遥かの夜空を、六等星まで

吐き溜めに巣食う

※未成年の喫煙表現

 中身の殆ど残っていない百均ライターを付け、煙草の先を炙る。適当に転がした男の上着のポッケから抜き取ったそれはいかにも安っぽかった。特に煙草の銘柄へ拘りはないが、お手頃価格な煙草の水っぽい苦味は好きにはなれない。しかし、箱の中にはまだ数本残っていて、さてどうしたものかと頭を捻る。捨てても良いが、勿体ない。誰か適当な奴にでも押し付けてしまおうか。
じじ、と先端から燃えていく様子を、湿気たB級ホラーでも観るような目付きで藍は見ていた。ミズキに言わせるとクソつまんねえものを見てる目。いや、B級ホラーも、あれはあれで面白い所もあるんだ。隠しきれない安っぽさとか、困ったら取り敢えず血飛沫! 爆発!セックス! といった全開の頭の悪さとか。はて、何でアメリカのカップルは心霊現場でセックスをおっぱじめるのだろうか。新手の除霊だろうか。寧ろドスケベなタイプの霊は寄って来るのではないだろうか。しかし、人間の生存本能的に生命の危機が迫ると生殖欲求増し増しになるというのは本当なので学には倣っている。B級映画と言えど侮れん。阿呆なのは、我々人間の本能なのだ。
藍は先程の男を思い出した。路肩で女に怒鳴り散らしているから、裏まで引き摺りこんでちょいとお灸を据えてやったのだ。顔なんざこれっぽっちも覚えていないが、彼奴のイチモツも一丁前におっ勃ってていた所まで思い出して顔を顰める。あの程度で生存の危機を感じてちゃ、これからどうやって生きてくんだろうか。四六時中子種を放つことしか頭にないんだろうか。イヤァ、カワイソ。
 餓鬼増やしたところで何の解決にもなっちゃいないのになァ、と藍は意味もなく空を見上げる。今朝見ためざましテレビで、カヤチャンはお洗濯日和の快晴だと言っていた。カヤチャンが言うのならそうなのだろう。キャンバスに描かれたまんまと言っても過言ではないくらいに綺麗な青空だった。
 徐にスマホを取り出し、時間を確認する。チームBのレッスンまでは数十分といったところか。画面を落として仕舞おうとしたその瞬間、微かなバイブ音を立てて上着のポケットが振動した。す、と表情を消した藍は、手元にあるスマホを一旦地面に置き、左ポケットに手を伸ばす。画面に映し出された名前を確認し、小さく舌打ちをして耳に当てた。

「いーかんだいーかんだ、セーンセェに言っちゃお」

 タップ音がして音が止む。振り向いた藍は意識的に口角を吊り上げた。

「先生は、誰なんや?」
「んー金剛? いや、ケイ?」
「あはは、金剛は何も言わないって。あ、でもケイは五月蝿いだろうなァ、客商売やぞって」

 なぁにしてんの、と扉から顔出していた晶が藍の隣に腰を下ろすと、右手に収まったままの煙草を見て片方の眉を吊り上げた。藍は臆することなく無邪気に答えてみせる。

「緩やかなジサツってやつ?」
「その言葉生み出した人知ってる?」
「知らない」
「おれ」
「わぁお天才」
「でしょー」

 藍は晶を横目で見やり、左手に隠し持ったスマホをそっと仕舞った。晶は足元に放ってある煙草の箱を見て苦虫を噛み潰したような顔をする。

「うっげ、こんな安いの吸ってんの?」
「オレのじゃない」
「あっそ。てかさっきの話さぁ」
「晶が天才って話?」
「違うよ嘘に決まってんじゃん。ほら、金剛。お前が煙草吸ってて怒んないの?」
「あ〜、何も言わんやろ」

 へえ意外、と肩を竦めた晶はズボンのポケットから煙草の箱を取り出す。藍に断ることなく火を付け、あろう事か顔の前に差し出した。

「いる?」
「いや、今はいいや」

 藍は箱の中の煙草を全て取り出し、そして全てに火を付けた。それらをポイと足元に放る。散らばった煙草たちから細く煙がたち始め、緩やかに上へ上へと伸びていく。その様子を見ていた晶は、薄く開いた唇から煙を吐き出して零す様に呟いた。

「そーゆーの、ちゃんとしてそうだけど」
「金剛が?」
「金剛が。Bの中じゃ一番マトモじゃん」
「え、それマジで言ってる!?」

 ぎょっとした藍は思わず晶の二の腕を掴んだ。口元には堪えきれない笑みが溢れ、晶は嫌そうな顔をした。

「え、なに怖いんですけど」
「ハハッ、冗談も大概にしときや晶。まっさかあのオッサンがマトモな神経しとる訳ないやろ」

 スターレスには種々様々な一般人の成り損ないがいるが、その中でも訳分からない代表は金剛だと藍は思っている。そうか、傍目ではあの男は普通に映るのか。ははあ、成程、この晶、案外人を見る目がないのか? あんな化け物じみた生き物がマトモに見えると。それはそれは、大層失礼な文言ではないか! 万死に値する!
 金剛がスターレスに来る前にしていたのは新体操とプロレスだ。己の肉体が織り成す、頭の天辺から爪先まで神経を尖らせた技により美を追及する芸術競技と、血みどろになるまで、性根尽きるまで相手を嬲り倒す格闘競技。その二つを渡り歩いただけでも相当頭可笑しいのに、今はなんとアングラレストランのキッチンスタッフとは。ついでにパフォーマーもやっているとは。これのどこがマトモだと言う。マトモ、の意味を今一度辞書で引き直した方が良いと本気で思った。手元のスマホでちょちょいと調べて見せてやろうかと。

「金剛にとっちゃ全部が何でもないんや。全部が無関心って言うの? 彼奴、スターレス潰れたら今度は殺し屋でもやるんやない?」
「あー……ちょっと分かった。そういうことね。意志がないんだ。意志ってか意思?」
「同音異義語で喋んなって。多分合ってるけど。……スターレスの連中はさァ、揃いも揃って何かに執着してんの。歌に金に家族に女に。でも金剛はなァんもない。Bに入ったのだって成り行きだし。そういうヤツが、何か仕出かすんが一番怖い」

 例えば、どっかのチームのトップなんかこの場所そのものに執着しており、執着し過ぎて諸々との対立が耐えない。この間も二人がチームから離脱したばかりだ。彼は一家を守る大黒柱のつもりなのか何なのか。藍の目には自分を保てる場所自分が守られる場所に縋っているだけのようにも見えた。そういうヤツを動かすのは簡単だ。分かりやすい人質がいるのだから。執着が強ければ強いほど、足元は崩れやすい。
 晶が二本目の煙草を取り出した。
 晶も、藍から見るとどちらかと言えば執着のない側だと思う。でも、脅威には感じない。

「藍は、何に執着してる訳?」
「快楽」

 即答してみせた藍はにしし、と鼻の頭をくしゃくしゃにして笑う。晶は首を振ってお手上げだとでも言うように煙草を咥えたまま両手を上げた。

「金剛と比べたらオレなんか女子高生よジェーケー。タピオカ飲んでインスタ上げんの。その辺にいるような何でもないヤツ」
「ふうん」

 はあ、と晶が煙を吐き出した。隣にいる藍は当然の如く吸い込むわけで、肺が重たくなった気がした。受動喫煙の方が、吸っている者よりも受ける害が強いのである。ならば煙草は緩やかな自殺、というより無差別殺人ではないだろうか。藍は放った煙草たちはもう半分くらいの長さになっている。今この場所にいるだけで有害物質を通常の何倍くらい浴びているのだろうか。明日肺炎になっていたら笑う。

「そーゆーとこ含めてオレは金剛好きだけどな」
「ラブ?」
「そーそーラブラブ、激ラブ。オレってば三十過ぎのオッサンに恋しちゃってる訳。金剛になら抱かれてもいいってか抱かれたいってか抱かれるしかない……ってな訳あるかーい! ケツ裂けるわ!」

 おおノリツッコミ、と晶は体を態とらしく体を仰け反らせた。

「晶見たことある? リトル金剛。あれマジエグい。ドンキのディルトがショタに見えてくる」
「いやー……見たらおれまで雌になりそ」
「ケツ処女捧げるんなら金剛はやめとき、ちっせえのはミズキだから、ミズキにしとき」
「いやミズキが可哀想だろ。それにおれ男に抱かれる趣味ない」
「いや、でもハマると死ぬほどイイって言うやんか。Twitter見てない? 即落ち二コマって知ってる?」
「なに、藍くんは非処女なの」
「んー?」

 晶は咄嗟に藍から人間三人分くらいの距離をとった。

「ジョーダンジョーダン、本気にすんなって。えっちするならやわっこい女の子のが良いに決まってんじゃん」
「お前の冗談は冗談に聞こえないんだよ。てか非童貞? ミズキには言うなよ、ガチ凹みするから」
「あ、もうやったわそれ。一週間家籠ってたなー」

 それを聞いた晶はそういえば、と思い出す。チームBが発足してからサボる事がなかったミズキだが、つい最近誰とも連絡がつかなくなって店に姿を見せなくなったのだ。戻ってきたときの落ち込みようが凄くて、いつもなら叱る所なのに誰も深く触れなかったのだ。まさか戦犯がここにいたとは。

「清らかってことはいい事やって」
「お前マジ良い性格してんね」
「そう褒めんなって」

 アハハ、と藍は汚く笑う。晶もケタケタと肩を震わせて笑った。
でさァ、と言葉を紡ごうとした藍は開いた扉の音に遮られる。

「なにしてんの。ていうか臭い」
「あー、悪いヒース。今ここ超肺炎ゾーンだから近寄んなよ」

 惜しげも無く嫌そうな顔をしたヒースはしかし扉を閉めて二人に近付いた。

「藍、もう皆集まってる」

 え、と慌てて藍がスマホを確認すると、集合時間を5分ほどオーバーしていた。

「ヤバッ? うわぁやらかした!」
「そう思うなら遅刻しないで。ミズキが不機嫌」

 それを受け止める此方の身になれ、とヒースは藍の頭を軽く小突く。大袈裟に頭を抑えた藍を一瞥して、ヒースは晶に向かって首を傾げた。

「何話してたの?」 
「男同士の秘密だよ」
「キモイね」

 バッチリ100点満点のウインクを決めた晶は、冷めたヒースに一蹴される。それを見ていた藍はそういえば、とヒースに顔を向ける。

「ヒースは女抱いたことある?」
「は?」

 てか体力持つの、と失礼極まりない発言をした藍に、ヒースは咎めるような顔をして、やめた。

「そういうの、いいから」
「えー何でー? 教えてー」
「ハイハイ、いつかね」

 足元に纏まりついた藍を強引に振り払ったヒースは振り返ることなく扉の向こうに姿を消した。残された二人は、そっと顔を寄せ合う。

「これはどっちよ」
「そんなん童貞に決まっとるやろ」
「それな」

 箱を埋めていた煙草は、いつの間にか小指の爪程度の長さまで身体を燃やしていた。拭い去るのは困難なほどに濃厚な煙が二人の周りを囲う。それでも、上を見上げると空は綺麗だった。たかが十数本の煙草なんぞ、お空様にとっては砂利のようなものらしい。
 いい天気やなァ、と藍は笑った。
そうだね、と晶は笑わなかった。

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