遥かの夜空を、六等星まで
   

ニライカナイの行方

「にげちゃいましょうか、わたしと」

 まるで、何てことの無いように発せられたくせに、顔は泣きそうに笑っているからチグハグである。震える声も、固く握りしめた拳も、膜の張った目も、隠していないのに涙は零れていないのだから、もういっそのこと泣いてしまえよと思った。
 雨が降っている。昼頃は眩しい位に真っ青な晴天だったのが、夕方になると一気に空が機嫌を悪くしてまだ止みそうもない。冷たい雨は、小さく華奢な身体の体温を下げるのに充分過ぎる役割を果たしてくれたようだった。手を伸ばして混ぜるように撫でた髪から滴り落ちる水がポタポタと地面に染みを作っていく。寒さか、それ以外の何かか、身体を縮めて震える、尖った肩を抱き寄せた。

「馬鹿だよね、アンタ」

 リコの放った言葉が一体どんな形をもって早希に突き刺さったのかは定かでないが、なけなしの意地っ張りは存外手強いようだった。穏やかな真人間のふりをして実の所は頑固で我が強く、我儘。そのカチコチの頭を解してやるには少々手間がかかるのだ。それを手間だと、認識した事はないけれど。
 所詮、ただの一般人なのだ。出自が何であれ、何に巻き込まれていようと。陽の当たる場所で、真っ当な職務に励み、それなりの生活をして満足して死んでいくような。表沙汰にはならぬ水面下の抗争が、そんな早希の心を削るのは容易い事だった。結局、誰一人として早希の事を見ていない。早希を通して、ずっと向こう側を見ている。早希はそれに気付いていたのだろうか。気付いた上で受け入れて飲み込んでいたのだろうか。馬鹿な女だなと思う。可哀想だとも思う。それでも、もがき苦しむ姿を滑稽だと笑うだなんてそんな事、出来た筈がなかった。

「早希」

 自分と早希は似ている、と思う。勝手に。もう逃げられない所まで来てしまったのに、往生際が悪くまだ足掻こうとしている。

「明日は晴れるよ、きっと」

 無言のまま押し付けられた頭をそっと撫でてやると、早希が大きく息を吸い込んだ。少しずつ、ゆっくりと吐き出す細い息は、次第に震えを帯びて、次に息を吸った時には完全に嗚咽へと変わった。獣のように、脇目も振らずリコの服を握り締めて泣く姿は、決して綺麗とは言い難いのだが、それがリコにとって一等愛らしいものに思えた。涙のダムが一度決壊したら、全て吐き出すまで止めなく雫は零れる。今、全部をさらけ出してしまえばいい。受け止めるのは、ただの一人のどうしようもない男だ。大きな力を持って救ってやるような事は出来ない。けれど、もたれ掛かる木になれるし、雨から守る傘にもなれる。たったそれだけ、それだけだ。でも、それでも寄り添う事に資格はいらないから。
 背中を摩ってやると、一層震えが大きくなった。顔を見てしまわないように、リコは目を閉じて小さな頭に唇を寄せる。
 雨が降っていた。