友情と恋情の関係式

 その日の予知夢は、清隆くんの実力を垣間見るものだった。

「やっぱり清隆くんは只者じゃなかった。私の予想通り……いやそれ以上なんだけど……!」

 夢の中の清隆くんがあまりに格好良くて惚れ直してしまった。よく考えたら、こうして毎日のように好きな人の夢を視られるのって超絶幸せ者では?

「予知夢ありがとーっ」

 私は跳ね起きて勢いよくカーテンを開け、朝日と笑い合った。

「さてと」

 いつも通り予知夢ノートとペンを手に取って情報を整理する。

「えーと」

 桔梗ちゃんと清隆くんの会話内容は、この間の桔梗ちゃんの裏の顔のことを合わせて考えると、清隆くんは敢えて桔梗ちゃんに自らの秘密を提示したということだよね。私が部活の先輩に頼んで過去問を入手することは可能だと思うけど、それだと清隆くんと桔梗ちゃんの関係が対等になる機会を奪うことになってしまう、か。

「うーん……」

 ……そうか。これなら清隆くんのポイントも使うことなく、二人の関係構築の邪魔もしない。よし、いける。これでいこう。



 何だかんだあって、赤点組の勉強会は再結成されることになった。何故か清隆くんと鈴音ちゃんがお互いの理解を深め合っている雰囲気なのは何があったのか気になるところだけど訊いても二人とも口を閉ざしてしまう。
 鈴音ちゃんの考えた授業時間を有効活用する方策はなんとか軌道に乗っている。あの日の夜、鈴音ちゃんを虐めようという動きがチャット内であったらしいが、そんなこと信じられないほど勉強会面子は団結を固め始めていた。


***


 昼休み。櫛田に連れられてやって来たのは人気カフェのパレット。此処に来るのは二度目か。

「清隆くん、此処来たことあるの?」

 櫛田と迷いなく店内を進んで危なげなく注文を済ませる俺に、苗字が意外そうにそう訊いてきた。気付くにしても早過ぎるだろう。女の勘ってやつか?

「なんで分かったんだ?」
「誰? 誰と来たの!?」
「名前ちゃん落ち着いて。私が綾小路くんにお願いして、堀北さんを連れてきてもらっただけだよ」
「……ああ、あの日の放課後デートか。鈴音ちゃん……ならいいか」
「堀北ならいいのか?」
「良くないけどっ! 鈴音ちゃん以外のライバルが現れたわけじゃないってことにひとまず安心しただけで」
「なんで堀北がライバルなんだよ」
「清隆くんには教えてあげないっ」

 機嫌を損ねたようにフイッと顔を背けられてしまった。その視線の先に苗字が気になるものを見つけたらしくなかなか顔がこちらへ戻ってこないので、俺と櫛田もそちらへ視線を向けてみた。高円寺が居た。単純に居た、というよりは女子生徒をはべらせてハーレムしていた。

「三年生の先輩達みたいだね」

 女性は年上に限るなどと口ずさみながら相変わらずの高円寺たる佇まいだ。

「あ。……今お願いしとくか」

 高円寺の方を見ている苗字がぽつりと呟いたその言葉の意味は分からなかった。

「知ってる? 綾小路くん、実はちょっと女子から注目されてるんだよ? 一年生の女子が作ったランキングにも載ってるし」

 やがて話題は高円寺から俺へと変わっていった。櫛田によると、俺はイケメンランキングで学年五位らしい。それを聞いた瞬間、大人しく聞いていた苗字の手がピクリとだけ動いた。少し間が空き、やがてその手は昼ご飯に向かう。櫛田から更に情報が付け足されていくが、うるさく喚き出しそうな苗字はその間ずっと無言で食べ続けるだけ。真顔を崩さないのも実に不気味だ。おまけに一言も発さない。全く意に介していないようにも見えるが、めちゃくちゃ怒っているようにも見える。不思議だ。
 櫛田と会話を続けていると、とうとうガタリ、と音を立てて苗字が席を立った。とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのだろうか。

「名前ちゃん?」

 俺と櫛田が顔色を窺うも、無言で席を外していく彼女。その向かう先はなんと高円寺のところだった。思わず目を見張って観察していると、なにやら三年生の先輩と話しているようだった。知り合いだろうか。

「部活の先輩、かな?」

 そうか、そういえば苗字は部活をやっていたな。部活の先輩だとすれば、納得だ。

「実は今日お昼誘ったのもさ、ちょっと綾小路くんに確認がしたかったんだよね」

 苗字が席を外しているのをこれ幸いと、櫛田はあの日の約束のことを話し出した。


「まずはお互いに信頼出来る関係を作らなきゃね」
「そうだな」

 話が一段落すると、それを見計らったように苗字はまたこちらへ戻って来て、無言で席に着いた。そしてなおも無言で飲み物を口にする。違和感が凄まじいんだが。お願いだから何か喋ってくれ。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

 櫛田に続いて立ち上がり、俺達三人は図書館へ向かった。

 結論から言うと、勉強会はあまり進まなかった。近くで勉強に励んでいたCクラスの生徒と須藤が揉めたからだ。一触即発というところで俺が止めに入ろうとする前に、Bクラスの一之瀬という生徒が堂々と仲裁に入ってきて騒ぎを収めた。見事なお手並みだった。

「流石生徒会だね」

 苗字が一之瀬を見て言った。

「生徒会……あの一之瀬って子が?」
「うん。人望は桔梗ちゃん以上かも。有名人だよ」
「へぇ」

 生徒会役員か。さっきのトラブルを、生徒会だと名乗りを上げもせずに事を収めるなんてなかなか出来ることじゃないな。

 俺達はその後、Cクラスの男子生徒からの聞き捨てならない情報の真偽を確かめに足早に職員室へと向かった。事情を話すと、茶柱先生はテスト範囲の伝達ミスをあっさりと認め、事も無げに退室を促してきた。その様子に俺は疑問を抱く。何か変だ。……やはり過去問が必要なのかもしれないな。


「清隆くん、勉強教えて」

 放課後、帰ろうとすると苗字が振り向いてそう言い出した。

「……また赤門とか持ち出してくるんじゃないだ────」
「鈴音ちゃんくらい頭脳明晰になる」

 俺の返答を最後まで聞かずにそんなことを宣言する苗字。相変わらず、藪から棒な言動だ。

「そんで女磨きして、私、完璧な女の子になる!」
「突然どうした」
「清隆くんに相応しい女の子になりたい!」

 その言葉の裏にある事情をなんとなく察することが出来てしまう俺は、それなりに長い時間苗字と過ごしてきたらしい。もしくは苗字が単純過ぎるのか。おそらく彼女は俺がイケメンランキングとやらで五位入賞を果たしていたことを気にしているんだろう。あの時無表情でもくもくと何か考えていたらしかったし。そしてその結論として、五位の俺に相応しくなりたい、こんなところか?

「相応しいとか相応しくないとか、周りに決められるようなことじゃないだろう。お前はお前らしくあればそれでいいんじゃないか?」
「っ……! またそーやって惚れ直すようなこと言う! もーっ、そういうとこ!」
「なんで怒られてるんだよ俺は」
「清隆くんがタラシだから!」
「俺のどこがタラシなんだよ」
「清隆くんがモテモテになる未来が目に見えるよ。恐ろしや……!」
「意味が分からん」

 そのまま一緒に下校し、苗字は俺の部屋に転がり込んできたので、仕方なく勉強を教えてやった。「今夜泊まってもいい?」とか言い出したが「着替えはどうする」と指摘すればしぶしぶ帰って行った。次来る時は着替えと歯ブラシまで持ち込む姿を容易に想像出来てしまった。



 翌日の昼休み、苗字が今日だけ別々の昼食を希望してきたがむしろ都合が良い。俺は過去問を入手する為に動こうとした。が、櫛田がついてきてしまった。櫛田が最近やたら俺に張り付いてくるのは、俺が秘密を握っていることが原因だろう。なら、この状況を利用して対等の関係だと思わせればいい。
 食堂の券売機で張り込んで、無料の山菜定食のボタンを押した先輩らしき男子生徒の後をつける。過去問の取引を持ちかけると、三万ポイント要求してきたが、いくら何でもそれは高過ぎる。

「知らない俺に過去問を頼み込むくらいだ。よっほど焦ってんだろ? この学校は赤点を取った生徒には容赦なく退学を突きつける。クラスメイトも、もう何人も居なくなった」

 落とし所を探し、先輩の言い分を聞いて一万五千ポイントで手を打とうとしていた時だ。

「あ、いたいた清隆くん」

 普段なら昼休み一緒に行動するはずの苗字が、今日は「ちょっと野暮用があるから」と言って珍しく別行動を取ったかと思えば、こんなタイミングで現れた。そして間髪置かず「はい」と言って俺と先輩を隔てるように紙束を差し出してきた。

「……チッ、なんだよ、交渉決裂か」

 ちらりと見ただけでそれが何か分かったらしく、先輩は苦虫を噛み潰したようにそう言った。受け取ると、それは俺が今まさに手に入れようと考えていた過去問。つまり、先輩の言う通り交渉は決裂になるだろう。でも、なんで苗字がこんな物を俺の元に持ってくるんだ?

「これ、どうしたんだ?」
「昨日部活の先輩に頼んでさっき貰って来たの」

 昨日、部活の先輩、ということはパレットで席を外した時に頼んだのか。

「貰った?」
「うん。懐は痛めてないよ。気のいい先輩に頼んだし」
「それは……でも、なんで俺に? 堀北に渡すべきじゃないか?」
「ううん、清隆くんで合ってるよ。じゃあ後は任せるから清隆くんの好きに使って」

 そう言うなり苗字は颯爽と去り、残されたのはさっきとは全く違う状況下に置かれた三人。先輩には謝罪して席を立ち、俺は櫛田に状況を説明することになった。


「つまり、名前ちゃんは綾小路くんの考えを全部見透かしていたってこと? それってすごくない? 以心伝心って感じだよね」

 苗字は、頭は悪くない、とは思う。だが俺と同じ考えに辿り着くどころか、先回りして俺の求める物を用意してきた。なにかおかしい。まるで心の中を覗かれているようで気味が悪い。気のせいと言ってしまえばそうかもしれないが、何故か気になる。

「まあ状況的にいえばそういうことになるが……」

 やっぱり腑に落ちない。全てにそれらしい理由が付けられそうで絶妙に噛み合わない。苗字の行動原理だけどこか異質に感じるのは何故だろうな。


***


「苗字、過去問どうやって手に入れたんだ?」

 放課後、清隆くんは相変わらずの無表情で私に訊いてきた。

「言ったでしょ? 先輩に貰ったの」
「高円寺は御曹司だ。その取り巻きはおそらく金目当てだろう。そんな先輩が無償で譲ってくれるとは思えない」
「流石清隆くん、鋭いね。その通りだよ。タダより高いものはない。過去問は情報と引き換えなの」
「情報って、何のだ?」
「先輩が卒業するまで、私が持ってる一年生の情報を開示すること」
「……どこが気のいい先輩なんだよ」
「でも情報を持ってない場合は無理に収集する必要は無いって。だからまあ、そんなに大変な対価じゃないよ」
「そうか。困ったことがあったら言ってくれ。力になれるかどうかは分からないけどな」

 そんなことを言われてしまっては、思わずニッコリするしかない。もちろん、そんなおいしいシチュエーションになったら真っ先に清隆くんを頼ろうと思う。なんたって清隆くんは底が知れないほど実力があるからね。



 誰かが体調を崩すこともなく勉強会も順調に開催されつつ、光陰矢の如し。テスト前日の放課後、予定通り桔梗ちゃんが過去問をクラスに配った。

「鈴音ちゃん、今日の放課後と明日の朝、勉強会で過去問の解説をした方がいいんじゃない?」
「必要無いと思うけれど。過去問を丸暗記すればいいのだし」
「暗記が苦手な人もいるだろうし、複数人で同じ問題と向き合うことで記憶に紐付け安くなると思う」
「それは確かにその通りね。だけど──」
「いいんじゃないか? あいつらが過去問をやらなければ、これまでの苦労が水の泡になる可能性だってある」
「分かったわ」

 私の思い通りの展開にはなったけれど、なーんかやっぱり鈴音ちゃんが清隆くんに気を許してる感じが鼻につくなぁ。まあ今は目を瞑ろう。

「須藤、池、山内。今から勉強会メンバーで過去問やるよ」
「おー、やろーぜ!」
「助かるぜ」

 あんなに勉強が嫌いだったのにこの三人も変わったものだ。まあ、一人で向き合わなきゃいけない勉強より、友達とわいわいやる勉強の方が楽しいもんね。少しは勉強することに抵抗を感じなくなったようで何よりである。
 とにもかくにもこれで、須藤の赤点は回避出来るだろう。



 そしてとうとうテスト当日を迎えた。朝のHR、いつにない緊張感が教室に漂う。

「お前ら落ちこぼれ組にとって、最初の関門がやってきたわけだが、何か質問は?」
「僕達はこの数週間、真剣に勉強に取り組んできました。このクラスで赤点を取る人は居ないと思いますよ?」

 茶柱先生に自信を持った声音でそう言ってのける平田くんは、私達が休み時間の合間を縫って赤点組の勉強会を開いていることに気付いていて、敢えて声をかけないでいてくれたのだろう。
 しかし、本来なら赤点を取る生徒は約一名居るのだ。私の予知夢が正しければ、かつ私の言動が無駄だったのなら、須藤は英語で赤点を取ってしまう。

「もし、今回の中間テストと7月に実施される期末テスト、この二つで誰一人赤点を取らなかったら、お前ら全員夏休みにバカンスに連れてってやる」

 バカンス? 青い海に囲まれた島? つまり清隆くんと旅行? 朝も昼も夜も一緒? 夜這いし放題? 夏の太陽の下、解放的な島の生活で心も解放的になって普段見れない清隆くんの一面が見れたりする? ラッキースケベも勿論ありますね?

「皆……やってやろうぜ!」
「うおおおおお!」

 教室に轟くクラスの男子達の咆哮には、一つだけ甲高い女声が混じった。鈴音ちゃんに白い目で見られたことは言うまでもない。後で聞いたところによると、清隆くんは身の危険を感じて身震いしていたそうだ。


「楽勝だな! 中間テストなんて!」

 昼休みになり、池の余裕を帯びた高らかな声が響いた。須藤の様子も予知夢とは違う気がする。

「須藤、英語は大丈夫そう?」
「あ? ああ、まあ、半分くれぇなら余裕だ!」
「そ? ならいいけど」

 何故か私の方が不安を抱えて緊張してしまう。



 テスト採点結果の発表日。テスト当日のHRと同じくらいの緊張感が場を満たした。

「うおっしゃー! 見たか! 俺達もやるときはやるってことですよ!」

 果たして、予知夢は回避出来た。須藤の英語の点数は五十三点。その他の教科も、赤点になり得ない五十点以上。見間違いではないようだ。緊張の糸が切れたようにほっとした。

「っ……」

 その時、酷い頭痛が襲った。とても目を開けていられないほどの。歓喜の声が飛び交う空間で、自分だけが異質のように隔絶されたような感覚。
 やがて間もなく頭痛は治まったが、私の頭には警鐘が鳴り響いていた。顔を上げると、教室の前に張り出された紙にマーカーで引かれた真っ赤な線が陽炎のようにちらついて見えてくる。どうして。呆然としているうちに、それは薄れて、瞬きを何度も繰り返せばすっかり消えた。

「……」

 疲れているのかもしれない。教室の喧騒が煩わしいと思い始めた頃合で、茶柱先生が気を引き緩めないよう釘を刺してから退室して行った。



 中間テストは無事終わり、期末テストに備えて三馬鹿には普段の授業を無駄な時間として過ごさないようにしてもらいたいなという密かな望みは早々に断ち切られた。普段しない勉強をテスト週間は毎日必死に頑張っていたことを分かっているので、怒るに怒れない。
 そんなある日のお昼時のこと。

「今日は教室で食べないか?」

 昼休み、清隆くんがそう提案をした。私は一も二もなく賛同する。しかし清隆くんがそんなことを言い出すのは珍しく、私は原因が気になって少し清隆くんを注意深く観察してみることにした。
 すると、席についた彼の目は教室中を行ったり来たり。

「綾小路くん、そろそろそこの友達で満足しておいたら? 高望みはしない方が身の為よ」

 彼の隣の鈴音ちゃんがそんなことを言ったので、ようやく合点がいった。なるほど、清隆くんは他のクラスメイトと食べたいらしい。

「任せて、清隆くん!」
「苗字?」

 私は張り切って人を集めた。みやっちとおまけの男子数人に、平田くんとおまけの男子数人、桔梗ちゃん達のグループ、それに池達。あちらこちらで「一緒に食べよう」と声をかけたら、結構大規模なグループが出来た。

「……なんだこれ」
「なんかウケるな、この状況」
「ふふっ、本当。遠足みたいで楽しいねっ」

 集まってはみたもののなんだか気恥ずかしくなってしまった皆が口々にそう言った。そう、例えるならアレだ、小学校の遠足で、担任の先生とクラス全員で一つの円になって食べる昼ご飯みたいな規模の輪が、教室の真ん中に出来上がっている。この際だと、私が声をかけなかったぼっち男子達や他のグループの女子達を誘う桔梗ちゃんと平田くんは流石だ。

「えへ、なんか大変なことになっちゃった」

 仲良しクラスと有名なBクラスでもこんな光景は見られないだろう。ここまでの大それた事態になるとは思わなかったものの、原因の一端を担う私は清隆くんにてへぺろポーズ。

「ある意味すごいぞ、お前の周囲を巻き込む才能は」
「えへへ、それほどでも」
「それ、誉められてはいないと思うわよ」

 鈴音ちゃんも、以前ならどこかのタイミングで確実に教室を出て行っていたはずなのに、なし崩し的に輪形わなりの一員にされても大人しくそれを享受している。本当に彼女は変わったらしい。

「ずっと気になっていたんだけど、綾小路くんと苗字さんは付き合ってるのかい?」

 皆が気恥ずかしくてそわそわとしている中、それを見て微笑ましそうにしている平田くんが突然爆弾を投下してきた。こんな時、平静を装うことすら出来ない私と違って清隆くんは間髪おかずに受け答えしてくれる頼もしさがある────はずだった。

「さあ? どうだろうな?」

 予想外の清隆くんの返答に、私もクラスメイトも唖然としてしまった。

「ああ、ごめん。答えたくないなら無理に聞かないよ」
「いや、正直なところ、俺も分からなくなってるんだ。ただの友達のはずなのに距離感がおかしいという自覚はなくもないからな」

 清隆くんが実はそんな気掛かりを抱えていたことを打ち明けると、皆して「ああー」と妙な相槌を打った。なんだその共感と同情みたいな声は。なんだか私に対する批難にも感じられてアウェイな心境だ。

「わっ、私は別に悪いことしてるわけじゃないもんっ! 清隆くんが嫌がることはしっ……多分してないし!」
「……」

 必死に弁明したつもりが逆にあだになってしまったようで、多くの白い目が私に向けられた。居た堪れないどころの騒ぎではない。泣いていいかな?

「でもまあ、俺にとって苗字は必要な存在なんだと思う」

 私にとって居辛い空気を払拭するように──そんな意図はなかったかもしれないけれど──清隆くんがそう言った。その言葉はまるで雲間から差し込む光のよう。

「清隆くん……!」

 一部の男子が面白くなさそうに「ケッ」と鳴く声も、女子が口々に「良かったね名前ちゃん」と寿ことほぐ声もまともに耳に入ってこない。私はそのまま昼休みが終わるまで緩みっぱなしの表情筋とともに有頂天で過ごし、午後の授業中も脳内では清隆くんの言葉をエンドレス再生して聞き入っていた。

「えへ、ふへへ、ぐへへへ」

 帰りのHRでも茶柱先生に「どうした苗字、顔が気持ち悪いぞ」と言われてしまうほど見苦しい物だったらしく、更に部活でも顧問に同じことを言われてしまい、その時はさすがに表情を引き締めた。

 けれど寮に帰って清隆くんに電話した時には思い出してしまってまた顔がニヤけてしまう。

「清隆くん、昼休み言ってくれたこと、すっごく嬉しかった。ありがとう」
「そうか」
「じゃあおやすみ。良い夢視てね」
「おやすみ」

 通話終了の機械音を止め、スマホを抱き締めたままパタリとベッドに倒れ込む。今夜は清隆くんの夢が視たいなぁ。だけどそれ以前に寝付ける気がしない。まだ顔が戻らない。あんな一言だけでここまで浮かれられるんだから、恋って本当に幸せだ。ああ、清隆くんも私を好きになればいいのに……なぁ。もしもそんな未来が来るのなら、今夜だけは、どれだけ先のことでも構わないから、そんな予知夢を視せてほしい。


 その夜視た夢は、翌朝起きると忘れてしまっていた。まるで予知夢ではないただの夢のように。



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