拝啓、未来の義兄様


 一般的に屋敷と呼ばれるような大きな家に住んでいたし、近頃は社交会にも積極的に参加するようになり絢爛豪華な建物は見慣れたつもりだったが、此処──荘園はまた違った雰囲気で立派な屋敷だと思う。決して派手ではないが、廊下やホールに規則的に施された装飾は手の込んだものに見えるし、それぞれの部屋は同じように見えて異なった内装をしていた。
 なにより一番驚いたのは、使用人の姿が一人も見当たらないのに塵ひとつなく常に清掃が行き届いているということだ。けれど初めてゲームに参加したあの日以来、そんな些細なことは気にならなくなった。毎日荒唐無稽なゲームが繰り返されるこの荘園では、疑うことも無駄だと私は程なくして悟ったのだ。


「……おや、新入りさんかい?」

 荘園に来たその日の晩、ここにいる人が全員揃うらしい夕食の席。真ん中の席を用意された私に、皆初対面で好意的に声をかけてくれていた。予想よりたくさんの人がいて驚いたし、出身も年齢も本当にバラバラだ。彼らの口振りからしてきっと長い生活になるのだろうが、この様子ならなんとか上手くやっていけそうだと少し安心する。
 少し遅れてホールにやってきたフードの青年は、皆に囲まれる私の姿をじっと見つめて真っ直ぐこちらへ歩み寄ってきた。目隠しをしている彼とは視線が合わないが、興味深そうに私を見ているのは明らかだ。今日来たばかりのなまえさんだよ、と誰かが私を紹介すれば、彼はわかりやすく口元を緩ませて手を差し出した。

「はじめまして、なまえさん。私はイライ・クラーク、占い師だよ。困ったときは力になるから何でも言ってね」
「なまえです、はじめまして。まだここの環境に慣れていないので、頼りになります」

 思わず笑ってしまいそうになるのを隠して、ありきたりな言葉を並べてにこにこと握手を交わす。力強くも優しい手だった。正確にはイライさんと私は初対面ではないのだが、彼の様子を見る限り気付いていないようで安堵した。その方が互いに都合が良いだろう。

 この荘園にいる人達の中では珍しいそうだが、私は裕福な家で生まれ何不自由なく暮らしてきた身だ。先祖から続く事業を受け継いである程度の資産があるが、更なる利益と成功を求めた私の両親は、とある占い師に市場の未来を予言してもらい、そしてあろうことか長女である私の姉、ゲキウとその占い師を婚約させたのだ。政略結婚というものは上流家庭では珍しくないが、よりにもよって怪しげな占い師とだなんて。私は最初こそ密かに憤慨したが、その彼が意外と誠実で優しい人らしく、姉がだんだん惚れ込んでいったのは見ていればすぐにわかった。
 けれどある日、その占い師──イライさんは突然遠くの地へ行きそのまま何ヶ月も帰って来ないどころか連絡の一つも寄越さないのだ。何処に行ったのか、どうしてか、詳しい理由は知らない。彼のことを尋ねればいつも嬉しそうに何でも答えてくれる姉は、それについては頑なに何も教えてくれなかった。


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「婚約者がいるんだ」

 唐突に、独り言のように。イライさんの声はいつもより幾分も優しかったが、それと同時にどこか悲痛、諦観、切望……そんな感情がこもっているようにも思えた。

「ええ、先日皆さんと話したときに聞きましたよ、婚約者さんのために此処に来たって。とっても優しくて美しい方なんでしょう? イライさんに愛されているなんて、婚約者さんはきっと幸せ者ね」

 何も知らないフリを演じなければならないと口を開けば、微塵も思っていない言葉がすらすらと並ぶ。自分のことながら少しばかりの恐怖すら覚えた。常に誠実にあれ、なんて言われた通りに綺麗な籠の中で育ってきたのに、此処に来てからの自分の変貌ぶりには多重人格さえ疑ってしまう。
 幸せ者ね、だなんて! 我ながらなんて酷い言葉だろう。彼の婚約者は、私の大切な姉は、今も家に閉じ込められて、彼への愛情と親からの重圧の板挟みでずっと苦しんでいるというのに!

「ああ、とても素敵な人だよ。私には勿体ないくらいに。……彼女は令嬢でね、政略結婚なのは明らかなんだ。それでも私を献身的に支えてくれるんだよ、愛してる、ってね」

 そこまで聞いていたんだね、と小さく溢してから彼はぽつぽつと語り出した。その姿は今までこの荘園で見たどんなときよりも嬉しそうだった。見えない目隠しの下の表情まで伝わってくるように。
 私がもし、他の皆のように自分の願いのために訪れたただのサバイバーだったら、なんですか惚気ですか、なんておどけて彼に続きを促したのだろう。けれど今はただ知らないフリをするのに精一杯で、笑って相槌を打つことしかできなかった。

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