掌編

▼2021/07/31:夜真1

いつか手を離すこと
 
 冷房の稼働する鈍い音だけが支配する空間に、聞こえてきた祭囃子の音で夜光は目を覚ました。隣で眠る真珠を起こさぬようにそっとベッドから抜け出し、冷蔵庫へと向かう。冷えたミネラルウォーターのペットボトルを片手に、ベランダへと出るとむわ、と熱のこもった熱が身体中にまとわりついた。今まで冷えた部屋にいたので、その生ぬるさに不思議と嫌悪感はなかった。外を覗いてみると、数ブロック離れたところに大きな灯りを見つけた。道に溢れる人々の姿や立ち並ぶ屋台、笛や太鼓の音、それらから今日は祭りがあるのだと思い出すのは容易であった。
 都市部から少し離れたこの地域では夜に出歩く人はごく僅かで静かな環境なのだが、催し物には力を注いでいるらしい、子供ならとっくに眠っている時間であれど騒ぎの収まる様子はなかった。引っ越してきたばかりで、地域との繋がりにも乏しい夜光には知り得なかったことである。
 祭りの存在は知っていたが、これほどのものとは。こんなに大きな物ならば参加してもよかったかもしれない、と思う。特に真珠はイベントが好きだから、きっと楽しんだろうに。
 しかし、今日は二人とも久々のオフということで昼間から出かけ、疲れ切って帰ると早々に眠ってしまったのだった。
 しばらく祭りの様子を眺めていた夜光だが、心地よかった温かな空気が段々と熱を上げ、じんわりと肌に汗が滲み出してきたためベランダから室内へと戻る。窓を閉めてしまうと、大騒ぎの音もずっと小さくなった。
 一度目が覚めてしまうと中々寝付けない体質のため、夜光はベッドの中に戻ることはせず直接床に座り込む。そもそも、布寝床のスペースが広くなったと就寝中ながら察した真珠が夜光の場所まで侵入してきたため再び寝転がることすら不可能だったわけだが。
 真珠は外の喧騒も知らん顔で大口を開けて眠っている。あまりにも間抜けな様子に夜光は気の抜ける心地がした。
 明日の朝に祭りのことを教えたら真珠は悔しがるだろうな、と思う。せっかくなら行けば良かったと残念な顔をして、そうしてきっと、来年は行こうよ、と提案するのだ。単純で、屈託のない真珠を思えば想像するのは簡単だった。
 来年、次、という言葉が真珠から出てくる度に、愛おしい気持ちとどうしようもなく苦しい気持ちが交錯する。共に居ることに幸福と、苦痛を抱く。他人同士なのだから理解しあえないのは当然と言えども、あまりにも真珠と夜光は違いすぎる。幾度もすれ違いを重ね、その度に綻びを雑に結んできた。今後もそれは変わらないのだろう。いつか耐えきれなくなるその時まで、綻びの誤魔化しが効かなくなるまで。
 別れは惜しむものだけれど、早くその時が訪れてほしい、と思ってしまう自分がいることを夜光はよく知っていた。
 だから、真珠には内緒にしておくことにした。幸い真珠は鈍いので、言わなければずっと知らないままでいてくれる。
 秘密を重ねること、嘘を繕うことは得意だった。
 その時、一際大きな歓声が聞こえてきた。同時に音楽も激しさを増す。
 決して目を覚ましてくれるなよ、と夜光は祈るようにベッドに置かれた手に自分のそれを重ねた。




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