遥かの夜空を、六等星まで
   

君の背中を見ていた

「なんかな〜」

 ずらりとパソコンの画面いっぱいに並ぶ写真を一通り確認し終えた藍は、難しい顔をして唸った。その真後ろに待機していた運営は、慌てて彼に不備があったのか問う。

「いや、オレは問題ないけど」
「けど?」

 髪や身体、また彼の座るパイプ椅子から水が滴り落ちるのをそのままに、スポーツタオルをおざなりに首にかけただけの藍は再びマウスを動かして写真の吟味を始める。その肩から画面を覗き込んだ運営は、藍が見ているのは自分の写真ではないことを知った。

「ヒースさん、ですか」
「うん」

 藍が一つの画像をクリックする。大きく表示されるヒース。ライティングと背景のコントラストのおかげで元々白い肌が更に強調されていた。水を全身に被っているために透けた白いシャツ。ぴたりと肌に張り付いた布地の向こうに、普段の衣装では慎ましく秘められた筋肉の存在が仄かに香り立つ。暗い影を落とす紫紺の瞳は何も写さず、レンズを見ないまま遠くに向けられていた。
 スターレスの運営として働く中で、カメラマンの端くれのようなものをしていると――羽瀬山の意向で経費削減のためにスタジオを借りたりカメラマンを雇ったりが出来ないためである――写真の撮られ方やポーズにもキャスト一人一人の個性が見えてきた。例えば、ケイを筆頭にリンドウ真珠夜光、鷹見とリコにクーあたりはスターレスに辿り着く前の経歴故か写真を撮られることに慣れていた。ありとあらゆる角度や光の当たり具合、どんな表情をしたら自分が一番よく写るかを知っており、カメラに関しては素人同然である運営の手による撮影であっても充分以上の結果を出し、撮影の最中も常に落ち着いていた。前店舗の頃も何度か撮影はあっただろうし、回数を重ねていく上で上記以外のキャストたちも随分慣れてきたが、それでも彼らは他に比べて余裕がある。他にも晶やマイカはSNSで自撮りを投稿したり客とのツーショットに快く対応しているため、写真撮影にも前向きな印象だ。大牙や金剛は照れが勝るらしく、未だ慣れないとよくこぼしている。黒曜はいつもカメラを真正面から見つめ、モクレンとメノウはすぐに飽きてしまうから撮影時間が短い。メノウに関してはファッションモデルの演技をしろ、と指示すらば良いのではないか、と真珠に言われたことがあるがその効果は試したことがない。ギィは証明写真を思わせるような真顔かつ直立のポーズしか取らないため、チームKの面々がサポートするのを微笑ましく思った。
 そしてヒースは決してカメラを見ようとしなかった。視線を、の指示でやっと顔を上げてくれるのだが、基本的に俯き加減であったりそっぽを向いている。
 今秋に開催されるイベントの宣材写真も、ヒースはオレンジを片手に遥か先を見ていた。

「うーん、僕は格好良いと思いますけど」
「かっこいいのは当然やろ。オレが言ってるのはポーズに面白味がないってこと」
「はあ」

 面白味も何も、基本的にヒースは物静かでクールなのだから彼らしくて良いのではないだろうか。写真や普段の様子と、ステージで見せる熱いMCのギャップが彼の魅力でもある。
 しかし、藍は納得していないようだ。何度も写真を見返しては首を傾げている。
 そこに、撮影時よりもぐっしょりと水に濡れ、疲れた様子のリコが近付いてきた。

「リコさんどうしたんですか!?」

 リコは黙って、自身の背後を指さす。促されるまま視線を動かすと、ペットボトルを持って大爆笑しているミズキの姿があった。その後ろでは、金剛が困った顔を浮かべておりヒースは大判のタオルに包まれ座っている。

「あのバカガキに水かけられた」
「うわあ、ご愁傷様です……」
「運営ちゃんタオルもっとないの? てか早く帰りたいんだけど」
「なーリコ、これちょっと見て」

 藍が呼ぶと、リコは素直にパソコンに目を向けた。

「これがデモ? ……良く撮れてるじゃん」
「だけどさぁ、なんか物足りなくない?」
「ヒースが?」
「うん」

 リコは藍からマウスを奪うと、先ほどの藍と同じく画面と睨めっこを始める。

「……いつも通りって意味では気にならないけど」
「そのいつも通りがさ〜なんかさ〜」

 オレとかチョー大人っぽくしたんやけど、と藍は自身の写真を見せる。七月に二十歳の誕生日を迎えた彼は、画面の中でスターレス最年少の肩書きに似つかわしくない表情を浮かべている。普段の笑顔も、チャームポイントである歯も封印した写真は元気さや可愛らしさを売り出していた藍の新たな魅力を生み出していた。

「オレも二十歳でクール系?ワイルド系にシフトチェンジしたんやからヒースも何かやろーよ」
「何かって?」

 例えば、と藍は画面を切り替えてミズキの写真を出した。

「ミズキたちシューゴー!」






「またヒースを濡らすの?」
「うん撮り直し!」

 藍の提案は、ミズキを真似したポーズでヒースを撮ろうというものだった。何故、と当然ながら上がる疑問に、「ヒースの新地開拓」だと無邪気に告げた藍はヒースの腕を引き寄せパソコンを見せる。ヒースは二枚の大判タオルを引き摺らないよう体に巻き付け、自然な動作で藍を椅子からどかした。それに対して藍は特に文句言うことなく、マウスを動かしてミズキの写真とヒースの写真を並べた。

「ヒースはもうちょいヤンチャしてた方が良いと思う!」

 無表情に視線を逸らしたヒースの写真とは対照的に、ミズキはオレンジを齧り親指中指小指を立てたハンドサインをしてまさにヤンチャと形容される写真だ。金の瞳はレンズ越しにこちらを真っ直ぐ見据えている。いつも通りの、ミズキらしい一枚。
 ミズキは写真撮影の開始こそ面倒臭がるものの、上手く煽て気分を良くしてやると途端にやる気を出してくれる。今回のこれも、藍と水をかけ合っている内にテンションが上がったところで撮影したものだ。
 これをヒースにさせるのか、と運営は想像してみる。ミズキのように歯を見せて騒ぐヒースの姿。果たしてそれはヒースだろうか。いつもと違う写真にすることに異論はないが、違いすぎるのも違和感がある。同じことを思ったのか、リコが口を開いた。

「ヤンチャにも程があるでしょ、ミズキの真似だと」

 小学生っぽいし、と忘れず毒を吐いたリコの背をミズキが拳で叩く。

「誰がショーガクセーだ?」
「お前だよ。さっきも乾いてきたところに水ぶっかけやがって」
「先にかけたのはリコだろ」
「オレはペットボトルの半分もかけてないから」
「はいはいどっちもどっちだろ。それよりもヒース、どうする?」

 睨み合う二人の間に手慣れた様子で割って入る金剛は、ヒースを見る。

「俺はこのままでも充分良いと思うけど、藍の言う通り少し変化があったらお客様も楽しいかもしれないよ」

 ヒースは答えぬまま、自身の写真を一通り眺める。写真を撮られることも、人に見られることにも関心のないヒースだ、撮影を終えたばかりで疲れもある。撮り直しを拒否するかもしれないと思った運営は、言葉を選びながらヒースに努めて明るく告げた。

「撮影はチームBで最後なので時間は気になくて良いですからね、もし必要であれば後日撮り直しでも構いませんし」
「ううん、やるよ」

 徐に立ち上がったヒースは、タオルを脱ぎ捨てミズキに投げ渡す。一人一枚ずつ準備した大判タオルをヒースが二枚持っていたのは、ミズキが与えたもののようだった。
 どんな心変わりか定かでないが、やる気を見せ不敵に笑うヒースに、藍が顔を輝かせる。

「ヒースかっこいー!」




  果たして、藍によるヒースの新地開拓作戦は予想外の盛り上がりを見せた。言い出しっぺの藍は勿論、撮ると宣言したヒース本人、自分の真似をされることが面白いらしいミズキに、プロデューサーの如く細かくポーズや表情、髪の状態を指示するリコ、結局乗せられた金剛。運営は彼らが和気藹々と言葉を交わしている隙にヒースをカメラに写す。
 もう少し水かけて、とリコが金剛を呼ぶ。水の入ったペットボトルを金剛から渡されたヒースは豪快に頭からそれを被り、彼の深い緑の髪はぺたんと丸い頭の形を象る。睫毛の先に乗る雫が照明を反射して煌めいた。
 撮影も終盤に差し掛かると、インパクトを出したいと藍が暴走を始めた。シャツを噛んで腹を見せよう、と言った時はどうしようかとヒヤヒヤしたものだが、存外ヒースはノリノリでポーズをとった。大きく肌を晒し、不敵に笑った豪快さと色気の両立した一枚に、藍とミズキ二名の歓声が上がる。出来は今までで一番と言っても過言でないほど素晴らしく、生き生きとした姿のヒースはいつも以上に魅力的だ。金剛は感心したように何度も頷き、リコは自慢気に肩をすくめた。
 すると今度はミズキが自分も撮り直す、と言って乗っかった藍が運営の手からカメラを奪い取った。どうやらミズキはヒースの真似をして撮るらしい。果たしてそれは宣材写真になり得るだろうか、とカメラの代わりにタオルを押し付けられた運営は懸念するが、リコと金剛も一緒になり自分たちで撮影を始めた様子を見てまあいいか、と押し付けられたタオルをヒースに渡した。どうせ時間はあるのだ、好きに楽しんでくれたら良いと思う。ここ最近、彼らには色々あったのだから。
 はしゃぐ声を小耳に挟みながら、出来上がった写真をヒースにも見てもらおうと運営は画面を彼に向ける。大きく映し出される自分の姿をまじまじと見たヒースは、ぽつりといいね、と呟いた。
 ミズキの模倣することから始まった撮影であったが、名残こそ残れど画面に映し出されるのはヒースそのものの姿である。

「ヒースさん楽しそうですねぇ」 
「……カメラ向けられると何したらいいか分からないから、リコたちみたいに指示されると助かる。かも」
「僕がですか!?」
「うん」

 成る程、今までカメラマン役をしていた運営だが、ポーズや何やらは全てモデル任せであった。ギィの場合も、ケイたちが率先して行っているのを見ているだけである。慣れているキャストが多いこともあるし、特に問題は起きていなかったから気付かなかったが、ヒースは撮影に無関心なわけではなかったのだ。
 それなら次から頑張ります、と意気込む運営に、よろしく、とヒースはやわらかく微笑んだ。

「で、でも僕は素人なので……あまり良いとは言えないかもしれませんが」
「まあ、そこは藍たちにも頼るよ」

 一頻りカメラで遊び終えた四人が運営とヒースの元に戻ってきた。皆先ほどの撮影以上にびしょ濡れで、頬を紅潮させている。どうやらよほど楽しんだらしい。撮った写真をパソコンに送信している間、表示されたヒースの写真を見てリコが笑った。

「まあ、ステージでのヒースはミズキ以上にガキだからこれでもいいんじゃない」
「分かる分かる、言うこと聞かない我儘っ子って感じ!オレらに甘えすぎなんだよなー、ヒースは」

 パシャン、と音がすると同時に、リコと藍の前髪が再び水をかぶった。犯人は言わずもがな、ヒースである。
 リコと藍は無言で視線を交わし、すかさず走り出す。行先は、撮影用に準備した水入りのペットボトルが入った籠だ。ヒースもそのあとを追い、運営には再びタオルが押し付けられた。

「あーあー」

 片付けをするのは自分たちなことを彼らは分かっているのだろうか。呆れたように金剛が笑ったのに釣られて、運営も気の抜けた笑い声をこぼした。

「なーこのミカン食っていいやつ?」
「あ、どうぞ食べちゃってください。金剛さんも良ければ」
「そうなの? じゃあ貰おうかな。ああミズキ、汁が溢れてるよ」

 その後、オレンジを食べ続けたミズキにも水かけ合戦の応酬が降りかかり、撮影場所に使ったレッスン室は雨の降った後のように水浸しになる。そして時間いっぱいまで遊び呆けて鍵を返しにきた玻璃に苦言を呈されるということを、まだ誰も知らない。
 そして、ヒースのミズキを模した写真とついでにミズキのヒースを模した写真は結局宣材写真として選ばれ、想定以上の反響を巻き起こしたのだった。