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「じゃあ皆あの時のオレンジコートに居たんだ...!」
そう言って名前さんは感慨深くひたる表情を見せた。木兎くんの高校最後の春高を名前さんも観に来ていたらしい。
「あの時に光太郎と試合してた男の子と今一緒にお酒飲んでるって、変な感じ」
「.....そうだね」
昔の話とはいえ男の子、というのは少し不服であったが、名前さんが心底嬉しそうにそう言うので負の感情は飲み込んだ。
「名前さんは、仕事何してるの?」
「私は普通の会社員だよ。新卒で入った時から営業やってる。...こんなだから、あんまり想像付かないかな」
「......いや。俺喋るの下手な自覚あるけど、名前さんとなら何か話せる。から、何か納得した」
「そう?嬉しいなあ」
確かにふわふわした雰囲気の名前さんがスーツを着てバリバリ営業をしている想像は正直付かなかったが、何故か彼女の前では話が出来てしまうのは、人当たりの良さと適度な距離感なんだろうと思った。現になかなか面倒臭い性格である筈の自分も、簡単に絆されてしまっている。
「.....やっぱり、もう一杯飲む」
「お!付き合うよ!けど程々にね」
酒は特別好きな訳ではない。2杯目を飲み進めると、雰囲気にも飲まれていたのかいつもよりもアルコールが回る感覚があった。目の前の名前さんが少し顔を赤らめて笑っているのは、都合の良い幻覚なのか。
「新幹線の時間、大丈夫?」
自分でも時間を意識はしていたし分かっていたが、名前さんの口からそれを聞かされると、何だか心臓がちくちくした。
「.....うん。そろそろ、行かないと」
店員に会計を告げ、預かった伝票のバインダーにカードを挟む。名前さんも酔っ払ったのか、店を出るまでお互いに無言だった。
「会計ありがとう。5,000円で足りる?」
少し店から離れたところで、名前さんに差し出される。
「いい。俺が誘ったし」
「私も来たくて来たし!」
「いや、あー、でも......」
攻防戦になかなか折れない俺に、しょうがないな、とでも言うかのように笑みを溢すと、名前さんは手に持っていた札を財布に戻して「次はご馳走させてね」と言った。
「次......」
「佐久早くんが付き合ってくれるなら、だけどね」
「行くよ。当たり前でしょ」
「はは、食い気味」
何気ない会話でも格好付けていたいのに、名前さんと話していると上手く話せない気がする。というか、人に対してそんなことを気にして話したことがなかった。擽ったいのに、心地良いような。確かに分かることは、このとき俺は、駅に着かないでくれと割と本気で思っていた。
「丁度良い時間だね。良かった」
「......うん。わざわざ改札まで、ありがと」
電光掲示板から目を離したあと、気を付けてね、と俺は直ぐ近くにいるのに名前さんはひらりと片手を振った。別れ際になって、昨日電話を切る前に古森に言われたことを思い出す。直ぐに離れるんだから、少しでも気になってるなら、行動しておかないと始まりもしないぞ、と。
「......名前さん」
「ん?」
「ごめん、おれ少し酔っ払ってて、許して欲しいんだけど」
「うん」
ぎゅ、とほぼ無意識に左手で名前さんの右手を掬った。
「今おれ、凄く、大阪に帰りたくない」
思い切った言動をしているのに、やけに頭は冷静だった。心のどこかでしたくてそうしていたのかもしれない。俺ってこんな奴だったっけ。
「......私も、楽しかったから、ちょっとだけ寂しい」
「ちょっと?」
「うーん、嘘、結構かな」
そう言って少しの間押し黙ったあと、試合楽しみしてるね!ちゃんとアプリで観るから!と、空気を明るくしようとする名前さんに少しだけ、泣きそうになった。
「...また、連絡してもいい?」
「もちろん。私も、していい?」
「して。東京来るときは、連絡するから」
「分かった」
「............忘れないでよ」
忘れないよ、試合だって観るんだから。大阪と東京なんてすぐだし、またそのうち会えるよ。
こんなに何かに未練のような感情を持つなんて初めてだった。昨日会ったばかりの女の人。久しぶりに降り立った東京の街。テコでも動かない冷めた性格だと自負しているのに、こんなにも感情が揺ささぶられることがあるなんて、この年まで知らなかった。
まだまだ名前さんのこと知りたい。教えて欲しい。俺の話も少し聞いて欲しい。帰らなくてはならないということも、名前さんはああ言ってくれたけど大阪と東京の距離も、いまはただただ心の中で呪うしかない事実だった。
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