うつるもの


 赤也が部活に無断で遅刻をした。遅刻する正当な理由があるのならばそれを申告すること、と何度も口酸っぱくして言っているのに。赤也のことなので、追試や居残りは多少なりとも目をつぶってきたつもりだが、それでも隠すつもりなら少し厳しく叱らないといけないかもな、と思った。

「まったく、あいつはどこをフラフラしているのだ……」

 まず幸村が言っていた職員室に向かう。職員室前には他の部活の生徒がちらほらいたが、赤也の姿は見当たらない。職員室内をちらっとのぞくが、そこにもいなかった。ちょうど職員室から出てくる先生がいたので、赤也を見なかったか尋ねたが、見ていないと言われた。
 ついでに近くなので美術室も様子を見に向かう。美術室では美術部がもう活動を始めている。もちろん、赤也はいない。
 次は図書室。柳生が赤也を見かけた場所だ。図書室を利用している人はおらず、暇そうな図書委員がおしゃべりをしていた。ここにもいなさそうだ。
 一階に降りる前に、赤也の教室を見に行くことにした。クラスメイトが何名か残っていたが、赤也の姿はない。話を聞こうかと思ったが、他学年の知らない人にいきなり話しかけられても困るだろう、と思ったのでやめておいた。
 そのまま一階の購買へ向かった。昼休みはもちろん、放課後も部活をやっている生徒のために購買はやっていることが多い。だが今日はもうすでに店じまいのようだった。赤也どころか一人もいない。

 ふう、と一息つく。一通り、心当たりのある場所を探したが赤也は見つからない。一体どこで何をしているのか。
 あと気になる場所と言えば、北階段だった。もしかしたら七不思議の検証でもしているのではと思ったので、すぐに向かうことにした。
 もう夕方に差し掛かった時間帯だからか、北階段はいつもよりも薄暗く不気味さが増していた。踊り場を確認するが、やはり赤也はいなかった。ふと、踊り場にある鏡が目に入る。前に立ち、鏡に映った自分の姿を眺めた。
 以前、柳が話していた立海の七不思議を思い出す。鏡の自分とじゃんけんをして負けると、鏡の中の自分と入れ替わってしまう――何も考えずに手をチョキの形にした。もちろん、鏡の中の俺もチョキを出している。馬鹿馬鹿しい、鏡なのだから当たり前だ。俺は自嘲気味に鼻で笑い、もう一度赤也の教室へ行くことにした。

 赤也の教室がある廊下まで戻ってきた。さっきまで残っていた生徒はもう帰ったようで、廊下は静まり返っている。本当に誰もいないようだ。自分の足音だけがやけに響いていた。
 教室をのぞくと、見慣れたくるくる頭が机に突っ伏している――赤也だ。さっきまでどこをほっつき歩いていたのかは知らないが、そのまま部活に来るわけでもなく、教室で居眠りとは何事か。

「あか……」

 赤也に呼びかけようとしたその瞬間、聞き慣れた着信音が鳴り響いた。ポケットに入れていた携帯電話のようだ。突然の着信音に驚きながらも、ポケットから携帯電話を取り出し、視線を落とす。幸村からメッセージのようだ。通知からメッセージアプリを開き、内容を確認する。

『赤也いたよ^^ 先に練習してたみたい。真田も早く戻っておいでよ』

 赤也がいた? だって赤也は今、ここに――。
 ばっと目を上げると、赤也はいなかった。まるで最初から誰もいなかったかのように、規則正しく並んだ机と椅子だけがそこにはあった。薄ら寒い感覚だけが残る。
 とにかく赤也に会わないことには始まらないと思い、急いで部室へ向かった。気持ちだけが先走り、呼吸が乱れる。
 部室のドアを勢いよく開けると、そこにはジャージ姿の赤也がいた。俺がドアを開けた音に驚き、びくっとなりながらこちらを見る。他の部員は、と部室内を見回したがいなかった。コートの方から練習している声が聞こえたので、先に練習しているのだろうと思った。

「赤也……お前、今までどこにいた?」

 乱れた呼吸を整えながら、俺は尋ねた。ざわざわと、心が波立つ。

「どこって、自主練してたっすよ、コートで。柳生先輩とやるつもりだったんすけど、入れ違いになったみたいで」

 そう言って頭をかく赤也。嘘をついているようには見えない。

「じゃあ、教室にはいなかった……ということか?」
「教室? 行ってないっすけど……」

 じゃあ、さっき教室で見かけた赤也は、一体――。
 赤也はラケットをくるくる回しながら、俺のことを不思議そうに見つめた。赤也からしたら、俺の方が何を言っているのか、といったところだろう。

「とにかく、ミーティングに遅れたのは事実ですけど、部活自体には遅刻してないんで! 幸村部長にも許してもらいましたし」

 ラケットを軽く振りながら、赤也は言った。確認は必要だが、幸村が赤也を許すと言ったのなら、俺からとやかく言う必要はないだろう。
 ふと、赤也を見て引っかかるものを感じた。赤也はずっとラケットを弄びながら、俺のことをぼけっと見ている。

「赤也、お前……」
「なんすか?」
「お前、左手でもテニスができるのか?」

 俺がそう言っても、赤也は表情ひとつ変えない。目が合っているはずなのに、視線が合わない。そしてぽつりと、小さな声で呟いた。

「あ、そっか」

 赤也は右手でラケットを握りなおし、にかっと笑った。その表情は、いつもの赤也だった。そして「早く練習しましょ、真田副部長!」と、いつもの赤也の声色で言い、俺に背中を向ける。

「待て、お前……本当に」

 言葉が出てこない。口にしてしまうと、知りたくもないことまで知ってしまう気がしたから。
 俺の呼び掛けに、赤也は振り向く。そして薄ら笑いを浮かべて、ぞっとするような冷たさで言い切った。

「俺は、”切原赤也”っすよ。ね、真田副部長」


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