ニルヴァーナの宵に

 


どうにも眠れなくて、起き上がった俺はため息をついた。明日も戦があるというのに、こんな体たらくでどうする、と自分を叱咤するものの。そんなことで睡眠欲を操れはしない。
諦めて手裏剣を腰に携え、銃を片手に持ってテントを出れば、夜番だったバタフライがこちらを見る。

「…眠れないの?」
「ああ、見回りでもしてくる」
「そう」

短い返答。言葉を続けようとしてやめた彼女の意を汲んで、大丈夫だと不敵な笑みを見せる。
ここは戦場だ。どこにフォールンの軍勢が潜んでいるか、いつ攻撃を仕掛けてくるかもわからない。
だが自分たちは、気をつけろと心配するような間柄でもない。例え同じチームだとしても、彼女は傭兵で俺はデーモンハンター。一時的な同盟軍に身を置く俺たちは、仲間と呼ぶには互いの距離が開きすぎていた。
せっかくだからこちらの方も、と野営地から離れ森に入る。鬱蒼とした森林の中を進んでゆけば、突然目の前がひらけて。

「なんだ…ここは」

泉だった。澄み渡った水に、月の光が射し込んで煌めいている。戦場に似合わぬ静謐さ、神々しさで満たされた場所。美しいと、素直にそう思った。
影の森にあった光の泉のようだ。最も俺はその泉を見たことはないのであくまで想像でしかないが。更にアレイスターに狙われた泉の力を守るべく、泉の水はピューラが飲み干したので、今となっては見ることもできない。

「…誰?」
「っ!?」

突然響いた声に驚いて手裏剣を構える。
泉の傍に鎮座する岩、その上に女が腰掛け、足先を水に浸していた。距離にして数メートル先に、こちらに背を向けて。武器や防具の類は装備しておらず、丸腰だ。カースオブデスでスタンさせ、後は攻撃を続ければ倒せるだろう。一瞬でそう算段をつける。
チームにこんな奴は居なかった、また一般人がこんな戦場の最中に迷い込むこともないだろう、ということは。手に力を込める。それに気づいたのは俺だけではないらしく。

「あなた、寺院の人?」
「…いいや」
「それなら王国派かしら」
「そうとも言えるかもな。俺はデーモンハンターのヴァルハインだ」

振り返った彼女は、表情は硬けれど一見俺たちと変わらない人間に見えた。だが慎重に言葉を口にする。敵は狡猾だ。何をしてくるのかわからない。
緊張状態にある俺とは違い、彼女は至って自然体だった。しかしフォールンの軍勢の一人らしくない。彼らは残虐非道で、獲物を見つければ喜んで殺戮する筈だ。今までの相手がそうだったように。

「お前は? 一体何者なんだ」
「…バタフライは、元気?」

質問に質問で返される。なぜここで彼女の名前が出るのか。疑問に思ったがとりあえず頷いておく。

「ああ…しかしなぜ、彼女を」
「同期よ。私とバタフライは同じ傭兵団に所属していたの。こんなところで再開する羽目になるとは思ってもいなかったけれど」

傭兵団にいた、ということはヒトなのか。まじまじと彼女を見つめるが、確かに見た目は普通の人間と変わらないように思えた。それに、昔の友人を心配するところも。

「そんなに見ても、羽根が生えたり怪物になったりしないわ」
「! すまない」
「別にいいの。あなた、変わった人ね。フォールンである私に攻撃してこないなんて…」

もし光の寺院でイルミアに仕えていたなら、俺だってそうしたのかもしれない。でも俺はセインに忠誠を誓った、彼なら…いいや、こんなのは詭弁か。彼女と自分は敵同士なのだから、この行動は裏切りに等しい。そう考えながらも武器を構えるのをやめ、懐に仕舞う。

「お前もだろう? フォールンが人間を殺さないなんて」
「…ふふ。確かにそうね」

一歩、また一歩と近づいて。眼前に立った俺を、彼女は何も言わず見つめる。月光の下で冷たく輝くその昏い瞳は全てを諦めているようであり、また希望を隠し持っているようでもあった。
間近で眺めても、彼女は人間にしか見えない。寝間着と思しき白のワンピース姿も、そこから伸びる白い手足も。
ああ、俺を今こうして突き動かすのはただの好奇心なのだろうか。それとも――?

「そんな薄着で寒くないのか」
「! ええ、寒い…かも」

夜の森の澄んだ空気は、素肌には冷たすぎるだろう。曖昧な答えは気にせず、自分の上着を脱いで。その背に被せてやる。
呆けた顔の彼女に、居たたまれなくなって帽子を目深に被り直す。張った虚勢が、バレていないといいんだが。

「着てな」
「っ…ありがとう」

僅かに顔を赤らめて微笑む彼女。それに思わず手を伸ばしたくなる衝動に駆られる。だがぐっと堪えて拳を握った。

「…俺はそろそろ、帰らせてもらう」
「私も戻らなくちゃ…」

いつの間にか夜は明け始めていた。泉は変わらず、落ち着いた色を湛えている。
それに何より、彼女と二人でいれば、自分が自分でなくなってしまうようで。
代理とはいえ、デーモンハンターのボスがなんてざまだ、と自嘲するも心が変わることはない。

「また会いましょう、ヴァルハイン」

彼女のやわらかい笑みが朝日に照らされて、それが綺麗だ、なんて。
敵だと分かっているのに、名前すら知らないのに、次に会うのは戦場かもしれないのに。この胸の高鳴りは、どうしたって誤魔化せそうになかった。





 蛇足
 ・夢主は人間だったがムガンガにより改造済み、ほぼ人間ではないので寒さ暑さは感じず痛覚も鈍い
 ・クラスはウォーリア/メイジ
 ・バタフライのお姉さん的存在だった、傭兵団から逃げた先でヴィーラに勧誘される

 この後自陣に戻った夢主がアレイスターとかゼフィスに詰問されるとこまで考えてたけど力尽きました




 

 clap
back