遥かの夜空を、六等星まで

あなたと一緒がいい

※名前(美幸)のあるモブがメインです。


 あの子が笑うと、まるでお日様が差したように周りの人の心をほぐしてしまう。魔法でも使っているみたいに。

「みゆきちゃんっていうの? ユキちゃんって呼んでもいい?」

 そうやって笑いかけてくれたあの日から、私はあの子という太陽をずっと追い求めている。




「ユキちゃんユキちゃん」
「なに、サキ。今度は何したの」
「何もしてないよ。あのね、重大発表があります!」
「はっ、まさか、サキあんた……」
「そうです、私、風見早希、ついに」
「ついに」
「……限定ショコラプリン買えました!」
 知ってたよ。
 がく、と項垂れる美幸のことは眼中にないようで、早希はいそいそとビニール袋から例のプリンを取り出す。丁寧にスプーンも持って、ほくほくと誇らしげな顔だ。そこで彼氏だの好きな人だのが出てこない辺りは早希らしいといえば早希らしい。

「ユキちゃんにも一口くれてやろう」
「……ありがたき幸せ」

 仰々しく頭を下げた美幸の事がよっぽどおかしかったのだろう、早希は鈴の転がるような、軽やかな笑い声を上げる。早希の笑みが収まった頃、美幸は顔を上げ、顔を見合せた早希と美幸はどちらともなく吹き出した。

 そんな日常も、今となっては随分と遠い記憶だ。

「……既読くらいつけてくれたっていいじゃない」

 明かりを消した寝室で、ベッドに寝転がった美幸はスマートフォンの画面を睨んで呟いた。トーク画面を開いたまましばらく待ってみても何も変わらない。美幸は、背景画像のツーショットで微笑む、制服を着た自分と早希が憎らしく思えた。こんなものに当たったところで、返事が返ってくる訳では無いのに。

「なにしてんの。バカサキ」

 スマートフォンの画面を落とし、枕に顔を押し付ける。こんな夜を迎えるのも、これで何度目か。きっとまた明日も同じように画面を睨み付けて、早希からの返事はなくて。こんな事で泣くことなど許されない大人だから涙なんて零さないが、心の中では悲しくて辛くて泣いている。そんなんだと友達やめちゃうよ、と言えたらよかったのに。やるせない思いを抱えたまま、美幸は目を閉じた。
 美幸が早希と出会ったのは、高校一年生の入学式。美幸の前に座った早希に、声をかけられたことが始まりだ。同じ中学校出身の人が一人もいない環境に加え、人見知りのきらいがある美幸にとって、早希は救世主のようなものだった。姉御気質で責任感が強い美幸と、どこか放っとけない危うさのある早希の相性は良くて、席替えがあっても何となく2人でいるようになった。昼食も、体育のペアワークも。取っ付き難い雰囲気のある美幸とは正反対に、朗らかで明るい早希はクラスの皆からよく好かれたが、それでも早希が最終的に選ぶのは美幸だった。そんな、ちっぽけなことにこっそり優越感を覚えていたとは、誰にも言えない秘密である。2年、3年とクラスが離れても、2人とも部活動に所属していなかったので一緒に帰るのが日常だった。寄り道してカフェに行ったりファミレスに行ったりもした。人気者の早希は、勿論色々な男子から好かれた訳だが、美幸が一睨みすると大抵の男は情けなくも去って行く。早希の彼氏になるにはまず美幸に認められなければ、とクラスメイトは言ったものだった。美幸の姿を見かけるとユキちゃんユキちゃんと走り寄ってくる、可愛い可愛い早希。ただふわふわしているだけでなくて、ちゃんと自分を持っていて案外頑固な一面もある。喧嘩だってした。それでも、美幸は自然体で魅力いっぱいな早希のことが大好きだった。
 大学生、社会人と、美幸と早希を取り巻く環境は変わったが、それでもお互い連絡は取り合っていた。忙しい時であろうと、よっぽどの事がなければ毎日一言は必ず。不思議なもので、全く進まない会話だと言うのに苦痛は一切感じることなく、むしろその位のテンポ感がちょうど良かった。朝ご飯の話を3ヶ月も続けていた時は、一体自分らは何をしているんだろうかと笑いあった事もある。休みが合えば2人でご飯を食べに出掛けたり、長期休みには互いの家に泊まりあったり。ずっと、このままでいると思った。距離なんて、環境なんて、美幸と早希の絆を壊すには足りないと。
 早希からの連絡が途絶えて、もう5日。既読すらついていない。仕事が忙しくなる時はその旨を伝えあっていたので、こんなことは初めてである。まさか事故にあったり病気にかかったりで入院しているのではあるまいな。催促するために追加の連絡をすればよいものの、鬱陶しいだなんて思われやしないかと変に気後れしてしまう自分がいる。早希が、そんな風に思うような子ではないと分かっているはずなのに。
  そんな矢先である。転機は、急にやってくる。 現代を生きる社会人に、週休二日など夢のまた夢なのであった。今日も平和に休日出勤を終えた美幸は、何となく帰りたくない気分になって人混みに身を任せて歩いていた。明日は休みだから、久々に明け方まで飲んでしまおうか。そんなことしてると身体壊すよ、と早希の怒った顔が脳裏に浮かぶ。甘い顔立ちだから、怒ったところでちっとも怖くないのだ、あの子は。
 ああいけない。どんな時だって、あの子の顔がチラついて堪らない。まるで片想いをしているみたいだ、なんて。
 視界の端に、揺れる髪を捉えた。ふと気になって、視線を上げた。

「……サキ?」

 間違える筈がなかった。3年間毎日見た顔を、今になって忘れるなんて有り得ない。一瞬だったけれど、確かにあの横顔は早希で。慌てて美幸は振り返り、早希と思わしき人物を探す。その後ろ姿は、すぐに見つかった。

「さ、サキ……」

 声をかけようとしたけれど、美幸の言葉は小さな息に変わってしまった。
 男だ。早希と思わしき人は、目の前の男に声をかけられて歩みを止めた。同時に美幸も動きを止めたので、道行く人と肩がぶつかった。小さく舌打ちをされたが、謝るだとか会釈するだとか、そんな余裕はなくて。一言二言を交わしていたかと思えば、男は早希を促して歩みを進める。素直に従うその横顔は、やはり、確かに早希だった。少し痩せた気がするけれど、変わらない優しい顔。忘れたことなんてなかった。
 美幸は、固く拳を握りしめ、大きく息を吸う。 これから行う行為は、あまり褒められたものではない。それどころか、犯罪にほど近い。ちょっと、ほんのちょっとだけ後をつけて、心配なければさっさと帰ればいいだけの話だ。早希が危ない目や怖い目に合っていなければそれでいい。それが分かれば、きっと、頭から抜けているだけでその内思い出して返事をしてくれるんだ、と思える気がした。
 美幸は、ほんの少し痛む心を置き去りにすることにした。
 隣合って歩む2人の背中から、数メートル離れて美幸は追いかける。随分と仲がよろしいようで、時折隣を向いた早希の微笑む横顔が見えた。男の方をよく見てみると、やはり随分と背が高く、スタイルがいい。この距離でも、かなり整った顔立ちをしていると分かった。その脚の長さ、さてはお前日本人ではないな。自然に早希が歩きやすいような速さで歩く様はエスコート慣れしていると思わせる。そんな2人の歩む先は、お洒落なカフェでも、大型ショッピングモールでもなく、薄暗い裏路地であった。この先は、美幸も詳しくはないが、あまり治安の良い所ではない筈。所謂夜系のお店が集うエリアだ。そんな所に、何故早希が行かねばならないのか。だって、事ある毎に美幸は早希に言いつけていたのだ、簡単に人の言う事を信用するなと。良くも悪くも素直な早希は、人を疑うことを知らない。セールスや宗教の勧誘にほいほいついていきそうだと、クラスの皆も言っていたくらいに。
 早希の歩みは、薄暗い道でも一切躊躇いを見せずに、まるでここが庭だと言うように迷いなく進む。そんな様子に違和感を覚えつつも美幸は二人から視線を逸らさずついて行く。そしてしばらく経つと、二人の目的地に辿り着いた。

「シアター、スターレス」

 聞いたことの無い店だ。シアター、とあるから映画館だろうか。こんな辺鄙な所に? いや、マイナー映画を取り扱っている映画館なのかもしれない。
 美幸は恐る恐る店に近付く。早希と男はとっくに店内に入ってしまった。

「いらっしゃい、ここは初めて?」
「へ、は、はい?」

 周りの様子を伺いながら美幸が店先に貼ってあるチラシ等の掲示を見ようと近付くと、不意に声をかけられた。気配がなかったもので、美幸は肩を大きく跳ね上げる。

「ごめん、驚かせた」
「いや、あの、だいじょぶ、です」

 美幸は声の主を辿り、そして大きく目を見開いた。

「じゃあ、ついてきて。案内するよ」
「え、いや、あの、私」

 妖精、あるいは天使、そんな言葉が不意に頭に浮かび上がった。光に透ける銀髪と、薄いラベンダー色の瞳。全体的に色素が薄くて、品の良さを感じる。派手ではないが、整った顔立ち。すっきりとした鼻筋から聡明さが滲み出ているようだ。
 男は、固まってしまった美幸と目を合わせてにこりと微笑む。

「ん?」
「なんでもないです」
 じゃあ行こうか、と声の主は美幸の手を取り店内に引き入れた。余りにも流れるような動作で、美幸は反応することも忘れていたが、これは何だかおかしくないか、と徐々に思い始める。しかし手首を掴む男の力は存外に強く、簡単に離れそうもない。それに、ここまで来てしまったのだ。これならば、早希とあの男の行先をこの目でしっかり焼き付けてしまおうか。いや、それでもこんな怪しすぎる店に入ってしまうだなんて。
 先の見えぬ階段を降りながら、悶々と考え込む美幸を他所に男は声をかける。

「俺、銀星って名前。覚えてね」
「ぎんせい?」
「そ。源氏名みたいなやつだと思って」

 源氏名、と美幸ははたと立ち止まった。銀星と名乗った男は不思議そうに美幸を見た。美幸は気にせず頭をフルに回転させる。間違えていなければ源氏名とは現代でキャバクラ嬢が使う名前だった筈。源氏名を使う男。キャバクラの男版。導き出される回答はただ一つ。
「え、ホストクラブ? え、ま、無理無理無理無理」
「ほす!? いやっ、違う、待って、違う、違うから」

 ぐい、と銀星のから逃れようと手を引っ張る美幸と、慌てて美幸の手を握り直す銀星。当初の目的も忘れて、ぶんぶんと首を振る美幸はこう見えて実は大変なへっぽこなのだ。銀星は訳の分からぬまま怖気ずく美幸を宥めながらも、発された言葉を否定する。

「いや、でも、源氏名って」
「俺の例えが悪かった、ホストクラブじゃないよ。ここはショーレストラン」「しょーれすとらん」

 銀星は頷いて説明する。ショーレストランとは、その名の如く、舞台で繰り広げられるショーを楽しみながら食事をする娯楽地。おの店、スターレスでは、5人のキャストによる歌とダンスのショーがメインだそうだ。初めてその存在を認知した美幸は感心したように呆けた返事をする。ショーレストラン、それならまだ、デート現場として可笑しくはない、はず。

「変な所にあるんですね」

 もっと明るいところに作ればいいのに、と零す美幸に、銀星は曖昧に笑った。
 美幸が落ち着いたところで、二人は再び歩き出す。そして、いくつかの階段を降り、ようやくフロアが見えてきた。

「……わぁ」

 そこは、外観とは全く違う世界観だった。正面にはステージがあり、その前にテーブルと椅子。もう既にいくつかの席は埋まっていた。ほとんど女性客のようだった。カウンター席もあるようで、棚には様々な種類のボトルが置かれている。端の小さな螺旋階段は何だろうか。二階に上がることもできるらしい。そして、何より美幸の目を引くものがある。

「鯨の骨!」

 天井から吊るされるのは巨大な鯨の骨格。周りにはぽつぽつと丸い照明が仄かに光を放ち、まるで深海の中にいるかのような内装だった。美幸は無邪気に銀星に尋ねる。

「あれってシロナガスクジラ? いや、ザトウクジラかも。なんですか?」
「え、いや、知らないな」
「あれ、そうなの。きっとレプリカですよね、サイズ的に」
「まあ、そりゃ、本物ではないと思うよ」

 でも凄い、と目を輝かせる美幸に、銀星は拍子抜けした顔をした。

「なに?」
「いや、なんでも。席に行こう、こっち」

 銀星に促され、は、として美幸は早希の事を思い出す。美幸の前を歩く銀星の背を追いながらも周囲に目を配り、彼女の面影を探した。
 目当ては、案外直ぐに見つかった。何故なら、例の階段を登っていたから。ここからだと少し距離があるが、男に手を引かれる早希は満更でもないような顔をしているのが分かった。時折そちらの方を見ながらも銀星に案内された席に着く。一番後ろの、角側。ステージが少し見にくいが、その代わり僅かに二階部分が覗けた。しかも、早希たちが登った方の。
 銀星は、美幸に少し待っているように伝えると、美幸のすぐ後ろの扉の向こうへ姿を消す。好機だと、美幸は怪しまれない程度に首を伸ばして少しでも二階が覗けるようにした。しかし、見えると言っても人の頭くらいで、誰が誰かなのかは判別がつかない。ここから視える頭は二つしかないが、本当はもっといるのかもしれなかった。
 しばらくして銀星が戻ってきたので、美幸は慌てて姿勢を正す。かしこまった美幸に、何を今更、と銀星は小さく笑って小さなカクテルとケーキを差し出した。紫色をしたカクテルと、苺の乗ったショートケーキ。きょとん、と美幸は銀星を見上げる。

「初めてさんには、サービス。今からチームCの公演だから」
「チームC?」
「百聞は一見にしかずってね。……ほら、幕が上がる」

 銀星はそう言って、前方の舞台を指さす。ちょうその時、ブザーが鳴った。
 そして、音楽が流れ出す。




ぽかん、とした美幸は、しばらく動けないでいた。周りの客が上げる歓声や拍手の音が、まるで水中にいるかのように霞んで聞こえる。それくらいに、美幸の心は奪われていた。
 美しいとか、凄いとか、そんな言葉が全て陳腐なものに思われる。この世の全ての感情をずらりと一面に並べてもきっとこの感覚は探せないとすら思った。喜びを、怒りを、悲しみを、慈しみを、全てごちゃごちゃにかき混ぜた目まぐるしいステージは、今までに感じたことの無い衝撃を持って美幸を襲った。自分の中から湧き出てくる様々な感情を押さえつけることが出来なくて、悲しくもないのに何だか泣きたくなってしまった。
 銀星は、ショーが始まると同時に姿を消したようだ。周りの客もざわめきながら食事を始めたり席を立ったりしている。美幸のテーブルの置かれたカクテルもケーキも、一切手がつけられていない。しばらく深呼吸をして、落ち着きを取り戻した美幸に、再び声がかかった。しかし、その声は銀星ではない。

「ねぇ、君、サキちゃんの友達でしょ」

 ひらひらと手を振り笑ってみせた男は、美幸の正面の椅子に座った。先の銀星と同じく色素の薄い男だが、こちらは随分と軽そうな印象を受けた。
「オレ、晶ね。結晶の晶と書いて、あきら。よろしくね〜」
「よ、よろしく?」

 晶、と名乗る男は美幸のテーブルに置かれた綺麗なままのケーキを一瞥すると、食べていい? と首を傾げる。銀星と同じ従業員だろうか。それにしても顔がいい。すっきりとした銀星とはまたタイプの違う、甘い顔立ちだ。晶か銀星なら銀星の顔の方が好きだなぁ、とぼんやり考えながら、ケーキを食べる気もカクテルを飲む気もなかったので頷いてみせる。やった、と顔を輝かせた晶はすぐさまフォークでケーキをつつきだし、美幸は何となくその様子を見ていた。
 従業員が客に食事を貰うのは今までに体験した事のない営業形態だ。最近の店の進化には追いつけそうもない。こんなにも従業員と客の距離が近いだなんて、それこそホストクラブのようではないか。晶も、初めの一声がサキの友達か、だなんて。

「え、サキ?」
「おっそーい。今気付いたの?」

 ぼんやりしてんね、とけたけた笑う晶だが、美幸それどころではない。

「サキを知ってるの!?」
「知ってるも何も、君がつけてきたんでしょ、あの子のこと」
「え、なんでバレ……いや、なんでもない。でも、どうして」

 ぎく、と自分のストーキング行為が赤の他人にまで知られていることに疑問を抱く前に羞恥が勝り、慌てて誤魔化す。しかし晶は、そこに触れることはなかった。

「まずね、変だなぁと思ったの。仕事帰りのままここに来る人いないから」

 今にも掴みかかりそうな勢いで晶に食ってかかる美幸をさらりと流すかのように晶は言う。思わぬ指摘に美幸はざっと周りを見回して、ぎょっとする。確かに、周りの客を見てみると女性客ばかり、しかも存分に着飾った。煌びやかで彩やかなワンピースに、いかにも高そうなバッグ。一般的OLの格好をしている自分がいかに場違いかを思い知った美幸は顔を赤くして小さくなってしまう。

「ここ来てからチラチラ上の席見てたでしょ、でも危険な感じはしない。それに……」

 ス、と目を細めた晶が、美幸の鞄を指さす。何の変哲もない、ブラックの仕事用の鞄だ。だが晶が指したのは、正確に言えば鞄ではない。

「そのぼろぼろのマスコット、お揃いでしょ」

 はっ、息を飲んで美幸は勢いよく顔を上げた。まさか信じられないとでも言いたげな顔。しかし、晶は先程の甘い笑みを消し、真剣な面持ちで頷く。

「それ、サキちゃんも同じのつけてた。同じくらいぼろぼろの」

 それは、高校の卒業旅行で二人で行ったテーマパークで揃いで買ったものだ。同じものだけれど、別々で購入した後に交換したマスコット。ユキちゃんと同じものが欲しいのだと、サキから買おうと提案してきたものだ。ずっと、つけていた。大学生時代のリュックにも、仕事用の鞄にも。随分と昔のものなので薄汚れて、会社で何人かには指摘されたものだ。いつまでつけているの、と。確かに、いい歳した大人がいまだ青かった頃に縋っているようで情けなく見えるのかもしれない。それでも、早希との思い出を美幸は手放すつもりはなかった。

「サキも、同じのを……」

 ぎゅ、と拳を握り締めて美幸は震えながらも声を発した。

「そっか、そっかぁ」

 晶は、視線を緩めてふと二階席の方を見る。つられて見上げると、一人分の頭しか見えなくなっていた。晶の顔を見ると、あれは早希で間違いなさそうだ。ふと、気になったことを口にする。

「あの人は、サキの彼氏じゃないの?」

 街中で早希を連れて行った、背の高い日本人離れしたあの男。晶に男の特徴を掻い摘んで説明する前に、鋭い声が美幸を制した。

「違う」
「あ、そう」

 では誰なのかと聞こうとして口を開いた美幸に、晶は首を振った。

「説明は、出来ないけど。複雑でね」
「サキが巻き込まれてるの?」
「そう言われると、そういうことになる、かな」

 顔を顰めて美幸は再び上を見上げる。そんな様子は微塵も感じなかった。連絡が途絶えていたのは、この複雑な何かに巻き込まれているせいなのか。嘘が下手な癖に、苦しみを隠すのは上手いのだ、サキは。何も、教えて貰えなかったことが悔しくて堪らない。
 そんな美幸に、晶はひどく凪いだ声をかける。

「ここにいる限りは、大丈夫だからさ。ね」

 この、煌びやかで彩やかなショーレストランが早希を守っている。銀星に、何故こんな立地のところで店をやっているのかと尋ねた自分がいた。馬鹿な質問だったかもしれない。何かに、巻き込まれるような、仄暗い店。大きな鯨の骨格に圧迫感を感じた。ただ綺麗なショーなんかではない、ここはもっとドス黒い何かが蠢く場所なのだと思い知らされるように。

「……なんで、あの子はこんな所に」

 こんな所って。多分、そうやって言うのは美幸がただの一般人だからだろうか。周りの客は、そんな不穏な雰囲気を感じさせずに輝かしい格好をして娯楽に勤しんでいる。あんなに心を奪われたショーが今、とてつもなく恐ろしいものに思えて仕方がなかった。

「……なんでだろうね」

 晶は、早希のいる席を見つめながら笑った。
 何故、貴方がそんなに泣きそうな顔をするの、と聞くことは叶わなかった。
 晶の、色の薄い髪が照明に透けている。急に陰ったように思えた店内で、それだけが唯一綺麗に見えた。美幸はどうしようもなくなってぽつん、と呟く。

「……あの子を泣かせたら許しませんから」「うん、その時はぶん殴りに来て」 顔を見合せた二人は、どちらともなく笑い声を上げた。けらけらと、その場には到底相応しくない陽気な声で。



 お代は、初回限定サービスとのことで無料だった。帰り際、店の外まで見送ってくれた晶が美幸の鞄のマスコットをちょいとつつく。

「また来てくれる?」

 晶が尋ねると、美幸は少し考えてから首を振る。

「サキが誘ってくれるまで待つわ」

 きょとん、とした晶だが、鼻の頭に皺を寄せて笑った。

「それがいい」 





「サーキちゃん」
「わあ、こんにちは晶さん。お疲れ様です」
「ね、今日俺が送ってくよ」
「いいんですか?」
「いーのいーの、任せて……約束、したからね」「え?」
「なんでもないよ、ほら、Cの連中がきみのこと待ってる、行ってあげて」






Fin.

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