路地裏の眠り姫
身体がふわりとした感覚に包まれる。
まるで無重力の空間に居るかの如く、僕は何処かに浮遊していた。
此処は、何処なのだろうか。
視界はどこまでも真っ白だった。手を伸ばしたかと思えば身体はまた揺れて、くるりと一回転したらしく、空――があるであろう上の方を見つめたままゆっくりと落ちていく。
あろう、と云うのは確信が無いから。思考は確かに機能しているが、何処かしら抜け落ちている様にも思う。けれど其れが何かすらわからない。
服も髪も靡かない。落ちていく恐怖も吸い込まれる感覚も無い。
少しずつだが意識が朦朧として、段々と思考すら億劫になる。
それはまるで、心地の良い眠りに落ちる時の様で――。
*
眩しい光で目が覚めた。
真っ先に視界に飛び込んで来たのは転がる拳銃で、その先には無機質なコンクリートの壁に凭れて座り込む人。急速に思考が動き出す中で、僕も壁を背に預けて座り込んでいる状態だと気付く。
遠くに霞む建物に、此処がビル街の路地裏だと思い出した。
開けた視界に焦るよりも先に、僕の右肩で何かがこくんと揺れた。
「…………?」
座り込んだ僕に凭れかかる様にして、少女が一人、眠っていた。
体勢の所為でよく解らないが、僕より少し背の低い位か。年は同じ程に見える。彼女の髪が頬に触れて如何にも擽ったい。
状況が読めないが、取り敢えず怪我は無さそうだった。けれど此のまま此処に寝かせておく訳にもいかない。
さて如何するべきか、なんて考える頭を、最大の疑問が過る。そして漸く気付く。
「……僕、如何して眠ってなんか」
眠りに落ちる前の記憶が段々と蘇ってくる。
目の前の男と僕は、確か武器を構え睨み合っていた。――これが今回の依頼。単独侵入犯を捕らえるのが僕の仕事だった。
けれど今は、どちらも眠って仕舞い、更に隣には見知らぬ少女が居る。
催眠瓦斯等を吸った記憶も無い。抑も眠りに落ちる瞬間の記憶が無いのだ。其処だけ時間が止められたかの様に。
――だとしたら考えられるのは。
「…………異能力?」
辿り着いたひとつの結論が其れだった。
辺りの人を眠らせる異能力、そう考えれば納得だ。
此奴を止めようとしたのか、僕を助けようとしたのか。どちらにせよ彼女は悪い人では無いんだろう。
此処ヨコハマで起きる不可解な事象を、異能の所為だと納得出来て仕舞う現状に苦笑する。其れでも実際そうなのだから、仕方がない。
少女をそっと抱き抱え、壁に凭れさせる。そして手早く目の前の男を縛り上げた。其れでも全然起きる気配は無かった。
何故僕だけ先に目覚めて仕舞ったのか疑問だが、其れは少女が起きない限り如何しようも無いだろう。
「……ありがとう」
先程迄頬に触れていた少女の髪を鋤く。
すやすやと規則的に寝息を立てる姿には、此の場所は似合わない。
携帯を取り出して、僕は太宰さんに電話を掛けた。
――早く、少女に感謝を伝えたい。