とある噂


 人気のない北階段は俺の穴場スポットだ。とにかく生徒数の多い立海はどこにいても何かしらと騒がしく、落ち着いていられる場所といえば、トイレの個室か、校舎の端っこにある人気のない北階段くらいだった。少し落ち着いて考え事をしたいときや静かに過ごしたいとき、俺はよくここを訪れていた。
 今日も今日とていつものように人気のない北階段へ向かうと、珍しく先客がいた。見慣れたくるくる頭だ。

「赤也?」

 思わず声をかけると、赤也が振り向いた。驚きの表情はすぐに懐っこい笑みに変わる。

「わ、ジャッカル先輩! ちっす」

 そしてまた元の向きに振り返る。赤也の目の前には、唯一北階段の踊り場だけにある、全身が映るほどの大きな鏡があった。鏡越しに赤也と目が合い、また赤也はにかっと笑う。

「ジャッカル先輩知ってます? ここにまつわる、立海の七不思議」
「七不思議? そういやそんな話、だいぶ前に柳から聞いたことあったな……ここだと確か、鏡の自分とじゃんけんをする、とかなんとか」

 そう、それっすよ、と赤也が嬉しそうに笑った。
 赤也の言う通り、ここ北階段には立海の七不思議のひとつとして、『北階段踊り場の鏡に向かってじゃんけんをして負けると、鏡の中の自分と入れ替わってしまう』というものがある。ここは日が射さなくて昼間でも薄暗い。その薄気味悪さや、ここにしかない大きな鏡も相まってそんな噂が生まれたのだろう。

「俺、その噂を確かめるために、ここ数日ずーっとここでじゃんけんしてるんすよね。まあ、そんなわけないかーって、今日ダメだったらもう諦めようって思ってたんすけど、」

 赤也は一度口をつぐみ、うーん、と考えるような仕草をする。

「さっき、ジャッカル先輩が来るちょっと前かな……負けた? 気がするんすよね」
「は……? いや、そんなわけないだろ……鏡だぞ?」
「そうなんすけど……まあ一瞬だったし、見間違えかもっす」

 じゃあ俺、行きますね、と赤也が去ろうとする。おい、待てよと声をかけるが赤也は聞こえなかったのか、そのまま走るようにいなくなってしまった。
 薄暗い踊り場に俺一人。鏡の中の自分と目が合う。赤也の言葉が頭の中でリフレインして、ぞくりと背筋が冷たくなった。急に恐ろしくなった俺は、いてもたってもいられずに人気を求めてその場を逃げるように立ち去った。


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