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今おれ、凄く、大阪に帰りたくない。
私の手を取ってそう言った佐久早くんの、瞳の熱も、手の温度も、そのシーンを浮かべるだけで直ぐに思い出された。しかもそのあと私に対して、そっちは寂しくないの?と言わんばかりに首を傾げたのだ。無意識にやっているなら恐ろしい。
そんな話を聞きながら、いつの間にそんなに進んでたの!?と香里はカフェテリアでコーヒーを啜っている。
「うーん...でも、何かはっきり言われた訳じゃないし。それに、会ったばっかり、だし」
「そうだけど、東京と大阪だしねえ。佐久早くんも何か行動起こしておかないとって思ったんじゃないの?」
「そうなのかな...」
「行動派なのね佐久早くん、意外だわ。名前も満更じゃないでしょ」
そりゃあ、そうだ。10人に問うたら10人がイケメンと答えるであろう整った顔立ちだけでなく、気怠げな雰囲気故の色気、口下手だから分かりづらくはあるが偶に見え隠れする優しさや気遣い。はっきりと言葉にはされなくとも、少なくとも嫌われてはいないだろうと予想する。興味のない人間や、嫌悪感を感じる相手にわざわざ近付くようなタイプでもないだろう。
「名前からも何かアクション起こしてみたら?待ってるかもよ〜」
「そう、かな」
彼を東京駅で見送った日から約1週間ほど。メッセージでのやり取りは続いていたが、そろそろあの落ち着いた声が懐かしくなってきた頃だった。電話してみようかな、と溢すと、きっと喜ぶよ!と香里が背中を押してくれた。
「おつかれさま。今日電話できる時間あったりする?忙しくなければで大丈夫です」
電話は初めてだし、忙しいであろう彼にいきなり掛けてしまうのも憚られたので、読んでくれたらラッキー、くらいでメッセージを残してみる。これなら無理なら無理と返せるだろう。
何となくそわそわして、トーク画面を見ていられずスマホを暗転させるが、直ぐにそれは明るくなりメッセージの受信を知らせる。「お疲れ。できる。今でもだいじょうぬ」佐久早くんにしては珍しい誤字に思わず口元が緩む。その様子とレスの早さから、迷うことなくそう返してくれたことが嬉しくて「じゃあ掛けるね」と送ってひと呼吸置いたあと、通話ボタンを押した。
「......もしもし」
「もしもし、名字です」
「ふっ、知ってる。佐久早です」
「ちょっ、真似しないで!」
出会った当初より幾分も柔らかい声が鼓膜を揺らす。決して表情が豊かではない佐久早くんが、少し口元を緩めている光景が脳裏に浮かんだ。
「なに、名前ちゃん緊張してるの」
「......そうだって、言ったら?」
「......」
「...佐久早くん?」
「......俺もだから、人のこと、言えない」
「っ、お互いさま、だね...」
これは、彼なりの努力というか、頑張りなのだろうか。皆で飲んだ日にはどうにも感情が掴むのが難しいなと思っていたが、それを自覚した上で、彼なりに伝えてくれているのだろうか。何を考えているか、どう思っているか、とか。
「あの、さ」
お互い近況報告をしそろそろ日付も変わる頃、どちらからともなく、切り上げる流れになる。ふいに、佐久早くんが神妙な声色で始めた。
「うん」
「......名前、呼び方、変えてもいい?」
「呼び方?何でも。何て呼ぶの?」
「名前ちゃんって、よぶ」
「あはは、どうぞ。急にどうしたの?」
「......宮に先越されて、気に食わなかった」
理由がまたなんとも彼らしいというか、彼にとってどうにも宮くんは良くも悪くも特別らしい。
「名前ちゃん、俺のことも、名前で呼んで」
「......聖臣くん?臣くん?」
「...2つ目は宮と被るから嫌だ」
「ふふ、じゃあ、聖臣くん」
「...うん。それで」
次この声が聞けるのはいつだろう、着る前から寂しいなんて、学生恋愛みたいだ。
「...じゃあ、おやすみ。名前ちゃん」
「おやすみ、聖臣くん」
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