遥かの夜空を、六等星まで
   

友達の話

 あたしが初めてお姫様に声をかけた時の、あのヒースの顔は一生ネタに出来ると思う。
 お姫様は、スターレスがリニューアルオープンした時から店に通い出した女の子で、理由は知らないけどめちゃくちゃにVIP扱いされてるんだって前店舗からスターレスに通ってる先輩が言っていた。最初の頃はお客さんから文句が上がったり、そのせいでお店に通わなくなっちゃった子がいたりしたらしいけど、あたしがスターレスに通うようになる頃にはもうみんな慣れちゃって気にすることはないみたい。お姫様も基本大人しくて無害だし、キャストに迷惑かけてるわけじゃないから。噂だと、ケイの妹だとか、オーナーの娘とか、実はお客さんじゃなくてステージの演出とかしてるんじゃないかとか言われてる。有力なのは三番目のやつ。だってどのキャストもみんなお姫様に声をかけてくし、お姫様は誰にも色っぽい目を向けないから。あたしたちは日頃から推しに向かって愛やらお金やらを捧げるわけで、それは推しが大好きだからで、でもお姫様はみんな平等に接するし誰のことも特別扱いなんてしないから、お姫様にたった一人の推しはいないんだと思う。もしあの態度でガチ恋してるとかだったらプロの女優じゃん。それか本妻のヨユーってやつ? でもそういう意地の悪い女は大抵どっかでマウント取ってこようとするけれど、いくら観察してもお姫様からは全くボロが出ないからあたしもみんなと同じように白判定出してる。
 同担殺すとまでは言わないけど(先輩は言う)、やっぱりちょっと苦手意識あるから自分の中でお姫様がどうなのか納得できるまでじっくり観察していたあたしは、気付けばお姫様のことが気になって仕方なくなってしまった。だって普通にいい子そうだし。あたしの推しとも仲良い感じだったから、あわよくば推しのこと教えてくれないかなとかちょっと下心もあったのは内緒ね。
 あとで知ったことだけど、本当はみんなお姫様と絡んでみたかったんだって。でも誰もそうしなかったのは、ケイの圧がヤバかったからなんだって。あたしバカだから、全然気付かなかった。てかケイのことあんま見てないし。推ししか眼中にないってね。一途でしょ? ああそれでね、お姫様がケイの妹を疑われてたのはこれが原因らしいよ。なんか、違うっぽいけど。
 で、バカで行動力の化身のあたしは、お姫様に声かけたわけ。こんにちは、一人? って。下手くそなナンパかよってね。お姫様はそれはもうたいそう驚いて、だって今までお客さんに声かけられたことないから(あたしらはランダムグッズの交換でめちゃくちゃ交流しまくってるのに!)、それでこんにちはって返してくれた。キャストたちみたいに本名は明かさないで、あたしは「トマト」って名乗って、お姫様は「トマトさん」ってあたしのこと呼んでくれた。それであたしは普通に世間話しようとしたの。どこのチーム推してるとか、どの公演が好き?とか。
 そしたらね、ものすっごい勢いでヒースがあたしのことお姫様から引き剥がしたの。あたしもう、めちゃくちゃびっくりしちゃって。だって、ヒースだよ? ステージ上で散々皆殺しだなんだと物騒な言葉を吐いて、おーおー元気にやってるなぁなんて思えば、接客の態度はバカ悪くて、すぐバックに引っ込んじゃって、ファンの子は基本置いてけぼりで、他人なんて興味ねーを貫くヒースだよ? ステージでもそんな素早く動いたことなんじゃないってくらいの、マジで猛禽類の羽ばたき的な感じで、あたしとお姫様の間にでっかい距離ができたのね。
 そのあとはなんかよく分かんないんだど、「何が目的だ」とか「誰の指示だ」とか、ヒースだけじゃなくて気付いたらチームBの柄悪集団に囲まれてさ(ケイがその日いなかったの、今思えばめっちゃラッキーだったね)、色々聞かれたの。勿論あたしは何も知らないんだけど、なんかすんごい怖い顔してたよみんな。ミズキが怖いのはいつものことだけど、女の子に優しいリコも、可愛い藍も、いつもあたしに構ってくれる金剛も。なんか、お姫様って言われるだけあるよねって。みんな番犬じゃーんって。そんな茶化す隙はなかったんだけど。
 それで、とうとう店から追い出されるんじゃね?ってところで鷹見と、お姫様が助けてくれたんだよ。あたしはなんでもないよって。
 そのあとはなんか謝られて、金剛がお詫びのケーキ作ってくれて、チョロいあたしはご機嫌で帰ってたんだけど。推しの作った料理が食べられるってヤバくない? しかもメニューにない激レアケーキ! 
 あ、うん、あたしの推し金剛ね。ダメだよ、好きになっちゃ。別に良いけど。
 そんなことがあったからスターレス行きたくな〜いってなってたけど、推しに会いたいから結局そう時間を置かずに行ったんだっけ。それであたしがスターレスに来た時、なぜかあたしはお姫様と五分だけ相席になったの。いや、全然良いんだけどね。なんか、お姫様があたしと話したかったんだって。あの日あたしが声かけたから。お姫様マジ良い子じゃん? そんであたしがお姫様の席に行った時、お姫様の後ろにヒースが立ってたのは笑ったよね。お姫様があたしに謝った時も(お姫様は何も悪くないのに!)、あたしとお姫様が話してる時も、ヒースはずっとあたしのこと睨んでてさ。
 その後あたしが普通の席に戻される時もヒースはついて来てね、それであたしはピコーンって来たわけ。あたしバカだけど、こういう感は鋭いの。伊達に小学生の時カップル五組くっつけた経歴あるから。強くね?
 それでさ、あたし言ったんだよね。


「あたしがなんとかしたげる!」





「お姫様今日のドリンクなに〜? あたしスクリュードライバー」
「カシスオレンジですよ」
「お酒あんま得意じゃない感じ?」
「トマトさんは得意なんですか?」
「まあね〜飲まなきゃやってられないもん」


 
「日蝕公演、あたし一番好きなんだよね。ハマるきっかけだから」
「トマトさんは金剛さんが推しですもんね」
「うん。金剛が一番! でもチームBみんなイケてるよぉ」



「ヒース新曲かっこよすぎ! ね、お姫様もそう思わない?」
「ヒースさんの曲はいつも……心を揺さぶられますね」
「それにしても口悪すぎん?」
「ふふ、そうですね」



「ねー見て、これ金剛のブロマイド! 自引きしたの!」
「わあ、おめでとうございます。良かったですね」
「でしょー。お姫様にはヒースあげるよ」
「え、でもわたし」
「いーからいーから。あ、金剛来た!」


 
「ヒースさんはいつもわたしのことを気にかけてくれるんです」
「だってヒースめっちゃお姫様のこと好きじゃん。あたしめっちゃ睨まれたもん」
「その節は、その」
「いーのいーの。金剛のケーキ食べれたからオッケー」



「でもわたし、ヒースさんに何もしてなくて、何も出来なくて」
「お姫様はヒースのこと好き?」
「え?」
「ヒースのこと大事?」
「……無理してほしくないなって思います」
「ケイとは違う?」
「………………」
「ねえ、あたししか聞いてないから、教えてよ。ここの男たちじゃ話になんないでしょ」
「あの、わたし、何も分からなくて。でも、確かにヒースさんにもらったものはあるんです。それを、いつか、ちゃんと返したい」
 


「お姫様、またね」
「トマトさんもお気をつけて」




「ねえ、やめてよ。あの人にも関わらないで」
「なんで? だってヒースめっちゃお姫様のこと好きじゃん」
「だから、そういうのじゃないし付き合いたいとかじゃないんだって」
「やだよ。ヒース、だめだよ」
「何が」
「ヒースが言葉にしないからお姫様だってどうしたらいいか分かんないんだよ。そんなの悲しいじゃん」
「あの人は関係ない。オレが勝手にしてるだけ」
「それがダメなんだって! ヒース全然分かってない!」



「ねえ金剛、ヒースさ、あたしのこと怒ってる?」
「うーん、それはヒース本人に聞くべきじゃないかな」
「え、なにヒース客と喧嘩してんの」
「藍はあっち行ってて!」
「ちょっと衝突してるだけだよ」
「金剛慰めて〜! ……あたしヒースの味方になりたいのに」
「ヒースは別に味方欲しくないやろ」
「うるさーい!」
「パフェ頼む?」
「金剛はスイーツでどうにかする癖直しなよ〜好きだけど〜」






 あたしの親は所謂クソ親ってやつで、あたしはよく殴られた。お前はバカだって、よく言われた。外面ばっかり気にして、見えるところに怪我させられたことはなかったし人の前では良い親を演じてたから、誰もあたしがどんな扱いを受けてたなんか知らなくて、むしろあたしの親が羨ましいだなんて言われたこともある。
 あたしはバカだったけど、あたしの親がクソってことは分かってた。それで、逃げられる歳になったらすぐ逃げた。ほら、行動力の化身でしょ?逃げて、逃げた先で、あたしはなんとか生きている。
 逃げたばかりの頃は言葉に出来ないくらい酷い体験をして家に帰りたいって思ったこともある。逃げないままでいたらとっくにあたしは死んでて、ずっと楽になってたんじゃないかって思ったこともある。どうにか光を見つけて、なんとか生きている。今は稼ぎ方を学んで、楽しみもあって、ずっと良い生活を送ってる。推しの力って偉大なんだよ。
 でも、たまに置いてけぼりの昔のあたしが、あたしのことを見つめてる時があって。あたしは今、何してるんだろうって後ろを振り返ってしまう。
 そういう時にヒースの歌を聞くと、気持ちが楽になった。小さかったあたしが抱いていた怒りや悲しさや、色んな気持ちをヒースが全部言葉にしてくれた。あの時のあたしを、肯定してくれた。あたしの感情は間違ってなかったって。
 だから、あたし、結構ヒースのこと好きなんだよ。
 だから、ヒースの好きなお姫様だって好きなんだよ。




 その日、あたしは見てしまった。お姫様の後ろをつける、女の子二人組に。あたしと同い歳くらいで、スターレスのお客さんにありがちな格好とメイクしてるけど、その二人はスターレスのお客さんじゃなかった。今までお店の中で一度も見たことのない顔。新規のお客さんを装うったってね、新規はもっと地味な格好してんだから。常連客の目を舐めるなってことよ。
 あたしはお姫様の友達だから、やることは一つしかなくって。
 あたしはバカだから、やることは一つしか思い浮かばなくって。
 お姫様が二人の内の一人に腕を引っ掴まれた時、あたしはもう一人に突き飛ばされてた。あたしはケーサツでもスパイでもないから尾行なんて出来るわけなかったんだよね。普通に気付かれて、普通にやられちゃった。
 あのね、痛いことには慣れてるの。男に殴られたことも何回かあるから、女の子の拳なんてちっとも痛くないの。でも、その時はちょうど頭の後ろを思い切り地面で打っちゃって、意識が飛んじゃったの。多分、お姫様はあたしに気付いてないから、それは良かったかななんて思いながら。
 意識が戻った時、あたしの上に馬乗りになっていた女の子は藍に吹っ飛ばされた。
 体が全然動かせない中、あたしは目だけを動かして周りを探ったの。そうしたら、意識のないお姫様をヒースが大事そうに抱えてた。それはもう、一等の宝物を抱きしめるみたいに。
 ねえ、ほら、やっぱり大好きじゃんね。
 あたしとお姫様を襲った女の子二人をとっ捕まえた藍の横で、あたしは金剛いないじゃんって文句言おうとしたの。でもね、そんな体力なかったの。




 丈夫なだけが取り柄のあたしは襲われて三日も経たない内にスターレスに行こうとしたの。そしたらまさかのお店が火事になって休業しちゃったんだよね。で、お休みの間は去年みたいに外でステージ出るから〜って営業メールが来てさ。もちろん行くじゃん? しかもチームBで焼きそば屋やってるんだもん。行くっきゃないっしょ。
 お姫様は当然の如くお祭り会場にいて、チームBのキャストも相変わらずの柄の悪さに安心した。お店お休みだから大丈夫かなって思ってたけど、いつも通りだった。お姫様は、あたしのことを見つけて声をかけてくれたけど、あの時襲われたことを覚えてないみたいで、あたしは何も言わなかった。
 でね、そしたらね、お姫様の簪はヒースが買ってくれたやつなんだって。浴衣着てたから似合ってるよって話してたら、そう教えてくれたの。あたし、思わず悲鳴あげちゃったよね。やるじゃんヒースって。その後も屋台の並ぶ道を歩く二人を見つけて、あたし一人で嬉しくなってさ。焼きそば作ってる金剛とハイタッチしちゃったよね。
 鯨のいなくなったスターレスはちょっと寂しかったけど、推しは相変わらずかっこいいし、チームBも最高だし、他のチームも二周年ってことで気合入ってて、お姫様もいつも通りだった。火事があったなんて感じさせないような、そこにあるのはあたしの大好きなスターレスで。
 あたしのクソみたいな人生で、今が一番楽しいって思ったの。




「また対決になっちゃったんだね」
「そうですね」
「BとKかぁ。K強いからな〜。Bも負けてないけど!」
「…………」
「…………」
「…………」
「……なんかあった?」
「いえ、その、なんでもないです」



「ヒースの新曲、いつもより毒強めなんだね」
「そうですね」
「…………」
「…………」
「大丈夫かな、ヒース」
「わたしも、心配です」



 だからさ、ねえ、ヒース。何してるの。何を思ってるの。怖いよ。
 ステージに立つ時はいつも全力で、最後の方はキツそうなのはよく知ってる。体力つけなよってからかったこともある。
 でも、でも、それは違うじゃん。
 青い顔して、フラフラで、咳き込んで歌えなくなっちゃうくらいになってて。正直見てられないよ。怖いよ。
 お姫様、泣いてるよ。
 ヒース、見てる?
 あんた、お姫様がどんな気持ちか分かってる?
 あんなにお姫様のこと大事にして、ずっと見てたのに。どうして今は見てないの。
 ねえ、ヒース。あたし、嫌だって言ったじゃん。
 あたしの言うことなんて、聞く価値ないかもだけどさ。
 あたしはバカだから、何言ったって無駄かもだけどさ。
 あたし、お姫様に優しいヒースが好きだよ。お姫様が好きなヒースが好きだよ。一番は金剛だけど、ヒースのことも、結構好きだよ。
 あたしたち、店員とお客さんだけど、それだけじゃないでしょ。
 ねえ、またさ、お話しようよ。お姫様も一緒に。
 今度はあたしの恋の話持ってくるから。
 ね、いいでしょ、ヒース。
 だから、こっち見てよ。あたしのことなんかどうでもいいから、お姫様のこと、見てあげてよ。
 ヒース、お願いだよ。