愛の理解


別に自分はどうでもいい。
本当にそう思っていた。




だって私には大切にする価値も、される価値もない。




「………はぁ、」



教室でひとりきり、ため息を一つ吐いた。
上っ面の笑顔のおかげで何とか今日もやり過ごしたが胸の内は案外穏やかではない。
こんな茶番劇さっさと終わらせて、自分を殺すいい理由を探したい。




自分が酷く憎くてその憎悪はいつだって私の命を狙ってる。
けれど何か簡単な理由でもいいから見つからない限りこの世とオサラバする気にもなれず
只、ひたすらに息を吐くばかりだ。




「……しろいなぁ」



そっと吐いた息の色を見つめ小さく笑い空っぽの教室から足を踏み出した。




「遅かったな、花子。」



「………少し、考え事をしていまして。」



「……そうか。」




教室を出たすぐの場所にルキさんが立っていて
先程まで読んでいたであろう難しそうな本をたたんでこちらへと歩み寄る。
……この人の気まぐれもいつまで続くのやら。




屋上のあの日以来極力私の傍にいようとするけれど
この美形はよほどの暇人としか思えない。
……全く、イケメンのする事と言うのは私にはわからない事ばかりだ。



「……手が切れている。」



「?ああ…冬ですから乾燥してひび割れでもしたんでしょう。」



「………貸せ。」



彼の表情が少し歪んでそんな指摘。
チラリと見たら他確かに指先から少量血が出ていたが正直それだけだ。どうでもいい。
そんな事を考えていれば徐に手を取られ、そのまま血が出ている指は彼の口の中へと吸い込まれてしまった。



「………、」



「ん……、よし。応急処置だがこれでいいだろう。」



「………はぁ。」



ピリリとした痛覚の数秒後、解放された指先は確かに先程より出血は収まっていた。
普通の女子ならイケメンにこんな事をされたら喜ぶのだろうが正直その感情がよくわからない。
ただ、何も思わないことに対して申し訳ないなという感情だけはひょっこり顔をだした。




「帰る前に少し寄り道をしよう。」



「は?」



「花子は冬、よくひび割れを起こすようだから…ハンドクリームでも買って帰ろう。」



「………」




ぐいぐいと手を強引ながらもそっとひかれて帰路につく。
…ハンドクリームなんてそんな面倒なものいらない。
手から血が出ようがもうそれこそそのまま本当に割れてしまおうが本人である私がどうでもいいと思ってるんだから有難迷惑この上ない。
でも……、



「ルキさん……」



「嗚呼、あと消毒液と絆創膏も買おうか。その傷は少し、痛々しい」



ずんずんと店に向かうその瞳が余りにも真剣だったので
この繋がれた手は放すことが出来なかった。





「嗚呼、遅かったな花子。」



「すいません、ルキさん。少し考え事をしていて。」



静まり返った廊下にあの日のように足を踏み出せば
また全く同じくルキさんも私を待ってくれていて、読んでいたであろう本をパタリと閉じる。
違うのは私の考え事は以前のものではないという事だ。




「あ…ルキさん手、血が…」



「?………ああ、ひび割れ、か?」



「ふふ…あの時と逆ですね、貸してください。」




チラリと彼の手を見れば指先に控えめな赤。
小さく笑ってあの人が全く逆で、私が彼の手を遠慮がちに取った。




「あの日から持ち歩くようにしてるんです。消毒液と絆創膏。」



「……そうか。」



「はい、出来ました。」




できるだけ優しくその傷口に消毒液を吹きかけ、絆創膏を貼ってやれば
ルキさんはふわりと柔らかに微笑んだ。
その笑みに私もつられて笑う。




「あの時はルキさんがどうしてこんな事を私にするのかわからなかったんです。」



「………それは、少し傷つくな。」



「ごめんなさい…でも本当に、何で私みたいなのの為にこんな消毒や絆創膏なんてって、」



私のカミングアウトに大げさに傷つきましたといった表情を作られるけれど
それが本気でないのは声色でわかる。



「今なら分かります。………愛してくださってたんですよね。」




「ああ、そうだな。…と言うか今でも変わらず花子を愛してる。」



「………、」



以前の彼の行動を思い返してそう呟けば
甘い台詞とともに額にちゅっと可愛らしいキスをされて押し黙ってしまった。
……私は今からでもあの日の愛を返すことが出来るだろうか。



「ルキさん、ルキさん…少し寄り道していきましょう。」



「構わないが…どこへ?」



ぐいぐいと今度は私が精いっぱいその大きな手を引いて道を進む。
そんな私に彼は少しばかり首を傾げて問うので力なく微笑んでそれに答えることにした。




「ハンドクリーム、買いたいです。ルキさんに頂いたものと同じ銘柄をずっと使っていたのですが今日、切れてしまって。」



「……そういう事か。分かった、付き合おう。」



「ありがとうございます。」




私の言葉に彼は微笑んで少し歩幅を広げてすぐに引っ張られる形から私の隣を歩く体制にしてくれた。
ああ、やっぱりこうして隣にルキさんがいてくれるのはとても落ち着く。




あの日は分からなかった沢山の事。




彼が私の傍から離れようとしなかった理由
傷ついた手を見て顔を歪めた理由
その手を守ろうと帰りに寄り道をした理由…




今なら全部全部わかってしまう。
その事実が酷く嬉しくて顔が本能的にだらしなく緩んでしまう。




「随分とご機嫌だな、花子。」



私が笑顔を絶やさないのが気になったのか
彼が頭にハテナマークを浮かべたような顔で覗き込んできたので
私はあの人は待ったく違う、柔らかな笑顔のまま言葉を紡いだ。




「はい、少しだけ“愛”が分かったような気がして」




その言葉はふわりと寒空に消えたけど
気持ちは彼に届いたようで、目の前の表情は幸せな私と同じ笑顔に変わってくれた。



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