貴方の手となる


*敵病院の看護師設定のif。敵連合の襲撃で両手と個性をなくした治崎廻を介護する話。

『犯人護送中の襲撃事件という前代未聞の失態。重要証拠品の紛失も確認されており、警察への批判が高まっています』

  画面には深く謝罪する警察達の姿が映し出されている。人命を危険に晒し証拠品も紛失したそれは、一夜にして未曾有の大事件となっていた。テレビではどの番組でもその事件ばかりを取り上げて報道する。小南が敵病院の一室に置かれたテレビを見ていた時だった。彼女のもとへ二人の中老の男性が一つの頼みを持って訪れた。片方は小南もよく知っている人物だった。教会で一人残り続ける彼女を心配して、この胝棚の敵病院に勤務することを勧めてくれた男。ここの院長であるその人は、娘同然に接してきた小南に笑いかける。

「ああ小南ちゃん。ちょうどいい。今から探しに行こうと思ってたんだ」

  院長の隣には杖をついた見知らぬ男がいた。言い辛そうに口ごもる院長をその男は手で制して一歩前に出る。困った顔の院長に男は首を横に振った。私から話そうと一言告げて、院長を遮って代わりに用件を率直に述べる。

「君が小南さんだね。初めまして。警察から君に頼みがある。君の“個性”が必要なんだ。八斎會の……特に治崎の世話をしてくれないか」

  先程の報道番組で流れていた謝罪会見のように、深く頭を下げて警察の男は小南にそう言った。そこまでする程のことなのだと瞬時に悟った。ここへ来るにあたって院長に教えた個性。小南の個性の一部であり院長はそれを小南の個性と信じて院内での役割を与えた。個性は断片的にしか伝えていないが、それだけでも優れた効果はこの環境下では求められるものだった。喉から手が出る程の貴重な個性であった。白い紙によって相手の個性を無効化する一方で、紙は個性のみならず触れたものなら痛みすら取り除く。その個性は敵病院においては必要不可欠であり、それを扱える小南は特殊な施設の中では非常に重用されていた。このようなことは初めてではない。院長は危険な目に遭わせてしまうと悔やむが、小南は役に立てるのならばそれでも構わなかった。その場には断れない空気が漂っていた。警察を見つめ小南は静かに頷いた。

「わかりました。お手伝い致します」
「ありがとう。すまんね、協力感謝するよ」

  綺麗な人形のように整った美しい顔に、どこか憂いを帯びた微笑を浮かべて返事をする。何故彼女のような麗人がこのような場所にいるのか些か疑問にさえ思うが、目的の人物に無事引き受けて貰えたことに、警察の男は目に見えて安心した様子でにこやかに笑った。それと反比例するかのように、院長は申し訳なさそうに眉を下げて労いの言葉をかける。

「小南ちゃん……鯨の彼を任せた後にまた大変なことばかり君に任せてしまって……」
「……ありがとう先生。でも私は大丈夫です。微力ながらお役に立たせて下さい」
「ああ本当に昔から変わらない……私が至らないばかりに……礼を言うのは私の方だよ」

  まさに君は白衣の天使だと涙を流しながら豪語する。血は繋がってなくとも、そんな院長を温かい目で見る小南が男の目には普通の親子のように映った。彼女が今までこの手の患者の世話を主にしてきたことは、彼も院長から事前に話を聞いている。先程の院長の発言からこれ以前も似たケースの患者を受け持っていたようだ。経験も個性も申し分ない。明確な根拠を持って彼女なら大丈夫だろうと強くそう思えた。冷たいリノリウムの床を歩いていく。杖をついて男は敵病院を後にした。


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「治崎廻……素敵な名前ですね」

  診療録に記載された名前を読み上げて小南はそう言った。その名前の男は黙ったまま、窓の外の景色を見つめて何も語らない。治崎廻。八斎會の若頭であると聞いている。ニュースで流れていた護送中の犯人の一人であり、また襲撃事件の被害者でもあった。包帯の巻かれた治崎の両腕は左右で長さが疎らで、それより先は手も指もなく不自然に途切れていた。院長と警察が言うには、今世間の注目を集めている事件によって彼は両手を失い、必然的に手で触れることが発動条件の個性も失ったのだという。何をするにしても手は大抵必要であるというのに、左右共に奪われて何かを掴むどころか咥える指すらない。その上院長の話では治崎には些か潔癖の気があるらしい。包帯を巻く際に軽く触れただけでも、拒絶反応のように体に蕁麻疹が出たそうだ。潔癖症で他人に世話されるのなら口を閉ざしたくもなるだろう。敵病院に搬送される人間は大体敵か敵に近い人間だ。現に治崎らも犯人であり患者としてここへ運ばれてきた。けれどそちら側の人間だと分かっていても同情せざるを得なかった。両手も個性も奪われ、他人の介護なしでは生きていけない治崎が、小南には不憫に思えて仕方なかった。

「私は紙嬰小南。紙嬰の嬰もめぐるという意味があるんですよ。私たち、お揃いですね」

  廻と嬰。共にめぐる、めぐらすという意味を持つ。こじつけに等しいが、偶然にも些細な共通点があった。力無く金の目を囲うすっと伸びた睫毛が微かに震える。小さな反応を示した治崎に小南は優しく微笑むと、ベッドの横に置かれた椅子から窓辺を背にしてゆっくりと立ち上がった。犯人を相手に可笑しなことを言うと自覚はあった。だからこそ伏せ目がちに治崎を見下ろして少し前置きをした。

「立場上、私がいうのもおかしなことですが……」

  小南が背を向けた窓辺には淡い色の花が飾られていた。柔らかな印象を与える丸い大きな花弁は、気持ち良さそうに風に吹かれ僅かに揺れる。穏やかな風にはためくカーテンの隙間からは、清々しい程に雲ひとつない青い空が覗いていた。警察から世話を見るにあたって気をつける点も含めて軽く詳細を聞かされた。小南は治崎に近づくと、ベッドの上で上体を起こしたままのその体を欠損した腕ごと、頼りない女の細腕でそっと抱き締めた。

「お疲れ様、治崎さん。これからはどうかお身体をお大事に、どうか無理はなさらないで」

  何の前触れもなく柔い胸に顔をうずめさせられて、優しく包み込む温もりに治崎は困惑と嫌気を起こす。長さの足りない腕は動かせるまでに回復していなかった。他人に触れられることが嫌で、この状況も例外なく不快で仕方ない。だけど無性に包まれることに、何故か治崎の意思とは反して目頭が熱くなった。労り慰めるかのように背中を撫でる手がどうしても慣れなくて、けれどそれを拒むことができるような手も個性も既に治崎にはなかった。ご苦労と部下に声をかけたことはあっても、その逆はなく今までかけられたことのない言葉だった。本当は組長であるその人に言われたかった。その為だけに彼は、恩人であるその男に報いる為に後先も考えずに行動に移したのだから。抱擁されたまま抵抗も儘ならない中で、長く尖らせ張り詰めていたものがとうとう切れた。洗剤の香りに紛れて白衣に染み付いた薬品の匂いに鼻がつんとする。そのせいだろうか。治崎の目からとっくに枯れたはずの涙がグレーの看護服を濡らした。

「今後は私が貴方の手となります。至らない点もあるかと思いますが、宜しくお願い致しますね。治崎さん」

  以前ここへ来た当初に院長から習った。個性のある現代では過去の遅れた古い知識となってしまったが、抱き締めることによる効果は様々あるのだと。遥か昔では医療の現場でも注目されていた。その一つに痛みを和らげる効果も期待できるという説がある。その説によれば鎮痛作用はモルヒネの約6.5倍だという。またある説ではストレス解消にも効果があると説明された。敵病院に送られる患者の中には、悩みやストレスを抱えた者も少なからずいた。そのストレスも抱き締めることで解消することが可能だという。現代では使われることもなく、そのような知識だけが蓄積していった。教えて貰ってはいたが、小南が誰かにするのはこれが初めてだった。そうすることを率先して自ら思い立つ程に、小南には治崎という男が今にも壊れてしまいそうで、儚く消えてしまいそうで危うく思えてならなかった。溜め込むのは心身共に良いとは言えない。怒りも悲しみも苦しみも何もかも流してしまえばいい。一人で抱え込むよりは賢いと、いつかの自分を院長がそうしてくれたように。治崎が落ち着くまでの間、腕を離すことなく小南は暫くずっとそうしていた。


「……離せ」
「ふふ。ごめんなさい」

  随分と長く感じられる時間を過ごした。組長に拾われた時以来、久しく触れ合う人の温もりに声もなく涙だけを流すと、治崎はぶっきらぼうに一言だけこぼした。初めと同じように小南はゆっくりと体を離す。少し赤くなった金色の目は、再び揺らぐカーテンとその向こうに広がる景色を捉えていた。視線を逸らす治崎の顔に、ポツポツと浮かび上がった発疹に小南は眉を下げて笑う。それから白衣のポケットから清潔そうなガーゼのハンカチを取り出すと、まだ乾かない濡れた治崎の目元付近を擦らずに拭っていく。薬品の匂いに眉を顰める治崎にまた口許を優しく緩めて、べたつく前に拭い去った。何とも不思議な巡り合わせだが、これもきっと何かの縁なのだと小南は思う。自身を院長が招き導いてくれたように、それによって今があるように。両手を失った患者の世話をするのは初めてだが、不慣れであっても今度は自分がこの人の力になりたいと思った。救われる側から救う側へ。その考えはあの日この道を歩むと決めて以来変わらない。湿って一部分だけ色が濃くなった灰色の白衣には涙の跡が残っていた。


「お食事お持ちしますね」


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その頃の玄野

「なんだいこのチャラチャラと長ったらしく伸びた垂れ下がった髪は。邪魔だねえ」
「った!(なんだこのババア力強すぎだろ)」
「あし、あしんめ、あしめと……何だったかねえ?そんな名前の髪型かい?でもまあ、邪魔だから取り敢えずバリカン持ってくるよ」

「!?!?チェンジで!!廻!私もその女がいい!このババアやばすぎる!!刈りとられる!!おまえ髪短いだろ、チェンジで!!」
「やかましいねえ。あんなおっかない目をした危ない患者、こっちから願い下げだよ」

「可愛いけれどいじわるは駄目ですよ、トメさん。玄野さんは頭髪が“個性”と関わっているようですから、多分刈らない方が宜しいかと」

「(良かった助かっ……!?あれは可愛いって笑って済ませるようなことなのか!?多分じゃない!もっと自信を持って言ってくれ!)」

「おや、そうかね?小南ちゃんが言うなら仕方ないねえ。ああ悪かったねえ。おまえさんたちが“わたしの”小南ちゃんをいじめてるってクソジジイから聞いたもんでねえ」
「(このババアやばい)」

2017.12.07
トメさんとカメさん。多分続きます。


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