授業の合間の休み時間の騒がしい教室で、謙也はクラスメイトと他愛ない話をしていた。いつか謙也に「花倉には可愛い彼女がいるらしい」と下世話な噂を耳打ちしたクラスメイトだ。
「はー、てかさ、花倉ってなぁんかやっぱ、エロいと思わん?」
「……はあ?」
「花倉の歯型で盛り上がった日から俺、体育のたびに花倉の裸見ちゃうんやけど、なんかエロいねん。短パンから見える膝に痣があったりしてさぁ〜、あれってセックスのしすぎちゃう?って俺思ってんねんけど」
興奮した面持ちのクラスメイトの口は止まらず、謙也の表情がみるみる曇っていく。急に話題を変えたかと思ったらこれだ。体育の時に裸をよく見ているなんて、不快にさせることを平気で言ってくれる。
謙也には膝の痣に心当たりがあった。空き教室の固い床で四つん這いにさせてセックスをした時についたものだ。
クラスメイトの思春期な視線を追って悠樹を見ると、僅かに開いた窓からそよぐ風に、前髪を揺らしながら外を眺めていた。アンニュイなその横顔は、思春期でなくても色気を感じる。
「うわーやば。色っぽいわ、やっぱ」
「お前さぁ、そういうのやめぇや」
「なにが?」
「悠樹でエロい妄想すんな言うてんねん」
「ぶは、なんそれ。謙也カレシ気取り?」
「あ?」
「やー冗談冗談!あっむしろ片想い〜とか?」
授業が始まるチャイムが鳴り、クラスメイトはさっさと自分の席へ戻っていく。クラスメイトが冗談で言った言葉が頭の中で繰り返され、どうにも気分が晴れない。
俺って今、悠樹のなんなんやろう。
不意にそんなことを思った。ただのクラスメイトでも、友達でもないことは確かだ。けれど彼氏でもない。じゃあセフレか。きっとそういうことに、なる。
でも客観的に見てそういう関係だとして、それなら悠樹から見た俺は何なのだろう。そうやって、謙也の自問自答は止まらなかった。悠樹から見た自分の存在を、意味を知りたかった。知りたいと思う気持ちの理由も分からずに、誰か答えを教えてくれと見えない何かに請う。
(やって悠樹って、今もまだ俺のこと好きなん?)
告白をされてから日が経つが、あの日以来、悠樹が謙也に好きと言ったことはない。謙也には悠樹の気持ちが見えなくなっていた。告白を受けた日はあんなに明確に、彼の想いを知れたのに。
確かめてみようかと思った。悠樹に直接聞いてみるのだ。まだ俺のこと好き?と。でも、聞いてどうするんだろうとも思った。だって俺は、その時に悠樹になんて言ってほしいんだ。自分のことなのに、湧き上がる気持ちの真意が分からない。気持ちを持て余し、広げたノートの隅にシャーペンで無意味な塗りつぶしを描いた。
*****
普段の学校生活の中の悠樹を見ていると、人から声を掛けられている姿が多いことに気付いた。悠樹のことはよくモテるやつだと認識していたが、それは本当のことだったのだと謙也は思った。悠樹に話しかける女子の多くは顔を赤くさせているし、ちょっと会話に耳を傾けてみると女子達はよく悠樹のことを噂している。
「悠樹ってモテるやんな」
「2組の花倉?」
「そう」
「あー、モテるな。小春もたまーに騒いどるし」
「やっぱモテるか」
「オイコラ小春んとこは無視かワレ」
「いてっ」
隣に立っていたユウジに肘で脇腹を強く突かれる。痛みを感じる箇所を擦りながら、謙也は自販機に並んでいるジュースを眺めた。なんとなく、コーヒー牛乳を見る。コーヒー牛乳は悠樹の好きな飲み物だ。
それを知ったのはつい最近のことだった。昼休みの空き教室で毎回パンを食べる悠樹が、決まったようにコーヒー牛乳を買ってくるのを見て、それで彼の好きな物を知った。セックスをするために空き教室に呼んで、そこで昼食を一緒に食べたことだって一度や二度ではないのに、そんなことすら今になって知ったのだ。
「昨日やっけなー、女子に告られてんの見たわ」
「は、悠樹が?」
「あいつしょっちゅう告られとるやん。前の学校でもよぉモテたんちゃうのー?」
「……ふーん」
告白されたなんて一言も聞いたことはなかった。前の学校の話だってひとつも知らない。少しくらい教えてくれたって、と思ったが、そういえばセックスの最中もその前も後だって自分達の間にはまともな会話なんてなかったと謙也は思い直した。
「なんやお前悩んだ挙句にコーヒー牛乳2本買うん?」
「おー」
「じゃ、俺は小春にいちごオレ買ってこ」
自販機で買ったコーヒー牛乳2本を抱えて謙也が教室へ戻ると、悠樹の席の周りには数人のクラスメイトが集まって楽しげに談笑していた。男一人に女二人だ。悠樹を入れるとちょうど2対2になるのが、傍から見ると仲の良い男女グループに見えて、無意識のうちに謙也は眉間にシワを寄せる。
すると、女子生徒の一人が笑いながら悠樹の腕を軽く叩いた。急なボディタッチに、謙也の心臓の裏が苛立ちで鈍く暗くなる。何か考える間もなく歩き出し、気付くと悠樹と女子生徒の間に割って入っていた。
「わあっなんやねん急に」
「べっつにぃー」
急に謙也が輪に入って来て、悠樹も驚いているようだった。確かに、こんなふうに何でもない休み時間に二人が物理的な距離を縮めることは今までなかった。二人にはいつもセックスというきっかけが必要で、それすらも毎回スマホを使って呼び出していたのだからそれも当然のことだ。
「はい。悠樹これ」
「え……俺に?」
抱えていた2本のコーヒー牛乳のうち1本を渡す。悠樹はかなり驚いていて、なかなか受け取ろうとしない。
「えー謙也、俺らにはー?」
「ないない。自分で買うてきいや」
「1本あるやん。それくれへんの?」
「阿呆、これは俺が飲むねん」
ケチ、と女子生徒二人が口々につまらなそうな声を出す。男子生徒は口振りの割にはなから期待していなかったようだが、そんなものよりも、謙也は悠樹のリアクションが気になって仕方なかった。
コーヒー牛乳は依然、謙也の手の中だ。掌に感じる冷たさがなんだか謙也を不安にさせていく。
「あー……まあその、いらんのやったらええんやけど……」
なっさけない声!と、自分の声ながらかっこ悪くて、少しずつ悠樹を見ている自信もなくなってくる。
「違う違う!いらないんじゃなくて、ただちょっとビックリして」
慌てて悠樹が首を振って否定した。謙也はほっと胸を撫で下ろすと同時に、悠樹の言葉を反芻した。
ビックリ、するかぁ、そりゃ。自分だって何がしたいのかよく分からない。何に焦っているのか、どうして腹が立つのか。その感情がいつもとは違う行動をさせて、でも気持ちだけは掴み切れず空回る。
「ありがとう。嬉しい」
コーヒー牛乳を受け取り、悠樹が笑った。
ああもう。なんだよ、その、かお。
窓から差し込む太陽の光のせいでやけにキラキラして、急にそんな顔を見せられたから心臓が痛くなる。どうも居にくい心地になって視線をそらしたいのに、矛盾した胸の内が、まだこのままで、と声を上げている。
本当に、謙也は、自分の気持ちが分からなかった。
悠樹の笑った顔をかわいいと思ったのも、そんなかわいい顔を誰にも見せるなよと思ったのも。
いくら考えてみても、どうしてそんなことを思うのか、それすらやっぱり分からなかった。