君の背中には羽がついている
及川徹と友達(男主)の話
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「俺さ、人間やめようかなって思うんだよね」
何の気もなしに口からこぼれ落ちた言葉を聞いた及川徹は、ゆっくりと視線を動かし隣にいる俺を見た。
晴天の下、3年の教室から離れた校舎3階の外通路で佇む2人の間を秋風が吹き抜けていく。
隣に立つ及川から感じる視線には反応せず、ただただ青い空を見つめた。
「やめて何になるのさ」
静かな及川の声が耳に届いた。
「さぁねえ、虫けらにでもなるかな」
「………」
クラスメイトの奴からいきなりそんなことを言われて及川も困るだろう。
俺も、別に言うつもりはなかったけど、こんなにも綺麗で真っ青な空を見ていると言いたくなってしまった。
将来に価値が見い出せなくて、今まで自分なりに一生懸命頑張ってきた部活とか勉強とか、そんなものが色々とボロボロに砕けてしまって何だかどうでも良くなってしまったのだ。
折れて、復元不可能になった心で空を見上げたら、あぁ人間やめたいなって思ってしまって、隣にいる及川についポロッと言ってしまった。
これ以上頑張っても何にもならないし、頑張っても意味がないし、俺自身に価値がないような気がして。
そんな俺を余所に世界はこんなにも晴れ晴れとした快晴なんて、余りにも不条理に感じて人間をやめたくなったのだ。
さっきまで冗談を言い合いケラケラ笑っていたのに、いきなりこんなことを言うのだから及川もびっくり、しただろう。
早く、謝らなければ、と思ったのに口は固く閉ざされたように重くて開けなかった。
柔らかい風が頬を撫でて心地良ささえ感じる。このまま何も考えずに、何も苦しまずに、人間をやめられたらなぁ「なまえ、」
名前を呼ばれてやっと及川の目を見る。真剣なその顔に俺の言葉を真に受けたな、と思った。
「…ごめんごめん、冗談」
辛うじて小さく動いた口角を、精一杯上げて及川に謝る。気にしないでくれ、と伝えたかったのに及川の手が俺の腕を掴んだ。
まるで、飛んでいかないようにしっかりと存在を確かめるかのように。
バレーボールに渾身の力を込めて叩く大きな手が俺の腕を握っている。
「何かあった?」
普段の軽快な口調とは違う声に、耳触りが良いとさえ思う俺はなんて勝手な人間なんだと自嘲する。友達が心配してくれているのに、当の本人は違うことを考えている。
「何も。何もないんだよ。何もないから、もう別に人間なんかやめてもいいかな、ってな。ちょっと、そう思っただけ」
だから気にするな、と言いたかった。
「人間やめたいほど、今が楽しくないわけ?」
「ん?そうだなぁ、楽しいどうかって言うと、楽しくないかも。及川は、楽しそうだけどな」
「当たり前じゃん、及川さんはいつでも楽しく生きてんのっ。そうじゃないとやってられないからね」
「はは、さすが及川。ポジティブシンキングの鑑だな」
俺も及川みたいにアグレッシブでハングリー精神旺盛で、全てを持っている人間のようになれたら、強くあれたら、少しは違ったかもしれない。
ははは、と笑って返したのに及川は笑っていない。
「…無理に笑わないでよ」
「うん」
言われた通り、愛想笑いはやめて青空に視線を戻した。
「楽しくないなら、夢中になれる何かを見つけたら?」
「夢中になれる何か…」
「俺は、バレー」
予想通りの答えだ。及川はバレーの申し子だと思う。 青葉城西のバレー部主将で、何でもそつなくこなす及川が夢中になるバレーボール。
俺も前まではあったんだ。夢中になれる何か。あったけど今は全部手のひらからすり抜けて何も無くなってしまった。
「なまえにも、そういうもの見つけてほしいけどね」
「探すのは…もう諦めたよ。何かを見つけても結局、上手くいかなくて、疲れちゃってさ。周りは皆順調なのに、何で俺だけ上手くいかないんだろうって疲れちゃった」
挫折してボロボロに折れて深い傷だけ残った俺には、もう何か新しいものに手を出す元気もなくなっていた。
「及川みたいに強くあれたらな…折れない心を持ちたいものだ」
ははは、とまた乾いた笑いを生み出してしまう。及川は前を向いて息を大きく吸って、吐き出した。
「挫折なら、何度も経験したよ」
伏せた目は思い返すかのように一点を見つめている。
「……」
「周りは天才だらけで越えられない壁に四方を塞がれて、悔しくて腹立たしくて仕方ない時もあったさ。でも、やっぱりバレーが好きだから、諦めきれないから、這いつくばってでもやりたいから、その壁を乗り越えて、勝ち上がって頂点から見下ろしたいから。…だから、折れるつもりはない」
真っ直ぐに前を見る横顔が余りにも綺麗で、男なのに目を奪われるほど目を引く及川はやっぱり人並みではないな、と感じる。
「はぁ、やっぱり及川は強いなぁ」
ふ、と息を吐くように笑って友達を見上げた。眩しくて、目が眩みそうになる。こんなに強い人間が友達だなんて軟弱な俺と正反対すぎて面白可笑しい。
「俺が人間やめて、何かになったらこの先もバレーを極めていく及川を見守っとくな」
「やめてよ。幽霊にでもなるつもり?こっわ!」
冗談で言ったのに、及川はドン引きした顔でリアクションした。
「ふっふ、天使になるかも。羽もついて」
「なまえに天使の輪と羽は似合わないね」
「えーダメかぁ」
生暖かい目で見守ってやるぞ、と言う俺に及川が空に向けて言葉を投げた。
「…夢中になれる何か、これから一緒に探さないかい」
「一緒に?」
「そう、何でもやってみるんだよ。何が自分を夢中にさせるかなんてやってみないと分かんないじゃん」
「………」
「見つけてからでも遅くはないでしょ。人間やめるの」
「…見つかるかなぁ」
「見つかるまでは人間やめないでよ。俺と約束して?」
及川が横目で見下ろしてきた。その約束はこの地球に縛り付ける鎖だ。それでも、及川に言われると嫌な気はしなかった。
「見つかったらやめていい?人間」
「いいよ。でも、その時はやめる前に俺に何を見つけたか教えてね」
「いつになるか分からないよ」
「うん、いつになっても待ってるから。この先、俺はどこにいても、地球の裏側にいても、なまえが『夢中になる何かを見つけたから幸せだ』って言ってくるのずっと待ってるから」
「……先は長いなぁ」
及川の言うとおりにしようとすると、人間をやめるのはなかなか簡単にはいかなさそうだ。
「ふふん、当たり前でしょ?先は長いんだよ」
だから、ゆっくり見つけていこう。
及川の優しい声が心の中に落ちていく。
「じゃ、何でもやってみるってことで、手始めに岩ちゃんイジリでも行きますかねぇっ」
「及川、岩泉に返り討ちくらうぞ」
「行っくよーーっ!」
俺の腕を引っ張って3年5組の教室に向かう及川の背中を見て笑いが漏れた。
ぐんぐんと腕を引いて歩く及川がちらりと後ろを向く。
「天使にならなくてもなまえには羽がついてるよ」
「羽?」
「足枷を全部外して身軽になって、自由に羽ばたくんだよ。誰にもその羽は奪い取れないから」
「……」
「誰にも邪魔させない。世界に飛び立って羽ばたく自由は、誰にも奪えない。壁なんかない」
自分に言い聞かせるようにも聞こえるその言葉は、力強くて芯があった。
俺にも及川の背中に羽がついているような気がした。大きくて両手いっぱいに力強く広がる真っ白な羽。
人間をやめる前に、及川徹が自由に羽ばたくところを見たいと思ってしまった。
「及川、」
「ん?」
「及川が世界で羽ばたくところ見るまで人間、やめない」
俺の言葉に及川は瞬きをして不敵な笑みを顔に作った。
「…ふっ、上等!言っとくけど俺はずっとコートの上にいるために羽ばたき続けるからねっ!先は長いどころじゃないから!」
ずっとずっと見て貰っとかないと困るから!と言う及川に笑いながら、引っ張られていく。
「うん、楽しみにしとくな」
足早に廊下を歩いて3年5組を目指す。岩泉の背中が見えて、2人で顔を見合わせて笑う。
岩泉の広い背中にも羽が見えた気がした。
俺達は、どこまで羽ばたいていけるだろう。
可能性は無限。
及川の笑顔につられて笑う俺の中で、きっと新しい何かが見つかると、小さな希望が生まれ始めていた。