「ただでさえ暑いんだから張り切りすぎると熱中症になることくらい分かるだろ」

 お前が焦るのもわかるけどさ、と夜光は小さくこぼしてドリンクに口をつける。上を向いたことで晒される喉仏が上下するのをぼんやりと眺めながら、背丈の割にしっかりした首をしているな、と思った。
 チームCに加入してしばらく経つが、未だトップであるモクレンに勝てた試しはない。もちろん、ステージに立って踊ることすら未経験だった玻璃がその道を歩んできたモクレンに容易に勝てるはないのだが、先日のフェスで倒れてしまったことも相まって玻璃は早急に体力をつけなければと奮起していた。そこで声をかけたのが、玻璃の二つ歳の離れた夜光である。同じく大学生で、曲者揃いのスターレスでは比較的常識的な人物。聞くところによると、元アイドルの練習生で、スポーツにも堪能で、日頃から鍛えているらしい。体力作りのためにロードワークについて行ってもいいか、と尋ねた玻璃に、夜光は快く承諾した。
 夏真っ只中であるため昼間でも公園にいる人は少ない。日の傾きかけた時間とはいえ、猛暑の中で激しい運動をするのは危険でしかないと分かっている。
 分かっているが、今はそれを気にしている場合ではないのだ。

「……俺は自分の器量を把握しているつもりでいます。出来る無理なら、したほうが良い。後悔はしたくないので」

 夜光の正面に立ち、玻璃はそう告げる。じっと目を見つめると、快晴の空の色をした目がふと緩んだ。

「……お前は正しいことしか言わないな」
「え?」

 なんでもない、と夜光は肩をすくめて、空になったペットボトルを玻璃の手から奪う。

「もう一周する。ついてくるだろ?」
「はい!」

 よろしくお願いします、と玻璃は姿勢を正す。夜光は、そんな玻璃を見てかたいな、と笑った。
 蝉が鳴いている。まだもうしばらく夏は続きそうである。



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