消えた足跡
放課後。今週は掃除当番ではないから、部活の時間まで少し余裕があった。そういえば図書室で借りて読み終わったまま返却していない本があったな、とふと思い出し、ついでに次読む本を探すために図書室へ向かった。
ミステリー小説の棚をじっくりと眺め、気になるタイトルの本を二、三冊抜き出す。それを借りていた本と重ね、カウンターで手続きをする。慣れた手つきの図書委員が手早くバーコードを通す。差し出された本を受け取って図書室から出ようとすると、見慣れた天然パーマが目に入った。
「おや、切原くん?」
「うえっ柳生先輩!?」
「珍しいですね、切原くんが図書室にいるなんて」
そうっすか? と頭をかきながら切原くんは笑った。よく見ると製菓系のコーナーのようで、ケーキやクッキーのレシピ本や、パティシエやショコラティエ等の製菓に関わる職業の本がずらりと並んでいる。切原くんの左手には『誰でもわかる! 簡単おやつ作り』と書かれた本があった。見るからに初心者向けの製菓テキストだ。
「お菓子作り……切原くん、こういうのに興味があるんですか? どちらかというと、作るより食べる専門かと思ってました」
「まあ、そうなんすけど。こないだ調理実習があって、クラスの女子が『料理できる男子ってちょーかっこいい!』って言ってたんで、俺にもできるかなーって思って見てたんす!」
なるほど、と妙に納得してしまった。なんとなく想像はついていたけれど。そういえば以前、丸井くんがお菓子作りは計量が何よりの命と言っていたことを思い出す。大雑把な性格の切原くんには、きっとお菓子作りは向いてないだろうな、と思って笑いが漏れ、なんで笑うんすか!? と切原くんは少し不機嫌そうにこちらを見た。
「いえ、他意はないですよ。ただ、お菓子作りをするなら本を読むより丸井くんに教えていただいたらどうですか?」
そう提案すると、切原くんは目をまん丸にして「確かに!」と頷いた。
「丸井先輩のお菓子、おいしいっすもんね。プロ顔負けっつーか、むしろプロ? みたいな」
「習うより慣れろ、ってよく言うでしょう。実際に作ってみた方がいろいろとわかることも多いと思いますよ」
「でもまあ、これは借りていこうと思うっす。俺、基本すらもわかんねーから」
そう言って切原くんは手に持ったテキストをひらひらさせる。切原くんにしては珍しいな、と思った。頼れる人間がいるとわかると頼りっきりになりそうなイメージだったが、興味を持ったことなら意外とそんなこともないらしい。
自ら学ぶことは大切ですね、と伝え、借りるならカウンターで手続きを、と手順を教える。切原くんはお礼を言ってカウンターへ向かっていった。貸出手続きを終えた切原くんとともに図書室を出る。そのまま一緒に部室に向かう途中で、切原くんが宿題を教室に忘れたと思い出し、そこで別れることとなった。
「お菓子、上手くできたらごちそうしてくださいね」
そう言うと、もちろんっす! と親指を立て、切原くんは教室のある方へ向かっていった。そんな後ろ姿を見送ってから、部室へ向かった。
部室にはもうすでに先客がいた。扉を開ける物音で顔を上げた彼と目が合う。もっとも、目が開いているのかといったところだが。
「柳くん、今日は早かったんですね」
「ああ、柳生か。いや何、少しばかりやることがあってな」
そう言って、散らかった机の上の書類を指さす。おおかた、部員たちの練習メニュー表だろうか。公式戦に向けたオーダー表らしきものも見える。何か手伝えることはないか、と声を掛けたが、各個人のデータ整理も兼ねているとのことで断られた。あまり彼の邪魔をしてはいけないかと思い、ユニフォームに着替えたあと、開始のミーティングまでには戻ると告げ、テニスコートへ向かった。
テニスコートへ向かう途中で切原くんと会った。ユニフォーム姿の私を見てか、俺も付き合うっす! と駆け足で部室へ向かっていく。ウォーミングアップ程度でそれほど根詰めてやるつもりはなかったが、せっかく後輩が付き合ってくれるというのだ、軽く打ち合いでもするつもりで、コートの整備をし、ガットの調子を見ながら切原くんのことを待つ。しかし、待てど暮らせど切原くんがコートに現れることはなく、気づいたらもうミーティングの時間が迫っていた。真田くんあたりにでも捕まり、説教でもされているのかもしれない。それなら仕方ない、とコートをあとにした。
部室に戻ると、切原くん以外のメンバーはみな揃っていた。真田くんが切原くんが来ないことに怒り、丸井くんとジャッカルくんがそれをなだめている。仁王くんは切原くんにメッセージを送っているようだが、既読がつかないナリ、と呟いている。
「赤也のことは俺が連れてくるよ」
そう幸村くんが言って立ち上がった。それを見て真田くんが、幸村くんのことを手で制す。
「いや、ここは俺が行こう。幸村は残って皆の指導を頼む」
その勢いのまま出ていきそうになった真田くんのことを、幸村くんが引き留める。
「あ、待って。赤也、たぶん職員室にいると思う」
「職員室? なぜだ」
「さっきここに来る前に会ったんだよね。課題を出さなきゃいけないからって」
それを聞き、柳くんが口を開く。
「俺も職員室前で見かけたな。でも俺が見たのは、クラスのノート提出のためだったようだが」
「え、ノート? でも赤也は美術の課題だって……そもそも、その前に美術室で会ってるし……」
二人が話すのを聞き、そういえば……と切り出す。
「あ、あの。私も放課後に切原くんのことを見かけました。図書室で、なんですけど……」
「図書室? あの赤也が?」
ずっと話を聞いていた丸井くんが口を挟み、訝しげな表情で私を見た。確かに、切原くんが図書室を利用するイメージはあまりない。でも実際に会っている。
それを聞き、ずっと黙っていた仁王くんも口を開いた。
「そういえば昼休みに赤也を見たが、なんだか様子がおかしかったぜよ」
「……おかしいって、どう?」
「ああ、いや……でもこれは、俺の勘違いかもしれん」
そう言うと、仁王くんは黙りこくってしまった。目線は下がり、ぼんやりとした目つきだ。
「そういや言うの忘れてたけど、赤也、昼休みは購買に行ってないってさ。北階段でなんか、そのー、噂? っての確かめてたって言ってたぜ」
丸井くんの話を聞き、仁王くんは一瞬目を丸くしたが、また目を伏せる。そんな仁王くんを見て、丸井くんは仁王くんの肩を叩いた。「あ、俺、そのとき赤也に会ったぞ」とジャッカルくん。
情報が錯綜し、みんなが口々に話し始める。真田くんが立ち上がり、ドアへ向かいながら言った。
「とにかく、赤也を探しに行く。赤也が戻ってきたら本人から話を聞こう。先に練習を始めててくれ」
真田くんはそのまま部室から出ていった。その背中を見送り、幸村くんがそっと尋ねる。
「その……北階段の噂って?」
「前に柳が話してた七不思議的な……あ、幸村はそのときいなかったか」
ジャッカルくんは手短にその噂のことを話した。『北階段踊り場の鏡に向かってじゃんけんをして負けると、鏡の中の自分と入れ替わってしまう』
「つまり、赤也は昼休みにそれを試してたってこと……だよね?」
「しかも、俺と会ったときに『負けた気がする』って言ってた」
「さすがにそれはねーだろぃ。鏡だぞ? どうやって負けんだよ」
「そうだけどよ……」
沈黙が続く。みんな
「あのさ、みんなの話を聞いてて思ったんだけど……」
おもむろに幸村くんが口を開いた。
「赤也の行動、さすがに無理がない? 昼休みもそうだけど、同じ時間に違う場所で目撃されるなんて、ありえるのかな?」
なんてね、と幸村くんが笑う。そして、練習しようかとみんなに呼び掛けた。いまいち拭いきれない不気味さを抱えたまま、練習を始めることになった。
とにかく、真田くんが切原くんを見つけて連れてきてくれれば疑問もきっと全部わかる――そう言い聞かせたが、頭の片隅にいつまでも妙な薄気味悪さがこびりついていた。
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