遥かの夜空を、六等星まで
   

星を紡ぐ君へ

「早希、こんばんは」
「鷹見さん」

 賑わう客席の中に見慣れた背中を見つけた鷹見は、ドリンクの入ったグラスと共に笑顔を向ける。今の今まで公演の余韻に浸り、どこかぼんやりとしていた早希は鷹見の姿を認めると顔をパッと輝かせた。唇を彩るリップグロスが、振り返る動きに合わせ艶やかに輝きを持つ。

「今日の公演は満足して貰えたかい?」
「はい、勿論。素敵でしたとチームの皆さんにお伝えください」
「ふふ、きっと喜ぶよ」

 それで、と早希は鷹見の運んできたグラスに目を移す。

「こちらは……?」
「期間限定、七夕スペシャルドリンクだよ。これはサービス」

 キッチンスタッフの力作さ、と鷹見が言うと早希はほう、とため息をついた。
 天の川を彷彿とさせる青と黄のシロップがグラデーションになったサイダーの中に、星型にカットされたフルーツを浮かべた七夕限定のドリンクだ。底に沈められているのはクラッシュしたゼリーで、店の照明を受けキラキラとグラスの中で輝いている。見た目も涼やかで味も申し分ない。ノンアルコールである為、誰でも飲めるのだと説明する鷹見を他所に、早希はドリンクに夢中になっていた。グラスを回転させては変化する輝きにすっかり目を奪われている。此方の存在を忘れられているのは癪だが、丸っこい目を輝かせる幼子の様な姿を見る事が出来たので良しとした。

「お気に召してくれたかな?」
「とても綺麗ですね。七夕にぴったりだと思います」
「生憎の雨だけどね」

 一年に一度しかない彦星と織姫の逢瀬の為に繋がれた星屑の道は、厚い雲に隠されて見えない。
 そうですね、と頷く早希であったが、しばらく考え込んで黙ると、苦笑した。

「小さい頃は、七夕の日に雨が降ると織姫様と彦星様が会えないって思ってたんですけど」
「可愛らしいね」
「ええ。でも、大人になって考えると、恋人とのデートにかまけて仕事を疎かにするのはなあ、と微妙な心地がしてしまって……」

 申し訳ない、と頬を掻く早希に、鷹見は思わず吹き出して笑った。

「ちょ、ちょっと鷹見さん! 笑わないでください!」

 早希は本当にお人好しで素直で放っておけない危うさを持つ女性であるのだが、時折誰もが予想もつかぬ着眼点からの発言をする事がある。しかもそれが成程、と考えさせるもので、本人も真面目な顔して言うのだから面白い。この件に関してはキャスト同士の会話のネタになる位には話題性を持っており、銀星や夜光なんかに至っては返事に困るのだと言っていた事がある。鷹見はそんな早希の一面について実に愉快だと思っており、そして好ましくも感じていた。
 顔を赤らめ服の裾を引っ張ってくる早希に、鷹見は笑いを収めて謝る。しかしその声にはまだ愉悦が含まれており、軽く睨まれてしまったが。

「今年は何か、願い事をした?」
「あ、話題を変えましたね」 

 スターレスに向かう道中に、ご自由にどうぞ、との看板と共に大きな笹とカラフルな短冊が配置されていたのを見かけた。幼い子供だけでなく、街を歩くカップルや老夫婦までこぞって小さな机に集まり、短冊に願い事を書いて笹に吊るしていた。カラフルな紙を枝に括り付ける人々の表情は楽しげで、その周辺は明るい声で満ちていた。
 これをスターレスに導入したらどうだろうか、と鷹見は考える。キャストに願い事を書かせるのも面白いかもしれない。ミズキはきっと肉が食べたい、だろうしカスミもドーナツが食べたい、だろうか。キャストごとに個性が出る貴重な催し物になるだろうと思ったところで、鷹見ははたと考えを止める。余りリアルな願い事をされると困るからだ。真珠の口から収入増えろ、だのリコの口から借金返済だの飛び出てきたら客は卒倒ものである。やっぱり止めだ。

「今年は特に何も、ですね。でも、小さい時は何かの行事で……」

 あれ、何だっけ、と零した早希を、見逃さぬ鷹見ではなかった。

「ごめんなさい、やっぱり何でもないです」
「構わないよ。気にしないで」

 きゅ、と眉を顰めてしまう早希に鷹見はドリンクを勧める。納得のいかぬ顔をしたままストローを咥えた早希であるが、一口飲み込むとすぐさま顔を明るくさせた。

「美味しいです! さっぱりしていて飲みやすくて」
「それは良かった」
「ふふ、ドリンクありがとうございます鷹見さん」
「どういたしまして」

 そういえば、と早希は鷹見を見る。

「鷹見さんは? 何かお願い事をしましたか?」
「俺かい? 俺も特には……」

 職務怠慢なカップルに願う事は何も無い。こちとら、いい歳した大人なのだから。街で見掛けた人々を微笑ましく思うが、自分もああなろうとは思えなかった。
――――ああでも、早希に願う事はあるな。
 それはとても自分勝手で、尚且つ重々しいこと甚だしい、お願いなんて可愛ものではないのだけど。彼女のしがらみを全て取り払って、何もなくなった後に奪ってしまいたいだなんて口が裂けても言えなかった。
 それでも、何も無いと言うのは少々面白みに欠けると思って鷹見は頭を降る。困らせてみたかった、と言われたら、そうとも言う。

「いや、やっぱり願い事はあるよ。今思いついた」
「何ですか?」
「内緒」 

 これを彼女の前で言葉にしたところで、笑い飛ばされてしまうだろうから。いや、笑い飛ばされはしないが困らせてしまうのだろう。心の中で苦笑を浮かべる。
 そんな鷹見を他所に、早希は考え込む様な姿勢をとり、そして笑った。

「それじゃあ、私の願い事は鷹見さんの願い事が叶いますように、という事で。今決めました」

 は、と息が止まってしまうかと思った。
 これだから、彼女は、早希は面白い。そして、一等愛おしい。
 濁りのないまっさらな笑顔で、柔らかな声で、そんな事を言われて調子に乗らない男がいてたまるか。恐ろしい女である。何も思っていないくせして簡単に燃え上がらせてしまう言葉を、勝手に寄り添う言葉を口にしてしまうのだから。
 恐ろしいと評されている事に全く気付かぬ早希は、悪戯っ子の様に目を輝かせて鷹見に向き直る。

「ほら、鷹見さん、私は言ったので今度は鷹見さんの番です」
「そんな約束をした覚えはないよ」
「気になるじゃないですか」

 言わないよ、と肩を竦める鷹見に早希は不貞腐れた顔をしてドリンクを啜る。
 その顔に、実際には見た事も、聞いた事もない幼い顔を重ねて、鷹見はそっと微笑んだ。