遥かの夜空を、六等星まで
   

白樺に染まる

 もぞもぞ、と隣で早希が動くのを感じて、黒曜も同じく目を覚ました。薄く目を開けて隣に視線をやると、うつ伏せの体勢で顔だけ上げた早希がいる。首は痛くないのだろうか、と思った。本日の寝癖も立派に仕事をこなしているようで、前髪が一束ひっくり返っている。早希は、しばらくそうやってぼんやりした後、不意にぽすん、と枕に顔を埋めた。まったく何がしたいのか理解不能だが、その不可解な動きがあまりにも面白くて黒曜は吹き出しそうになのをこらえて唇を噤む。

「ん〜……ん」

 尾を引く眠気に抵抗して、そのままの体勢でぐりぐりと枕に顔を押し付ける早希は、駄々を捏ねている子供を連想させた。カーテンの隙間から降り注ぐ太陽の筋が、布団がずれた事により露になった早希の肩先にかかる。透き通るように白く滑らかな肌に、所々己の独占欲が赤く散っていた。生々しい昨夜の痕跡に、満足感を覚える黒曜であるが、きっと早希にはぶつくさ小言を言われるのであろう。求めてきたのは自分のくせに、そして満更でもないくせに。何とも理不尽な奴だと己の事は棚に上げて黒曜は思った。

「こくよーさん、朝ですよ。おきて」

 ようやく覚醒したらしい早希が、間延びした口調で黒曜の肩を揺する。黒曜は、このまま寝たフリをしていたらどうなるだろうかと、湧き上がる好奇心のままに起きていることを悟られぬよう、再び瞼を下ろした。

「あさです、あーさー」

 根気よく揺すったり声をかけていた早希であるが、仕舞いには容赦なく布団の上から黒曜の体を叩き出す。早希も黒曜も、特別朝に弱いということはなく、朝に起こす起こされるといった展開はないので新鮮な気分だ。そういう所にも早希の生真面目で頑固な性格が表れている気がした。なるほど、と新たな発見をした所で、そろそろ起きてやろうかと思った黒曜であるが、ふと早希の動きが止まっていることに気付く。先にベッドから出て行くのかと思いきや、そんな素振りは感じなかった。黒曜は目を瞑ったままなので、早希が一体どんな顔をして何をしているのか分からない。このまま膠着状態が続くのは嫌なので仕方なく目を開けてやろう、と思った時である。
 ふに、と黒曜の頬がつつかれた。

「ふふ、赤ちゃんみたいな寝顔」

 何度か黒曜の頬をつついてみせたり、頭を撫でたり。好き勝手に黒曜を弄り回す犯人は随分と楽しそうだ。軽やかな笑い声が頭上から聞こえてくる。こんな風に早希から触れられることは初めてなのでは、と黒曜は思った。寝たフリをしている事を知らないので黒曜が起きている時には出来ない事が出来るのだろう。いつもはこちらから迫るだけで精一杯になり、強請っても結局逃げられてしまうのに。ほお、そうか。それならば、である。
 鼻先に、微かな息遣いを感じた。瞼の向こうが暗くなったのも。このまま大人しくしていれば先の道は一つしかない。衣擦れの音と共に、早希の顔がゆっくりと近づいてくるのが分かった。そして。


 
「……続きは?」
「おっ、はようごさいます……」

 顔から火が出そうな、とはこの状態なのだと悟る。鼻同士が触れ合う寸前で瞼を上げた黒曜とバッチリ目の合った早希はそのまま固まってしまった。口角が勝手に上がる。非常に愉快な気分であった。口を金魚のようにぱくぱくとさせ、わなわなと震える早希が黒曜から離れようと腕に力を込めたのと、黒曜が早希の後頭部を掴んだのは同時であった。

「は、離してください」
「今、何しようとしたか言ってからな」

 早希は逃れようと身体を捩るが、黒曜の脚に絡め取られて勝ち筋はもう残っていない。

「なにも、起こそうとしただけで」
「いつから俺は白雪姫になったんだ?」
「うるさいですよだまってください」

 恥ずかしくて死んじゃう、と若干涙目の早希には同情するが、ただただ煽っているだけだといい加減学んだ方がいい。

「ほら、目ェ瞑っててやるから」

 後頭部の手や体勢はそのままに、黒曜は目を瞑る。早希はしばらくの間黒曜を起こそうと抵抗の声をあげていたが、覚悟を決めたのか大人しくなる。
 
 ちゅ、と触れるだけのキスは小さなリップ音を立て、互いの熱が溶け合う間もなく離れていった。
 
「ハ、ガキかよ」

 目を開けた黒曜の視界に入るのは、布団に蹲って団子になっている早希。あんな小さな子供のようなキス一つでこんな風になってしまう程に初心なのは最初から変わらない。
 布団の隙間からはみ出た旋毛にキスを送り、黒曜は早希を腕の中に引き寄せる。黒曜の胸に顔を押し付けるようにして顔を隠す早希の耳の端が赤く染まっていた。

「起きないんですか?」
「いいだろ、今日は休みだ」

 何も纏っていない柔らかな肌の温かさに、すぐ眠気が襲ってくる。欠伸をひとつ零すと、釣られた早希がゆっくりと瞼を下ろした。
 起きる頃にはきっと太陽は真上に昇っているのだろう。流石にその時間だと腹の中は空っぽなので、朝兼昼として外に出て行くのがいいかもしれない。いや、面倒だからレトルトで片付けて、午後ものんびりくっついていようか。
 たまにはそんな日も、悪くない。