29:サヨナラ世界


「それにしても君はどうやら思い違いをしているようだね。」


「………は?」


突然の言葉に動揺を隠しきれない。
翡翠の瞳が私を捉えて離さない。
悲しい旋律が聴こえてきて、ふいにそちらへ足を向けてみればそこにいたのは意外な人物だった。


「あっれぇ〜。ビッチちゃんはビッチちゃんでもルキの所のビッチちゃんじゃないかぁ」


「や、あの…ビッチではありませんが、」


向かったのは音楽室。
何気なく扉を開ければ彼は驚いたようにこちらに視線を向けてピアノを弾いていた指を止めてこちらへと歩み寄り
じろじろと私を品定めすると「ふーん」と、気の抜けた声を漏らす。
そして私同様張り付いたような胡散臭い笑顔で自己紹介。


「初めまして〜。僕はぁ、逆巻ライトだよ。よろしくね、んふっ」


「存じ上げてます。」


逆巻家は有名なので兄弟全員は認識している。
その中でも彼、ライトさんは変態で有名な方だ。

そんな事を考えていれば先程の台詞だ。
思い違い…?一体何をだろうか。首を傾げていると彼はグッと私の首を乱暴に掴む。
息が出来なくて一瞬瞳を見開く。


「餌の分際でさぁ。ルキに愛されてると思ってるの、見ててイライラするよ。」


「ぁ…っ!」


掴んだ手に更に力を込めて、それでも笑顔を崩さない彼は続ける。


「ヴァンパイアって言うのは永遠を生きる生き物だからね。多少の刺激が必要なのさ。だから他とは少しだけ違う君の思考と血は丁度いいオモチャだって言うだけなのにさぁ…ふふ、おかしい」


「…っ、…っ」


いい加減酸欠になりそうになったとき、ようやく彼の手が離されたのだが、
その時に乱暴に床に叩き付けられてしまったので全身に痛みが走る。
ライトさんはそんな私を見降ろしてまた嗤う。


「恋とか愛とかさぁ…まさか君如きが?ははっ、思い出しなよ。君の姿ってやつを」


「私の…姿…」


彼の言葉にふいに見上げればその冷たい瞳に映るのは私。
…ああ、そうだった。私は…


「ねぇお前みたいなのが本当に愛されてるとでも思ってるの?」


「で、も…」


ぐいっと乱暴に髪を掴まれて痛みに顔を歪めながら反論する。
そうだ、ルキさんはこんな私でも愛してくれていると言っていたもの。大丈夫。大丈夫。
けれどライトさんはそんな私に未だに張り付いた笑顔で、だけど冷たい声でこういった。


「ルキに愛でも囁かれた?ふふ、彼は目的の為なら何でもするんだよ。そう、例えば君の攻略とかね。」


「…っ、」


大丈夫、そんなんじゃない。ルキさんはそんな事はしない。
分かってる、頭ではちゃんと分かってる。
けれど今の私の頭と心はまるで別の生き物の様だ。
バラバラでぐちゃぐちゃで何も整理できない。だから自分に言い聞かせるように声をあげる。


「そ、な…事、ない、です。…そんな事…」


「あはっ、健気だ。健気だねぇ!健気で愚かだ。」



ライトさんは声をあげておかしそうに笑う。
そんな彼の前に私の瞳はゆらゆらと揺れる。大丈夫、信じなきゃ。こんな事で不安になんかなってどうするんだ。

大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョウブ…
なのにどうしてこの身体も声も恐ろしいほど震えるんだろう。
私が自分自身に自信さえあればこんな言葉で揺らぐ事なんてなかったのだろうか…

一通り愉快に笑った彼は瞳に涙を浮かべていて、それを拭い
私を引き寄せ、普段聞く事のない低い声で私にとどめを刺すのだ。



「只の餌の分際で…自惚れるなよ」



その言葉はまるで呪いの様に私心を黒く染める。
けれど私は、私自身はそれに抗いたい。


「ちがう…ちがい、ます…ちがう…」


「んふっ、大丈夫だよビッチちゃん。君がどれだけ頑張ろうが現実は変わらないもの」


「ちがう!」


「違わないさ」



自分でも驚く程大きな声でライトさんの言葉を否定したけれど
それでも彼は嗤う。コメディ映画を見るような感覚で盛大に笑う。


「ルキを信じたい。でも僕の言う事も一理ある。そこで揺れている時点で君はルキに愛される資格なんてないのさ。」


彼が私の首へと顔を寄せて、血を吸われると思いぎゅっと目を瞑ったがチリっとした痛みを一瞬感じただけで何も変化はなくて、ゆっくりと目を開けると満面の笑みのライトさん。


「自分を愛せないやつが誰かに愛されるとでも思ってるがおかしいよね。」


「それ、は…」


図星をつかれて思わず黙ってしまった。
ライトさんはそんな私を見て満足したのかひょいっと抱え上げてそのまま音楽室の扉を開いた。



「僕はまだちょっと弾いていたい気分だからさ、またね。ビッチちゃん♪」


「わっ」



そう言うと、彼は私を廊下へと放り投げてピシャリと扉を閉めてしまった。
廊下のど真ん中でへたり込んだまま私は先程の彼の言葉を思い返す。


本当に私は彼に愛されているのだろうか。
ライトさんの言う通り、只の暇つぶしに私の気持ちを弄んでいたのだろうか?
…いや、そんな事はないはず。大丈夫。ルキさんはそんな人じゃない。


けれど、どこかで…心のどこかで私は彼を疑ってしまっている。
こんなんだからライトさんに彼に愛される資格がないと言われてしまうんだ。
どうしよう。言いたい。宣言したい。“彼は間違いなく私を愛してくれている”って。
でも…でも、


じっと窓に映る自分の顔を見る。
お世辞にも綺麗とも可愛いとも言えない顔。
こんなんで、そんな事宣言なんて出来る訳がない。

こんなんだからずっと不安なんだ。
幾ら愛してると言葉をくれても、もしかしたらそれは上辺ではと疑ってしまうんだ。
…最低だな、私は。


「…花子?」


「…!ルキさ、…っ!?」


ため息をつけば不意に背後からルキさんの声。
振り返ると彼はどうしてか大きく目を見開き、酷く傷ついた顔をして私にいきなり掴みかかった。



「どうしたソレは…誰にやられた?答えろ!」


「え?…あの、」


「花子!」


酷く怒りを含めた声に私は思わず体を揺らして目をぎゅっと瞑ってしまう。
するとルキさんは酷く冷たい、悲しい声で囁いた。


「嗚呼、大事にしようと思っていた俺が馬鹿だったのか…?もういいか、無理にでも奪ってしまえばお前は永遠に俺のものになるか…なぁ花子?」


「な、に…ぁ、やっ…!」



彼の声に少しだけ違和感を感じて目をあければ冷めた瞳で私を見降ろしていた。
そして突然唇を奪われたかと思えばぐっと襟元に力が込められて無残にもシャツのボタンを千切られてしまった。


「や、いやです!ルキさん…っ!」


「ああもう、喧しい」


必死に叫んで懇願しても、彼は面倒そうにため息を一つつくだけで
その行為を続けようとする。


どうしたんですか、急にこんな…私は何かしてしまったのだろうか。


それとも先程のライトさんが言ったように私で遊んでいてもう飽きてしまったとか…
ぐるぐるぐると脳内で色々な考えが巡って混乱と恐怖と悲しさでボロボロと声を出して涙してしまう。


「ぅ…、ひっく…うぅ…」


「………っ、くそっ!」


するとルキさんは酷く顔を歪めてピタリと手を止めてそのまま地面を殴りつけた。
その行動が酷く恐ろしくて私は解放された身体を精一杯動かしてその場から走り出した。



やだ、やだ、やだ。
こんなのはいやだ。
もう今は彼の事何も信じれない。


もしかしたら初めから彼も他の人達の様に抱ければよかったのだろうか。
顔とか身体とかどうでもよくて、只女だったらそれでよかったのだろうか。


「嗚呼、もう…」


暫く走ってようやく足を止めて先程の様に窓を見れば乱れた制服に酷く歪んだ顔の私。
ああ馬鹿みたいに醜い。キライ。
誰が?私が?ルキさんが?それともライトさん?
誰が嫌いなの?


ああそうだもともと私はそういう人間だ。


ふわふわした幸せな気持ちが嘘の様に引いて行く。別に無くたって生きていくのに支障はない。


「全部大嫌いだ」



吐き捨てたその言葉が酷くしっくりきて笑えば
その顔は今までで一番ひどく歪んでしまって、その醜さに更に笑ってしまった。


もういい、全部どうでもいい。
考えるのも悩むのも、もう全部全部面倒だ。


「解決策ならあるよね」


独り言は静かな廊下に響き渡って、私は声を出して笑った。
目指すは屋上だ。
もう全部全部おしまいにしよう。
彼が泣こうが喚こうが私には関係ない話なんだから。


いつになく軽い足取りでステップを踏みながら
私は自身の処刑台へとご機嫌に足を運んでいく。



サヨナラ私、サヨナラ愛しい人。



戻る


ALICE+