歩けなくっても君となら
舗装されていない道のりを歩いている。底が薄い靴を履いたのは失敗だった。とがった砂利が足の裏に刺さるような感覚を感じるたびにこの靴を履いたことを後悔している。それでもこの近くには靴を買えるような場所はなく、さらに歩いた先にある街に行かなければ靴を買うこともできないし、この砂利が続くのはその街に行きつくまでの間であることを考えると、靴を買いなおしたところで意味はないだろう。クラピカは涼しい顔をして歩いている。わたしよりも歩幅が大きなクラピカが彼の歩調で歩くとわたしよりもずっと早く歩いて行けるのに、彼よりも小さな歩幅のわたしに合わせて歩いてくれる。この道を歩いて何分経っただろう。「休憩」とすっかり息が上がり切ったわたしが、やっと見つけた木陰を前にして言うとクラピカは呆れたような表情を浮かべた。
「まだ十分も歩いてないと思うが」
「いいや!もう三十分近く歩いてるね!太陽の位置がちょっと動いてるよ」
「元気そうに見えるが?」
「十分疲れてるよ!」
口から出たのは少しもかわいくない苛ついた言葉で、クラピカはそれを聞いて木陰の下にある砂利の部分に座り込んだ。木の根に座れば、と言ったが彼は「それはナマエが座ればいいだろう」と言う。なんだかんだ言ってクラピカは優しいのだ。そもそもわたしたちが何故こんな場所でふたりで歩いているかと言うと、次の街に出かけるために車を走らせていたものの、途中で事故を起こしてしまい車が大破したせいだ。わたしもクラピカも奇跡的に無傷だった。わたしに怪我が無いことを確認したクラピカは、車に乗っている間はずっと黙り込んでいたのに、彼らしくもないような大きな声を上げた。「だからナマエの運転は危ないとあれほど言ったんだ!」そんなこと言われたっけ、と思い返してみるとスピードが早すぎたことを怒られたような気がする。けれども誰も通らないような、信号のない道のりを飛ばしたところで問題ないだろうと思ったが、急に飛び出してきた動物を轢いてしまった上、車は宙を舞い、地面に天辺から落ちてひっくり返ってしまった。車から這い出すわたしたちの様子はさぞ滑稽だっただろうなと考えていたが、それを見透かされたのか余計に怒られてしまった。クラピカの説教は長い上に人の心にちくちくと刺さるような言葉を言う。「運転できるなら私がするべきだった」と言われてはじめて、クラピカがまだ成人していないことを知った。
「クラピカって何歳だっけ」
「十七だ」
「……未成年?」
「そうだが」
「同じくらいの歳だと思ってた」
「ナマエが子どもすぎるだけだと思うが?」
「何も言い返せない」
クラピカの過去をわたしは知らない。彼と出会ったのは辺境の街で、街の人間に絡まれているところを見かけた時に放っておけずに彼を家に連れて行ったことが最初の出会いだった。毛を逆立てた猫のようにわたしを睨みつけるクラピカは顔は綺麗なのに全然かわいくなかったし、彼が笑うことは無かった。クラピカには身寄りがなかった。その時に彼が硬い表情で話すところを見ているとあまり良い別れをしなかったのだろうと思ったが、それ以上詮索はしなかった。クラピカが話したくなったときに話してくれればいいし、話したくないなら話さなくて良いと思った。わたしにも身寄りがおらず、孤児院で育った経緯もあって、ひとりきりのクラピカのことを放っておくこともできなかった。まだ子どもだったクラピカは仕事を得ることもできずひとりで暮らすことが出来ないと知ったのか、諦めてわたしの家に住むことに決めたようだった。
二十代に差し掛かる前に、わたしの街では成人を迎える。クラピカと出会った時にはすでにわたしは成人していたこともあって自分の住む場所を得ることもできたし、車を運転することもできた。生活に困らない程度の仕事で得る賃金があれば、ふたりで生活するのに困りはしない。贅沢をしようと思うとさすがにお金が足りない。クラピカもわたしも、あまり裕福な暮らしをしようと思っていなかったせいか、質素な暮らしを続けていた。わたしがクラピカに手を差し伸べたことについて、彼はありがた迷惑だと言ったこともあったが、次第にクラピカの態度が柔らかくなっていったときに彼から謝罪の言葉を貰ったので今更それについて言うことはない。そのころにクラピカは成長期を終えて、クラピカの顔がわたしの頭の上にあるのが当たり前になっていた。今までわたしよりも身長が低かったのにと野良猫のようなクラピカのことを思い出して懐かしい気持ちになる。そのころにはもうクラピカはわたしと暮らすことが当たり前になっていて、彼はわたしのどうしようもない性格もよく知っていた。ずぼらで部屋の掃除もろくにできないわたしを呆れながら𠮟りつけるようになって、もうここ数年はどちらが家主でどちらが居候なのかもわからなくなっていった。
クラピカがハンターライセンスを取るために家を出ると言ったのは一か月ほど前のことで、理由を聞いたときに「私にはやるべきことがある」とだけ言われてそれ以上のことを教えてもらえなかった。せめて、わたしが出来ることとしてハンター試験が行われるという場所への切符と、見送りだけはしようと考えて、何らかの時に使うことを考えて積み立てていた預金を解約して、クラピカにお金を持たせようとしたが、彼は受け取ろうとしてくれなかった。彼が強情なのは十分知っているがわたしも彼には負けていないので鞄に無理矢理詰め込むと絶句していた。わたしが何を言っても聞かないことを理解しているのか、クラピカはお金を受け取って、短い礼の言葉を述べた。
——話は旅路に戻る。
車が破損して立往生していたわたしたちは結局、この道を歩いて港のある場所まで行かなければならなかった。距離にして数十キロメートル、クラピカは平気そうな顔をしているが、ハンター試験を受けるような人間でもないわたしはついて行くのに精いっぱいだ。五キロほど歩いて休憩をし、さらに歩いて進むわたしたちのペースはゆっくりだ。もうこの道を十キロほど歩いたのではないかと思ったが、クラピカは「残り三十キロほどだな」と残酷な事実を突きつけてきた。わたしの住む街から港町のちょうど中間地点、この場所を走る車は今まで見かけたことがない。ということはヒッチハイクをすることもできずに、わたしたちは歩くことしかできない。幸い、二日前にたどり着く予定で車を走らせていたこともあって、歩いて街にたどり着くころにはまだ船は出ていないだろうが、時間もあまりない。じわじわと痛み出した足の筋肉を揉んで、もう一度立ち上がろうと足に力をいれたが、うまく入らなかった。クラピカは涼しい顔をしている。彼はどうしてこの距離を平気そうな顔をして歩けるのだろう。もう一度足に力を入れたとき「あっ」わたしはお尻から転び落ちそうになった。「ナマエ」とクラピカがわたしの名前を呼んで、腕を引いてくれた。服の袖の下に隠れているクラピカの腕は見えないが、わたしの体重を引き上げるその力は、男の人のものだ。わたしとクラピカは一緒に暮らしていたのに、クラピカが少しずつ男の人になっていっていることにわたしは気が付いていなかった。
「ごめん」
「いい。もう少し休もう」
「時間は?」
「まだ間に合う。それに……」
「それに?」
「最悪ナマエを置いて行って私だけ走っていけばいいだろう」
「置いて行かないでよ!」
「冗談だ」
きれいに笑うときのクラピカの顔が好きだ。わたしの顔をおかしそうに笑うクラピカは上品に笑うけれど、浮かべる笑みの中にはまだ少年の顔が残っている。さらに十分ほど休ませてもらって、立ち上がった。そのころには足は少しはましになっていた。わたしたちは再び歩き出す。砂利道の続く道路を歩く。「地面ガタガタじゃない?」と愚痴っぽく言うとクラピカは「良い訓練になるよ」と言った。そういえばわたしが仕事に行っている間、クラピカは何をやっていたのだろう。何もしらなかったな。クラピカと一緒に暮らしてたのに、わたしはクラピカのことを何も知らない。
「クラピカって昼間は何してたの?」
「ハンターライセンスを取るための稽古だ」
「知らなかった」
「……」
「わたし、クラピカのこと何も知らなかった。ずっと一緒にいたのに」
クラピカは知らない間に大きくなっていって、わたしが見ていたのはずっと子どもだったクラピカだ。体が大人になっているのを知りながら、クラピカの歩幅はわたしよりずっと大きくなっていて、いつの間にかわたしはその歩幅に置いて行かれていたことに気が付いてしまった。クラピカにはやることがあるというのに、わたしはまだふたりで一緒に暮らしたいと願ってしまう。それをクラピカに言ってはいけないことは知っていた。わたしは大人でなければならないのだ。
「ナマエが、歳のわりに子どもであることは知っている」
「喧嘩売ってる?」
「そういうところを言ってるんだ。でもそこが好ましいと思っている」
「ガキっぽいところが?」
クラピカは考え込むように眉間にしわを寄せていた。クラピカの皮肉っぽい言いまわしはわたしが教えたものではないはずだ。それを指摘するとクラピカはこうして一生懸命考え込んで言葉を選ぼうとする。しばらく考え込んだ後に口を開いた。
「なんだ、私と離れるのが寂しいんだろう。すぐに帰ってくる……とは約束できないが」
「そこは終わったら早く帰ってくるとか言ったら?」
「約束が出来ないことは言えない」
「……」
「でも」
「でも?」
「連絡はする」
「必ず?」
「……必ず」
クラピカが真剣な声で言った。
「絶対帰ってくる?」
クラピカがやることを終えるまでは絶対に帰ってこないだろう、ということを知りながらわたしはわざと聞いてしまった。意地悪な質問だとは思ったが、確約してほしかった。すべてが終わった後に絶対に帰ってくるという確実な証拠が欲しかった。
「約束はできない」
「……そこは」
「そこは?」
「嘘でも帰ってくるって言うところでしょ!」
「……」
「なんで黙るの」
「私はナマエに嘘を付きたくない」
「……」
「ナマエがさみしがってる事も私は十分理解している」
「さみしくなんか」
「酔っ払って泣いてたのはどこの誰だ?」
「えっ?嘘!」
「本当だ。だからこそ、だ。私はナマエが悲しがっていることを知っているが、安心させるための嘘を付きたくない。ナマエの前では正直でいたい」
「……わかった。でも絶対帰ってきて。約束できなくてもいいから」
「努力はする。帰れなくても連絡はする」
「クラピカが帰ってこないなら、わたしが会いに行けばいいだけだもんね」
クラピカは目を丸くしてわたしの顔を見て、柔らかな笑みを浮かべて「ああ、楽しみにしている」と言った。わたしたちは荒れた道を進んでいく。数十キロだって、ふたりで休憩しながら歩けばきっと目的地に到着できるだろう。わたしはクラピカを見送るときに泣いてしまうだろうか。できれば綺麗に笑って送り出したいけど、そんなところで大人の見栄をはったところでわたしはどうしようもなく泣いてしまうかもしれない。たとえ離れたとしてもわたしがクラピカのことを想えばなんだって出来るような気がする。それがたとえ一番離れた大陸だったとしても、クラピカに会いに行くことができるだろう。そう考えれば、この別れは生涯の別れではなく短い間離れるだけのことなのだと思える気がした。昔そうしたように、わたしはクラピカの手を握った。クラピカは目を丸くして、わたしの手を握り返した。男の人にしては柔らかな指先だったけれど、そこにはタコができていて、彼がわたしの知らない間に一生懸命稽古をしていたことが想像できた。
「クラピカ」
「ああ」
「よく頑張ったね」
指のタコに触れると、クラピカは目を伏せていた。少し恥ずかしい時に見せる表情は、大きくなったとはいえわたしの知っているクラピカのままだ。それがおかしくて笑っていると、クラピカはむっとしてわたしの顔を見ている。休憩をしたばかりのせいか、足取りは軽い。ふたりで歩く道のりは長くたって歩き切れるような気がする。