私と清隆くんは友達になった。実はこの時私は図らずも好きな人の初めて二個目───初めての友達───をゲットしていたのだが、それを知ることはない。
「名前、こっちで一緒に食べない?」
昨日は入学式だった為、今が高校最初の昼休み。私は恵達のグループに誘われて、逡巡しながら後ろを振り返る。すると清隆くんは悲しげに私を見つめた後机の隅に目を落とした。そんな、捨てられた犬みたいな反応されたら私の心臓がもたないんですけど!
「えーっと、これから食堂に行こうと思うんだけど、誰か一緒に行かない?」
私が誘いを断ろうと口を開いたところで平田くんがクラスメイト達に向けて呼びかけた。その真意は男子達のぼっち救済なのだろう。順番に席から動かないぼっち男子達を見ていた。しかし可哀相なことに、反応したのは平田くん狙いの女子達だった。ちらりと清隆くんを盗み見ると、どことなく残念そうな顔をしている。中途半端に挙げられた手のやり場を誤魔化す為に頭を掻いたのは見なかったことにしてあげよう。
「名前も一緒に来ない?」
恵が改めて誘ってくれるけれど、私は両手を合わせて謝罪のポーズを取った。
「ごめん、私一緒に食べたい人が居るから。でも誘ってくれてありがとう」
「ふーん。分かった。じゃあまた今度一緒に食べよ」
恵はそう爽やかに言い残して平田くんを引き連れて去っていった。
「悲惨ね」
一部始終を見守っていた女の子──確か堀北さんだ──が口を開いた。その言葉は誰に向けられたものか。おそらく清隆くんだろう。しかし清隆くんはぼっち飯をすることにはならないので、決して悲惨でも哀れでもない。
「じゃあ清隆くん、一緒に学食行こっ!」
「え?」
清隆くんと堀北さんが揃って顔を上げ、驚いた顔で私を見た。そういえば、私が清隆くんに断られる可能性を考えていなかったな。仮にも友達第一号だし。でももしかしたら周りからカップルだと思われるのは嫌かも。
「それとも、男同士じゃないと嫌?」
「いや、是非も無い」
「やったぁ! あ、堀北さんも一緒に食べる?」
「結構よ」
一貫した堀北さんの態度に、私と清隆くんは「そういうと思った」とハモった。つれなく教室を出て行った彼女に続いて教室を出て、私と清隆くんは食堂へと足を運んだのだった。
「苗字って、もしかして相当な方向音痴か?」
食堂に辿り着いたところで清隆くんが私の性質を言い当てた。ここに来る道中、清隆くんが右に曲がろうとする角で左に曲がろうとして衝突したり、清隆くんが降りようとした階段で登ろうとしたり、何度もはぐれかけたのだ。そう、何を隠そう私はかなりの方向音痴である。しかも探検好きで迷子癖があり、実は昨日あの後も渡り廊下から教室へ戻ることが出来ず彷徨っていたところを警備員さんに保護されて、入学式会場まで送り届けてもらったのだ。一人だけ遅刻して式の最中に列に交ざった私はそれなりに目立って恥ずかしかった。
「えへへ、当たり。初めての場所だと右も左も分かんなくなっちゃうんだよね」
「そうか。じゃあ食べ終わったら校舎を探検でもするか」
「なにそれ楽しそう! いいの?」
「ああ、苗字さえ良ければ」
「ありがとう清隆くんっ、大好き!」
食事中に校内放送で部活見学会の案内が流れた時も、私と清隆くんは別の話で盛り上がっていて、その時部活のことは話題に上がらなかった。
しかし放課後。清隆くんがそわそわしながら堀北さんと部活の話をしているのを見て、積極的に誘ってみる。
「清隆くん、部活見学会行くの? 私も一緒に行っていい?」
「もちろんだ、苗字は俺の友達だからな」
「堀北さんも良かったら一緒に行こう? 生徒会が進行するらしいよ」
「生徒会……、行くわ」
堀北さんの同行の意志に驚いた清隆くんの様子に「何か文句でもある?」と睨め付ける彼女に「鈴音ちゃんって呼んでいい? 私のことは名前って呼んで。呼び捨てでいいよ」と声をかけ、「あまり馴れ馴れしくしないでもらいたいのだけれど」なんてツンデレをお見舞いされつつ、三人で体育館へ向かった。
「苗字は気になる部活はあるのか?」
「うん、体動かしたいし運動部。色々やりたいから文化部との兼部も検討中かな」
「すこいな。部活とか大変そうで俺には兼部なんて考えられないぞ」
「ふーん。でも上級生との交流は有用でしょ」
「へぇ、そんな思惑があったのか」
「鈴音ちゃんは生徒会?」
「何故そんなことを訊くの?」
「だって、生徒会似合いそうなんだもん。如何にもって感じ」
「ああ、言われてみれば堀北は生徒会っぽいかもな」
「知ってる? 生徒会長の名前、堀北学っていうの」
「どうして貴女がそれを?」
「えへへー、実はねー」
私と生徒会長との出会いを鈴音ちゃんと清隆くんに語り終えたところで、その彼が丁度壇上に上がった。しかしマイクの前に立ったまま一言も話さず、新入生を見下ろしている。それから起こったことは、筆舌に尽くし難い雰囲気を伴っていた。敢えて語らずにおこうと思う。ただ一つ言えることがあるとすれば、生徒会長の堀北学は場の空気を支配する力があり、相当なカリスマの持ち主だということだ。
生徒会長のカリスマ演説が終わると、鈴音ちゃんの様子がおかしいことに気付いた。私と清隆くんが彼女に声をかけようとしたのだが────。
「鈴音ちゃん?」
「堀北、どうし……」
「よう綾小路、お前も来てたんだな」
そこへ、須藤と池と山内が近寄ってきた。この三人は問題児でお馬鹿三人組なので君付けをするつもりはない。昨日の一日あれば充分に彼らが愚かだということは分かったので、敬称など付ける必要性を感じないのだ。
グループラインに誘われた清隆くんがどことなく嬉しそうにスマホを出すのを白い目で見届けてから、ふらっと姿をくらまそうとしている鈴音ちゃんを追いかけた。
「鈴音ちゃんっ」
しばらく無言を貫く彼女に寄り添い続け、ようやく聞けた話によると、生徒会長は彼女のお兄さんらしい。私は驚く前に納得してしまった。だって、苗字を置いておいてもどことなく似ていると思っていたから。
「そっか。どおりで。素敵なお兄さんが居ていいなぁ」
「知ったような口を聞かないでくれるかしら。不愉快だわ」
鈴音ちゃんはそう言い残して、立ち去ってしまった。なんというか、懐かない野良猫みたいな子だな。
一人暮らしの勝手はまだ分からないことも多いけれど、学校にはだいぶ慣れてきた。
ある日の始業前、男女混合プール授業だと騒ぐ三馬鹿を羨ましそうに眺める清隆くんが可愛くて堪らず頭をなでなでした。髪質柔らかいな、ゴールデンレトリバーみたいだ。嫌がられてしまったけれど、その嫌がり方も新鮮でもう可愛いしか感想が思い浮かばない。ああ、私の友達が可愛過ぎる件。
鈴音ちゃんにはまたしても「哀れね」と同情され、「話しかければいい」と諭されるも「それが出来れば苦労しない」と子供のようにいじける清隆くんがふと私を見た。
「苗字、協力してくれ」
「嫌だよ」
一刀両断に切り捨てれば、清隆くんはズーンと落ち込んで今度は恨めしそうに私を見てくる。可愛い。もう何しても可愛い。
「友達にしては薄情なんじゃないのか」
「友達だからだよ。もう少し、清隆くんの唯一の友達ってのを味わっていたいなぁ」
今だけは私だけの清隆くん。私が恍惚気味にそう呟くと、しばしの沈黙が流れて、やがて鈴音ちゃんが口を開いた。
「綾小路くん、友達は選んだ方がいいというのはこういうことよ」
「堀北、俺も今ものすごくそれを思い知っているところだ」
「なによ、二人とも? 私の気が済んだらいくらでも協力してあげるもん」
「ふん、本当に哀れね」
「……」
嫉妬は恋愛ならではの感情ではない。友情にも嫉妬は存在するのだ。とはいえ、この場合は私の恋心故の独占欲が顔を出したものだけれど。だって、友達が欲しくてたまらないのにクラスメイトを羨ましそうに眺めるしか出来ない清隆くんが可愛過ぎるのが悪いのだ。ずっと眺めていたくなってしまう。
「おーい綾小路」
と、そこへ空気を読まない池の明るい声が教室の端から端へ届いた。笑顔で手招いている。清隆くんは「な、なんだよ」と言いながらそちらへ歩いて行ってしまった。私はそんな彼に手を伸ばしたまま絶望に固まっている。
「哀れ……いえ、滑稽だわ」
自業自得とでも言いたそうな鈴音ちゃんのその言葉が私の心臓に突き刺さった。泣きそうな顔で教室の反対側を見つめることしか出来ない自分は確かに哀れで滑稽だ。清隆くんは平静を装っているが、内心嬉しくて仕方がないという心境に違いない。男同士の友達が出来るかもしれないことへの期待に胸を高鳴らせているのだろう。あーあ、私だけの清隆くんもここまでか。いや、清隆くんは誰のものでもないことは分かっているのだけれど。
入学してから初めての水泳の授業。水着に着替えてみんなで雑談しながら屋内プールに足を踏み入れれば、男子が一斉にこちらを向いた。え、怖。
「巨乳がっ、巨乳が見れると思ったのにっ、思ったのにぃっ!」
何が何だか分からないうちに池の慟哭が響いた。巨乳とは誰のことだろう? 私のことではないのは確かだ。清隆くんも巨乳好きなのだろうか。そりゃそうか。男はみんなおっぱい大好きだもんね。
男子──特に池──の様子に女子はみんなドン引きで軽蔑しているけれど、女にも性欲はあるし少なからず男の身体をそういう風に見たりもするので、私は男子が女子を色目で見ることに理解はあるつもりだ。
だけど、他の男子達と揃って清隆くんも桔梗ちゃんの水着姿に目を奪われているのは何だか気に入らない。
「何を黄昏ているの?」
「己との闘いに没頭していたんだ」
訝しんだ鈴音ちゃんの質問に、そう答えた清隆くん。その言葉はつまり、そういうことなのだろう。恋愛センサーなのか、こういう時だけは察しが良い自分が嫌になる。
というか、近くで改めて見ると清隆くんの半裸姿は私には刺激が強過ぎる。けっこう筋肉質だし無駄な脂肪が身体のどこにも見当たらない、男って感じのカラダだ。身も蓋もない言い方をすれば、えっちだ。私はとても直視していられず、自ら目を覆いながら彼に話しかけた。
「清隆くん、私の身体になら欲情しても良いから、なるべく私を見て」
私はなんて大胆なことを口走っているんだろう。だけど、桔梗ちゃんの身体に見とれる清隆くんを見るのはやっぱり不快だ。
「お前はなんで目を塞いでいるんだ?」
「そ、それは、清隆くんの裸が刺激的過ぎて」
しばしの沈黙。反応が気になって自分の指の隙間から顔色を窺えば、清隆くんは無言でじぃっと私の身体を見定めていた。
「ちょ、ちょっと見過ぎ! 清隆くんのえっち」
「いやすまん、つい。というか見ても良いって言ったのはお前だろ」
やがて先生が現れて、見学者の多さに思うところがありそうな様子で全体指示を出した。準備運動をしてから、とりあえずの五十メートル。
「では早速だがこれから競走をする。男女別五十メートル自由形だ」
見学者を除いた全員が一通り泳げることを見届けた先生がそう言って、抜き打ちの男女別レースが開催されることになった。優勝賞金は五千ポイント。授業の最中にこんなチャンスが訪れるなんて思ってもみなかった。
鈴音ちゃんが泳ぐ直前、男子は盛り上がって、やっぱり男子って見た目しか見てないんだなとぼんやり思った。鈴音ちゃんの良いところは顔だけじゃないけれど、ろくに話したこともないクラスの男子達が鈴音ちゃんの長所を知っているはずがないのだから。男子に手を振っていた桔梗ちゃんにも声援───というより歓声───がすごかった。名実ともにクラスの人気者だ。
驚くことに、私の番にも多少だが男子の盛り上がりはあった。なるべくその意味を考えないように腐心して泳ぐ。小さい頃習っていたので、水泳は得意な方だ。タイムは二十九秒台。結果はコンマ三秒ほど鈴音ちゃんに遅れをとったけれど、どちらも一位はとれなかったので特に気にならなかった。鈴音ちゃんも気にしている様子はない。
泳ぎ終えた私達に、清隆くんが歩み寄って声をかけてくれた。
「惜しかったな、二人とも。現役の水泳部員相手ってのは、さすがに厳しかったか」
「そういう貴方はどうなの」と問う鈴音ちゃんに、ビリにはならなければいいと自信満々な様子の清隆くんは「俺は競い合うのが嫌いなんだ、事勿れ主義だからな」と言い残してスタート位置に向かった。男子の部、初っ端から清隆くんの出番だ。
「っキャーー! 清隆くんカッコイイーっ! 頑張ってー!」
私の黄色い声援だけが屋内プールに響いて目立った。男子が羨ましそうな顔で清隆くんを見て、清隆くんはなんだか居心地悪そうに見える。先生の合図が聞こえて数秒後、頭一つ抜けていたのは須藤だ。清隆くんはといえば、やたらと左右を見ながら泳いでいるのが気になった。全力を出しているようには見えない。とはいえそれはそれで清隆くんらしい気もする。
「おつかれさまっ」
「ああ。ビリは回避した」
本気出してないのに面白いことを言う清隆くんに、私は腹を抱えて笑った。
「なあ堀北。今日、放課後暇か? 少し付き合ってほしいんだが」
ある日の放課後、部活へ向かおうと教室を出ようとしたところで背後から清隆くんのそんな言葉が耳に届いた私は全速力で引き返し、清隆くんを問いただした。
「清隆くんっ!?」
「どうした苗字? 部活に行ったんじゃないのか?」
「そんなことよりっ……鈴音ちゃんと、放課後デートってどういうこと!? 私認めないよっ」
「……苗字、お前は部活があるはずだ。新入生がサボったら印象も悪いだろう。こっちは心配無い。堀北には少し頼み事があるだけだ」
「頼み事? 鈴音ちゃんじゃないと駄目なの?」
「ああ、そうだ」
「……分かった」
鈴音ちゃんのことだから清隆くんに変な気は起こさないと思うし、私はしぶしぶ納得を示した。「明日っ、話聞かせてね!」と言い残して教室を飛び出した。頼み事って何だろう。考えても出るわけのない答えを悶々と探しながら私は部活へ向かうのだった。
「名前聞いて。今Cクラスの男子がね──」
入学して二週間。私には友達がたくさん増えた。クラスの女子はいくつかのグループに分かれたけれど、私はそのどれにも所属せず気ままに分け隔てなく仲良く出来ている。よく話しかけられるし、我ながら初めての高校生活は上手くやれていると思う。だが席替えでもない限り、私は清隆くん以上につるむ友達を作る気はなかった。
清隆くんには私以上に一緒に行動するような友達はまだ出来てなさそうだけど、最近は池や山内と連むことも多く本人的にはぼっちを脱却したつもりみたいだし、クラスメイトとは顔を合わせれば挨拶するみたいだし、鈴音ちゃんとも親しげに話している。それにはちょっとやきもち妬いちゃうけど。
お昼に清隆くんと学食へ行くのは私だけの特権だ。私のお気に入りはネギトロ丼定食。「またそれか。よく飽きないな」と毎日のように隣から呆れられながらも美味しく頂いている。
部活にも入った。運動部だけどそこまでハードではなくて好きな時に活動して好きな時に下校出来る自由な雰囲気の部活だ。
学校から十万ポイントを支給されたことでクラスメイト達は浮かれ、呆れるような散財と浪費を連発した。その光景を見、これは少しおかしいと気付いてから私は節約生活を送っている。
茶柱先生から一万ポイントで買ったポイント用途別一覧は、なんというか、性格が悪いなと思った。本来金銭で買えるような商品とそうでないものに大きく分け、後者に関して細分化してくれればいいものを、色んな統計を出してよりややこしくしてあり、おまけに膨大な量だった。なんかもう、軽く目を通しただけでゴミ箱に投げ捨てたくなるような面倒臭い資料だった。一万ポイントで買ったからには時間をかけて読み解くしかないのだけれど、非常に気が重い。とりあえずすぐ必要にはならなそうだし、少しずつ解読して残りは夏休みにやることにした。
幸いなことに、私に欲しいものは特にない。ゲーム機器も特に興味が無いし、ファッションや私服も特に必要性を感じないし、化粧や小物類も買わないし、大型デパートにはまだ足を踏み入れたことすらない。学生の本分は勉学である。強いて言えば、恋愛小説を我慢して参考書を買おうかとも思ったが受験生でもないし配給された教科書で充分かと自分に言い聞かせて数冊の恋愛小説を買ったくらいだ。現状、ポイントのほとんどを食費に割く生活を送っている。
鈴音ちゃんは私以上に節約しているようだ。美容に関わる商品まで安物を買っていたと清隆くんに聞いたので小一時間お説教したのも記憶に新しい。
「鈴音ちゃんっ、せめて洗顔料だけはよくよく吟味するべきだよ。安くてオススメの洗顔石鹸あるからそれ買いなよ。添加物の塊だったりシリコン入りだったり洗浄成分がラウリン酸だと洗い落とせず肌に残って一瞬でシワとか油肌になっちゃうんだから」
「そ……そう、そこまで言うなら貴女のオススメを買おうかしら」
「そうしなよ。やっぱ無添加が一番だよ! 鈴音ちゃん素材が一級品なのに、ゴミみたいな物使って台無しにしちゃもったいないよ!」
「そこまで言うか」
とまあ、こんな感じで私の熱弁で鈴音ちゃんの説得に成功したのだ。清隆くんには最後ツッコまれたけど、女にとって美容は死活問題。六十七十まで綺麗で居る為には、今から化粧なんて論外。美の努力は一日も怠ってはならないのよ。
「鈴音ちゃんて結局生徒会入ったの?」
「結局も何も、入ってないし、入るつもりもなかったわ」
「えー? 生徒会面白そうじゃん。私じゃ無理そうだけど鈴音ちゃんなら生徒会でも活躍出来るんじゃない? 堀北先輩に話通してあげようか? あ、さすがに家族の連絡先くらい知ってるかぁ」
「……」
「あれ……? 鈴音ちゃん?」
「お前達、相性悪いと思うぞ。友達辞めた方がいいんじゃないか?」
私の無神経な発言に眉を顰めて教室を後にする鈴音ちゃんと、その背中を見送りながら私に残酷な打診をする清隆くん。そして謝り倒す私と、数日口を聞いてくれない鈴音ちゃん。これが日常になりつつあった。
それから、清隆くん以外の男子との交流もあったりする。
「あ、苗字さん。Cクラスの子が数人、現国の教科書を忘れたみたいなんだ。良かったらその内の一人に苗字さんのを貸してあげてもらえないかな?」
「え、うん、いいよ」
「ありがとう苗字さん、助かるよ」
いつ見ても人助けをしている平田くんは男子の中でもかなり話しやすいし、高円寺くんにはなんだか好奇心でなにかと話しかけてしまったりする。
「高円寺くんて部活入ってるの?」
「生憎私は忙しい身でね。君のように特定の部活に打ち込む時間は無いんだ」
「えー? 私はそこまで打ち込んでるつもりはないよ? 兼部してるし」
「おや、それは妙だね。君はどちらの部活でも目ざましい活躍をしていると小耳に挟んでいるよ」
「え……、高円寺くんの情報網すごくない?」
「君は学校では案外有名なのだよ、苗字ガール」
「まじか」
返答が新鮮で面白くて、私が好意を向けていると勘違いされてもおかしくないくらいには話しかけていると思うが、ナルシストなのに意外と彼はそういう勘違いをする様子もなく話しやすいのだ。
それから例えば前の席の三宅くん。クラスメイトの一部からみやっちと呼ばれて親しまれている彼、どことなくお人好しな雰囲気があって、揶揄い甲斐がある人物だ。清隆くん関係で私が嫉妬して不機嫌な時なんかは彼でストレス発散していることが多い。
「みやっちぃ〜」
「またか」
「まただよーっ! 清隆くんなんであんなに桔梗ちゃんと仲良しなのぉーっ! 鈴音ちゃんのことも気にかけ過ぎだし絶対気ぃあるじゃんアレー!」
「お前、綾小路に聞こえてるぞ」
「聞こえるように話してるの!」
「……俺が居た堪れないんだが」
「みやっちは愚痴聞いて私の頭をよしよしして清隆くんを一瞥するだけでいいよ」
「お前の為にそこまでしてやる義理はない」
「薄情者」
なんだかんだ言いつつ、みやっちは愚痴を聞いて相槌を打ってもくれる優しい奴だ。清隆くんを嫉妬させることが出来るかどうかという実験を兼ねている節もある私は酷い女かもしれない。だけど、好きな人に嫉妬してほしいものでしょ、女の子ってさ。残念ながら清隆くんに未だその兆しは全く見られないけれども。
それから他クラスとの交流ももちろんある。部活に所属すれば、それだけ人脈は増えるのだ。友達がたくさん欲しいなら、部活をやらない手は無いというのに、友達を欲しがるくせに清隆くんは帰宅部を辞めるつもりはないようで。
部員以外にも、入学式に鶴の一声をくれたAクラスの坂柳さんとも改めて友達になったし、生徒会長の堀北先輩にも電話して鈴音ちゃんの話をしたりした。迷子になった時はなるべく清隆くんに迎えに来てもらいたいので、まだ生徒会長を呼び出したことはない。
入学式といえば、あれから私は何度も予知夢を視た。正夢のようにその日に起こる出来事から一ヶ月以上先のことまで、時系列も過程も原因も全く分からないその事象情報を最初は持て余していたが、次第に時間軸だけはある程度制御出来るようになった。そして驚くことに、予知夢では自分が実際に体験しない───その場に居合わせない───事象も視ることに気付いた。加えてそれはかなりの高確率で起こり得る事象らしいのだ。どうやら私は、マジモンの予知能力者になってしまったらしい。
ただ、私が予知夢を視るようになったのはこの高校への入学を考え始めた頃で、生まれつきのものではない。ならばこの高校に何か原因があるのか? 私以外にも予知能力者が在学しているのか? そう思ってそれとなく探ってみたけれど案の定何も分からなかった。
授業中、部活に根を詰めてか睡眠学習をする男子や、机の下で隠れてスマホを操作する女子が沢山目に入る。窓際の後方の席に座る私はそんな光景から目を逸らして、ふと窓の外を見ることが多い。漫画の登場人物はよくやる仕草なので、高校生なら誰でもあると思う。こんな時、清隆くんと席が逆だったなら、私は真面目に前だけを向いていられたかもしれない。清隆くんは今、どこを見ているのかなぁ。
「はぁ……」
勉強、恋、部活、それから授業中のメランコリック症候群。これぞ青春だ。
四月下旬のある晩、とても重要な予知夢を視た。飛び起きて荒い呼吸を、胸元に手を当てることで整えて動悸を沈めていく。
「落ち着け」
この一ヶ月、私は色んな予知夢を視てきた。時間軸方向を制御出来るようになるまでは、知らない顔も沢山出てきたりいつのことなのか見当もつかないものばかりだったけれど、不思議と私が学校を通う期間より先のことを視ることはなかったし、それに最近はある程度制御出来るようになり、数日から数週間先の未来だけに絞ることが出来ているはずだった。そして今さっき視た夢は、五月一日の朝のHRの出来事。茶柱先生から次々に明かされる真実。そして、五月に支給されるDクラスのポイント数がゼロ。因果応報、そう片付けてしまえば簡単だが、十万からゼロというあまりの落差にどうにも冷静さを欠いてしまって頭が回らない。
「すー……はー」
落ち着くべく深夜に深呼吸を一つ。私はベッド脇の灯りを付けて、予知夢用のノートとペンを無造作に引っばり出した。
「みんなの素行は確かに悪かった。放課後は遊び呆けて明らかな浪費を……いや、入学式の日『ポイントをどう使おうが自由』と言っていたから、浪費は問題じゃない……か。夢では茶柱先生は確か……授業中の居眠り、携帯使用、私語、それから遅刻欠席について言及していた。そしてそれらを一切していない私にも五月の支給ポイントはゼロ。つまり少なくとも授業中のブラインド減点は存在し、減点対象は個人ではなくクラスということ」
私は呟きながらノートに書き出していって頭の中を整理する。
「クラスの連帯責任か……まいったな」
Dクラス、その意味を知ってしまうと、流石に落ち込んでしまう。私、これでも中学までは優等生の括りだったんだけどなぁ。まあ、入学は出来たんだし、これからなんとかAクラスに上がっていけばいいよね。
「みんな、聞いて」
翌日。一時限目の前の休憩時間、朝礼が終わったばかり、私語もまだまばらでトイレへ席を立つ人も居ないうちに私は意を決して声をあげた。教室は再び静かになってクラスメイトのほぼ全員が私を見た。教室を出ようとしていた茶柱先生は廊下に出たところで振り向き様子を窺っている。
「今日から授業中の私語、携帯電話の使用、居眠りを止めてほしいの」
さて、何と説明したものかと考えあぐねながらゆっくりと区切りながら声を届けた。「止めよう」では説得力に乏しく、「止めた方が良いよ」では訴求力に乏しいと考え、結局懇願という形で語尾をしめた。
「なんで?」
当然の疑問というような声音で恵が訊いてきた。それを当然の疑問と考えているらしいクラスメイト達もまた、私へ回答を促すように視線を投げかけてくる。この教室内で、今私だけが異端者のようだった。しかし、本当にそうだろうか? それははたして当然の疑問だろうか?
「私達は小学校中学校と九年間、ずっと大人達に授業態度というものを内申の成績として評価され続けてきたよね。義務教育が終わったとはいえ……ううん、だからこそ、この学校の先生達は注意してくれないんだと思う。因果応報、きっと相応の罰が私達に待っている。なんだかずっと嫌な予感がして、私はそう考えたんだけど、みんなはどう? この一ヶ月間の私達がこの学校のあるべき生徒としての姿だと思う?」
「……」
私の熱弁は多少はみんなの心に響いたようで、数秒の沈黙を作った。そしてそのしばしの沈黙を破ったのは、予想通り平田くんだった。
「僕も苗字さんの意見に賛成だ。昨日までの授業態度を一切注意されず続けてこられたのも、この学校の何らかの思惑があるような気がするんだ」
「つってもよぉ、実際何も無ぇじゃねぇか」
続いて須藤が反論した。この異様な事態に本気で何も疑問を持っていないようだ。正直、馬鹿は黙っていてほしい。
「じゃあ好きにしなよ。……って言いたいところなんだけど、一番恐いのは連帯責任だった場合なの」
私の指摘に、察しの良い連中は顔を青くさせてざわついた。そのタイミングで狙ったように一限目担当の教師が入室してきた。
「はーい、じゃあ授業始めるわよー」
廊下を見やると、茶柱先生はいつの間にか居なくなっている。教室を見渡せば、みんなそれぞれ思案顔をしながら席についていた。成果はあった。これでこのクラスの授業態度が一新するとは思っていない。みんなの行動原理に多少でも抑制がかかれば充分だった。何故なら、もう五月は来週に迫っているのだ。今更改善してももう遅いだろう。なら何故四月のうちに訴えたのか。狙いはただ一つ。苗字名前が正しかったという事実を、五月にクラスメイトに実感してもらうためだ。そして、それはきっと今後の私の信頼度に大きく貢献してくれるだろう。
「……」
この休み時間の出来事から、清隆くんは恐いくらい私を観察してくるようになった。それは静かに無言で視線を寄越してきたり、会話しながら私の思考パターンや挙動を分析したり。確信とまではいかないけれど、どことなく違和感を感じるのだ。私の予知夢能力まで見透かしていそうな目だったが私はただの恋愛バカの仮面を被って誤魔化し通す。私の予知夢能力をもってしても、清隆くんはまだ正体を見せてくれない。何度か清隆くんのとんでもない予知夢を視たような気もするけれど、最初の頃だったのでもうあまり覚えていないのだ。だけど予知夢関係無しに私の女の勘が告げているんだよね、綾小路清隆は只者ではないんじゃないかって。
とうとう五月一日がやってきた。茶柱先生が教室に現れるまで、一年Dクラスの生徒にポイントが一ポイントも振り込まれていないという異常事態で教室内の話題は持ちきりだった。
現れた茶柱先生から毎月の配給ポイントの真相、Dクラスの現状、そしてクラス分けの理由を聞かされたクラスメイト達の多くは絶望していた。高円寺くんだけは違ったが。彼曰く、自分を一番正しく評価しているのは自分であり、他人の評価がそれと相違あっても全く意に介す必要が無い、ということらしい。なるほど、と思った。その考え方はある種の極論だけれど、高円寺くんのような生き方をするのならば正解なのだろう。ただ、絶対的な自信がなければあそこまで強気ではいられない。それに加えてナルシシズム、他者との関係性構築、それらのバランスの問題だと思う。しかしやはり自分を好きでいられるに越したことはない。自分大好きな日もあれば自己嫌悪に陥る日もあるが、感じる世界の明暗に違いが出てくると実感することもある。
「堀北さん、苗字さん、それから綾小路くん。ちょっといいかな」
教壇でみんなに冷静になるよう呼びかけていた平田くんが真っ直ぐ歩いてきて私達三人に声をかけた。放課後、クラスで話し合いの場を設けるから参加してほしいということだった。こういうの、鈴音ちゃんは断るだろうなぁと思ったそばから、彼女はにべもなく断ってしまった。断った後の態度の堂々たること。こういうところは、高円寺くんに似ているなと思った。
「綾小路くんはどうかな?」
「あー……俺もパス。悪いな」
「えっ」
清隆くんまで不参加の意志を告げたので私は思わず挙動不審に首をキョロキョロさせてしまった。清隆くんは鈴音ちゃんに視線を向け、更に平田くんはなにやら察した表情をしており鈴音ちゃんにしたほど食い下がる様子はない。なんだなんだ、男同士で何を分かり合っちゃってんの。
「平田くん、私は、参加するから!」
「う、うん。助かるよ。ありがとう」
「なにヘソを曲げてるんだよ」
不機嫌さを声に出しながら参加表明した。急にツンケンした態度になった私を訝しげに見てくる清隆くんにはあっかんべーをしておいた。直後、我ながらなんて幼稚なんだと自己嫌悪に陥って前に向き直るなりため息を吐く。こんななんでもないようなことで腹を立てるなんて、精神年齢が低過ぎるよ私。もっと大人にならなきゃな。
さて、ほとんどの人が散財したらしく右往左往するクラスメイトを見て、私は節約していて心底良かったと他人事気分で安堵していたのだが、次々に友達に「ポイントを貸してほしい」と頼まれてそんな心の余裕はどこかへ吹き飛んだ。
「名前ー、ポイント貸してくれない?」
「名前、私にも貸して! お願いっ……!」
「……うー、しょうがないなぁ」
まだ知り合って一ヶ月で信用しきることは出来ないので、簡単な借用書を作って数人に一万ポイントずつ貸した。
放課後になった。Cクラスの子に、部活を休む言伝を頼んで教室に戻って席につく。
清隆くんは茶柱先生に放送で呼び出され、職員室へ向かってしまった。私はそれを名残惜しそうに見送ってから前を向くと、黒板に平田くんがなにやら記している。
やがてクラス会議の話し合いは白熱したが、それだけだった。まあそう上手く事は運ばないものだ。私の恋路も、学校生活も、人間関係も、まだまだ始まったばかりなのだから。