いつからか愛おしい
飛行船の展望室の窓から町の様子を見下ろす。流星街ではこんな夜景はみられない。暗い地上にネオンが溢れている。ただただ、うっとりするくらい美しい。
「地上に星が溢れているみたい」
「そうだね」
ナマエの言葉に、シャルナークは頷いた。ナマエは隣に並んで窓の外をみているシャルナークに目をむける。光を映すエメラルドの瞳、色素の薄いまつげ、高く通った鼻やうすい色の唇。ナマエの視線に気づいたシャルナークが穏やかに微笑む。ナマエは反射的に目をそらした。一瞬だけみえた、ナマエを惹きこむその表情をいつまでも覚えておきたいと思った。だけど、シャルナークがいなくなったら、この記憶は哀しみの一部としてナマエを押し潰すかもしれない。
シャルナークと寝台のある部屋へ戻る。扉を開けると「どうぞ」とシャルナークはナマエを促した。そのときの、邪気のない笑み。ああ、その顔を知っている。お宝を手に入れた時の楽し気な瞳。ナマエの心は、一瞬で記憶に惹きこまれる。
――ナマエ、好きなの選んでいいよ。
そう言ってシャルナークがトランクを開けると、盗んだ宝石が照明をうけてきらきらと光った。町外れのホテルのベッドのうえで、ナマエはどきどきしながら宝石とシャルナークをみた。眩い金色のブローチ。白銀に輝くティアラ。細かいことはわからないけれど、そこには色とりどりの石が使われた宝石があった。ひんやりとして、重い。シャルナークはナマエの耳に、エメラルドのイヤリングをつけてくれた。
――似合ってるよ。
シャルナークが言うので、ナマエは照れてえへへと笑ってごまかした。売ったらとんでもない額のお金になるだろうとか、好きなものはぜんぶナマエにあげると言い、シャルナークは得意気だった。それはそうだろう。このお宝を盗めたのはシャルナークの計画があったからだ。ねえ、オレたちならこの先も色々なお宝が盗めるかもしれないよ、とシャルナークは微笑んだ。二人だけで共有している秘密の時間、世界にはナマエとシャルナークだけで、世界は二人のものだった。ナマエはあのとき、シャルナークの世界に入りこめたのだと思っていた。
シャルナークがくれたエメラルドのイヤリングは、いまもナマエの耳もとで揺れている。あれから何年も経つけれど、シャルナークが今日こうしてナマエに会いに来てくれたことはほんとうに嬉しかった。幻影旅団として暗躍していくシャルナークにとって、ナマエの存在はきっと小さなものになっていったはずだから。
ベッドサイドのテーブルに、黒塗りの表紙の本があった。本をみつめるナマエの視線に気づいたのか、シャルナークが回りこんできてその本を手にとった。ナマエの前に差しだして、「ナマエが欲しがってた本だよね」と言う。受けとって中を捲ると、星々の写真と解説がのっている。古い本で、一般には販売されていない。ナマエは過去の遺物みたいなものが好きだ。
ベッドに座ってまじまじと開いたページをみていたら、シャルナークが本を取り上げた。えっと思ってナマエは顔をあげる。ツインベッドのもう片方にシャルナークは腰かけ、本をかるく放った。
「ナマエ、ここまで来て本を読みにきたんじゃないよね?」
「えっと」
「それともこの本が何より目当てだった?」
「そんなことはないけど」
小さな声になってこたえると、シャルナークは溜息をはく。
「ディナーは美味しそうに食べるし、夜景には夢中だし、楽しそうで何よりだけど、全然オレの目をみて話そうとしないよね、そんなにオレと話すことない? 本を受けとったらもう帰りたいとか思ってるの?」
「シャルだって、あんまり喋らないじゃない」
シャルナークの目をみれなかったのは、緊張していたからだ。
久々にみたエメラルドの瞳がきれいすぎて、直視できないでいる。数年会わなかったのに、久しぶりにメールがきたときは動揺してしまった。
元気にしているか、と、困っていることはないか、というような内容で、シャルナークの意図がわからない。でも、また会いに行くよと言ったきり数年連絡がなかったので、すっかり忘れられていると思ったのだ。シャルナークが元気でいてくれたことは嬉しい。でもどんなふうに自分の気持ちを伝えたらいいのかわからず、星の伝記に纏わる古い本が欲しくて困ってる、みたいなことを送ってしまった。どんな返事が返ってくるかと思ったら、みつけてあげる、と返ってきた。その数日後には電話がかかってきて、日付と時間と最寄りの空港を指定されて、来るように言われた。今の住処の場所を教えてもいないのに、シャルナークは把握していたらしい。
飛行船での旅。
目的地は大きな都市。観光に連れて行ってあげると言われたけれど、飛行船でのディナーは豪華で部屋は広い。夜景も美しく、観光の前にけっこう満足している。夜空を漂う間に眠りにつき、明け方には都市へ着くということだ。
久々に会って、シャルナークは以前より逞しくなった印象を受けた。幻影旅団の一員として生きているシャルナークの日々は、ナマエとは遠い。どんな会話をしたらいいのかわからなくなった。町の定食屋で働いて、地味に暮らしているナマエの日常なんて、シャルナークにとっては面白くないだろう。なにかを盗むことも、流星街で暮らしてシャルナークと一緒だった頃だけの話だ。一人ではなにもできないし、なにも持っていない。今さら話すことはない。それでも、シャルナークに会いたい気持ちだけは本物だった。
黙っているシャルナークを、そっとみつめる。目が合うと、やっぱり恥ずかしい。逸らさずに耐えていると、シャルナークは頭を掻き、
「それはだって、ナマエが昔より……」
と言って口ごもった。
「昔よりなに? はっきり言ってよ」
ナマエが声をかけると、シャルナークは急に立ち上がり、ナマエの隣に腰かけた。びっくりして、ふり向くより先に、ぎゅっと抱き寄せられる。シャルナークの、ほんのり甘いような匂いが懐かしく、胸が騒いだ。
「昔より可愛くなってるから焦った、誰にも盗られたくないし、帰したくないし、余裕なくなったんだよ」
すこし怒ったように言って、シャルナークは抱擁をつづける。心臓がうるさい。そんなことを言われるとは思わず、顔が熱い。ナマエはためらいがちに、シャルナークの背中に手を回した。思っているより筋肉質で、硬い身体の感触にどきどきする。「何か言えよ」とシャルナークがつぶやく。ナマエは迷いながら、口を開く。
「シャルにずっと会いたかったの、でも言えなかった」
「なんでだよ、言えばいいのに」
「忙しいでしょ、わたしに構ってる時間はないと思って」
「オレのことなんて忘れてると思ってた」
「わたしも忘れられてると思ってた」
そうこたえると、シャルナークは「なんだよそれ」と言って、おかしそうに笑った。ナマエもつられて笑った。「これ、まだつけてるんだね」と、シャルナークはナマエの耳元でささやき、唇でエメラルドのイヤリングにふれてそのまま耳朶にキスをする。くすぐったくて、ナマエは身を捩る。
「これはお守りなの、シャルナークがくれたから、きっと幸運でいられるお守り」
「盗んだものなのに」
「別にいいでしょ、それも大切な思い出なの」
「それじゃ、これからもオレと思い出つくっていかない?」
首筋に唇をくっつけて、シャルナークは喋った。「オレ、昔からナマエのことが好きでどうしようもないんだ、ナマエさえよければオレの一番近くにいてほしい、この先ずっと」真摯な声だった。シャルナークがいまどんな顔をしているのか気になって、ナマエはシャルナークの頭にふれる。頬に手をそえると、シャルナークがすこし離れて、ナマエを見下ろした。
ナマエはシャルナークの顔をまじまじとみつめる。頼りなく揺れるエメラルドの瞳をみたとき、心の底から美しいと思った。こんな美しい色が嵌った瞳をほかに知らない。なによりもナマエが欲しいのは、この男なのだ。そして唯一、失いたくないものなのだ。
「わたしでよければ」
ナマエが言うと、シャルナークはほっとしたように破顔した。唇が近づいてきて、柔らかなキスにこたえる。盗賊という刹那的な生き方をするシャルナークが、この先も無事に生きて、いつまでもナマエに会いに来てくれますように。一人きりで生きているナマエのなかのちょっとした哀しみを、どうかすくい上げて安らかなものにしてくれますように。
キスをくりかえしながら、ナマエは祈るように目を瞑った。