23:壊れた檻


初めは只々嬉しかった…

自分が惹かれた彼女が俺を愛してくれたという事実が酷く嬉しくて
彼女の顔に自然な微笑みが日々増えるのを見るのが楽しみで
一方通行だった視線がたまにぶつかる瞬間がとても愛おしくて


只々幸せだと思っていた。



「…っ、…は、…は…っ」


意識を取り戻せば目の前に広がる光景に愕然とする。
何だコレは…俺がやったとでもいうのか?
広がる赤い色、口の中に広がる味にまた意識を持っていかれそうになり必死に首を振る。そして自身の腕の中に納まる動かない彼女に呼吸を忘れる。


「…花子?」


ぐったりと瞳を閉じてピクリとも動かな彼女を何度か揺さぶる。
けれど何の反応もない。


「花子、花子…花子…」


血塗れの彼女、花子をこんな目に遭わせたのは間違いなく俺で
何度も何度も名前を呼んでその小さな体を揺さぶる。その行動はまるで壊れた玩具のようだがそんな事を構っている余裕なんてない。

瞬間、「ひゅ、」と彼女の喉がなったのを確認してようやく呼吸が出来た。
よかった…まだ死んではいない。
けれど…ああ、けれど…


「このままだと…」


今かろうじて息をしている状態の彼女だがこのままでは確実に死んでしまう。それほどまでに出血量が酷いのだ。
どうすれば…どうすればいい?
ぐるぐると迫る時間の中頭をフル回転させる。
早く、早く、早く、彼女を救わないと…!


「………あ、」


あのお方なら…、
けれど普通の人間である花子を救ってくださるだろうか…?
どうしたらいい…どうしたら…


「逆巻、シュウ…」


そうだ、あのお方の子息であるアイツの恋人としてならば…
けれど花子を救うためだからと言ってあのお方を欺く事はしたくないし彼女を奴に一時だって渡したくはない。
こんな事を考えているうちにも一刻一刻と花子の息遣いは薄くなっていく
嗚呼、俺は一体どうしたらいい!


「今のお前に選択できる権利なんてあると思ってんの?」


「………っ、」


いつの間にか目の前に佇んでいたのは怒りに酷く顔を歪めた俺の憧れていた青空のような瞳の彼。分かってる、今の俺に出来ることは何かくらい分かってる。
けれど、けれど…
離したくないと、花子を抱き締める腕に力を込める。
だらりと力ない彼女の腕は俺から零れ落ちる。嗚呼、ああ…


「ルキ、」


「…っ、…っ」


諭すような彼に名前を呼ばれるけれど
何度も何度も首を振る。いやだ、離したくないんだ。やっと、やっと手に入れたのに…彼女のいない世界なんてもう耐えられるはずがないだろう…


「ルキ…花子、泣いてる」


「ぁ…」



血にまみれでよく見えなかったが彼女の頬は確かに涙で濡れていた。
いやだ、やめて、と、確かに彼女は叫んでいた。
けれど俺はそれを嗤った。必死に縋る手さえも自身の指で絡め取り、抵抗できないように彼女がこんなになるまで血を吸いつくした。

血の所為だけじゃない、彼女の血は少しだけ俺の背中を押しただけ…
悪いのは全部…


「花子を寄越せ」


「………、」


有無を言わさない圧倒的な威圧感の中そう囁かれて力を込めていた俺の腕はゆるりと彼女を解放した。

俺以外の腕が彼女を優しく抱き、俺以外の唇が彼女の瞳に優しく触れる。

けれど今の俺には彼女をそこから奪い去る権利なんて持ち合わせていなくて…


ガラガラと彼女を捕えていた檻が音を立てて崩れていく。
嗚呼、もうきっと俺の腕は花子に届くことはない。

初めは本当に嬉しかったんだ…
想いが通じて、お前も俺を想ってくれて
けれど、もっともっと、そう願っていて…


その眼は俺だけを見ていればいいのに
その唇は俺の名前だけを紡げばいいのに
その笑顔は俺だけに向ければいいのに


些細な独占欲がお前の血を飲んだあの日から俺の中を化け物のように浸食していって理性と本能との境界線にギリギリに立っていた俺の背中を再度口にしたお前の血が嘲笑うかのように緩やかに押したのだ。


「なぁ、ルキ」


「………」


彼女を連れていく彼が不意に足を止めてこちらを振り返る。
自身が花子を手に入れたはずなのにどうしてかその瞳は悲しげで俺はその真意を測れずにいた。


「お前、王子なら…魔王を倒しに来るよな?」


悲しげに微笑んだ彼はどうしようもなく自虐的でどうしてお前がそんな傷付いた顔をするんだなんて、聞く事は出来なくて
只々、去っていく二人を見送る事しかできなかった。


「…花子っ」


これが最後になるかもしれない彼女の名前を腹の底から叫んで
彼女の血の海で独り、静かに涙を流した。



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