30:情けない吸血鬼
星も月も何もかも隠れて真っ暗な夜空。
頬をかすめる風が心地いい。
意外と人生最期を飾るのには素敵な舞台が用意されたと、思う。
私は今フェンスの外に笑顔で立っている。
意外に穏やかな気分だ。
別にライトさんの言葉を全部信じただとか、ルキさんのすべてを嫌いになったとかそう言うわけじゃない。
ただ、只思い出しただけだ。
私は全部が嫌いなんだ。
どうしようもないこの気持ちから解放されるのはもうこの世界から退場するのが手っ取り早い。
けれどこの場所はどうにも彼との思い出が多い気がする。
不意に目を閉じれば鮮明な記憶達。
彼の甘い檻に囚われて嬉しかったし、狂った彼に血を吸われつくされた時は怖かった。
そして最期は…うん、
「かなしい、かな。」
結局彼を信じ切れなかった私が。
結局力づくで私を手に入れようとしたルキさんが。
全部全部嫌いで、悲しい。
瞬間、大きな音が聞こえた。
ああ、こんな時まで追いかけてきてくれるのか。
どこまでも優しい彼にこんな歪んだ顔は見て欲しくなくて、彼が私を捕える前にと
自ら奈落への一歩を踏み出した。
落ちていく瞬間、彼と目があった気がして
せめて最期にと、自嘲気味に笑って軽く手を振った。
最期にどこからかポーンとピアノの音が聴こえた気が、した。
「…アレ、生きてる。」
次に目が醒めたときは見慣れない天井が視界に入ってきて、むくりと起き上がればジャラリと金属音。
首がどうしてか冷たく感じて手をやってみて首を傾げる。
「首輪…?」
状況を把握しようと辺りを見てみれば何もない殺風景で真っ白な部屋。
置いてあるものと言えば今私が座っているふわふわのベッドだけのようで、もう少し辺りを見渡せば大体の現状を把握する。
「コレ…」
首輪は鎖で繋がれていたがそれなりに長さがあるらしい。
この部屋は不自由なく移動できるようだ。けれどそれ以上に問題なのは…
鎖がギリギリ届くところまでやってきてソレを握り締める。
ヒヤリと冷たい感覚のソレ…鉄格子は真っ黒で何度揺すってもびくともしない。
こんな何の価値もない私をここまで厳重に閉じ込めるのはもう1人しかいなくて
私は小さくため息をついてずるずるとその場にへたり込む。
「しなせてくださいよ…」
小さく響いた私の言葉に誰も答えてくれることはなくて、真っ白な床にぽたりぽたりと涙が零れる。
もうここにいたくない。この世界に居たくないんです。
貴方を愛するの、苦しいです。
貴方を疑うのも、辛いんです。
貴方を嫌うのも、悲しいんです。
気が付けば私の世界は全部全部貴方だけで、貴方を思うと苦しくて切なくて、辛い…
「ルキさん…」
「花子、」
彼の名前を呟けば、私の名前を呼ぶ甘くて優しい声。
顔を上げればルキさんは鉄格子の前にしゃがんでいて私と目線を合わせてくれていた。
そして檻の隙間からそっと冷たい指が絡められる。
「初めから…こうしていればよかったな。」
「え…」
悲しそうに、とても悲しそうに顔を歪めてルキさんは静かな声で囁く。
「俺自身も…花子を悲しませる存在なら、俺が触れられないように…もう誰もお前を傷付けないように初めからこうしていれば良かったんだ…」
愛おしげに絡められた指にぎゅっと力が一瞬入って、そのまま名残惜しげに離れていってしまう。
嗚呼、私はどうやら完璧に世界から隔離されるらしい。
「花子…もう誰もお前に触れさせない…傷付けさせない。」
それはきっと私がいつも望んでいた言葉だ。
傷付きたくない。傷付いたら悲しい。
好きになって嫌われたら悲しい。だったら初めから嫌えばいい。
酷く自己中心的な私の我儘。
けれど、どうして…どうしてだろう。
自身の望みが叶おうとしているのに私はどうして今ボロボロと涙を流しているのだろう。
「花子…?どうした、どこか痛むのか…?」
「ルキさん…ルキ、さん…」
心配そうに私の顔を覗き込んでくれるルキさん。
けれど決して触れてくれることはなくて、私は更にボロボロと涙を流してしまう。
「花子…?」
「辛い…苦しい…かなしい…」
ぎゅっと格子を握って震える声で呟くとルキさんの顔が悲しげに歪む。
けれど私も今きっと彼以上に酷く顔が歪んでしまっているんだろう。
「貴方を…ルキさんの事を思うと辛いです…信じたいのに疑ってしまう…そんな私も嫌で…もう、もう…」
いつもならルキさんが困った顔をしてこの涙を拭ってくれるのに彼は、今はもう只々私の泣きじゃくる顔を辛そうに見ているだけで。
そんな悲し過ぎる現実に私の涙腺はさらに崩壊する。
「ルキさん…触れてください…」
「しかし…お前を傷付けてしまう。」
戸惑いがちに近付いた指先は触れる寸前で止まってしまって、コツンと冷たい格子に頭を預けていやいやと首を振る。
貴方と切り離されて思い知るこの気持ち。
「傷付いてもいい、です…ルキさんになら傷付けられて、いい…でも、でも…それでも触れてくれないのなら…ころしてください。」
「花子…」
ようやく、けれど遠慮がちに絡められた冷たい感覚にまた私は涙する。
もう情けない声を押し殺すだなんてことはしない。
「ふ、ぇ…ルキ、さ…ひっ、く…ルキさぁん…」
「俺はどうやっても花子を泣かせてしまうんだな…」
情けない吸血鬼だ、と彼は言う。
いつもの困った微笑みで…
触れ合っているのは指先だけで、他はこの冷たい格子で隔たれていて近いようで遠い。
けれど、どうしてだろう…少ししか触れていないのに、彼に触れられるとどうしてこんなにも胸が暖かくなるんだろう…
「ルキさん…」
「ん…?」
優しい声で私の言葉を待ってくれるルキさんは本当に優しいひと。
未だに枯れることがない涙を流しながらも途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「私…これからもきっと、ルキさんを…疑います…そして、きっと、たくさんたくさん傷付きます…でも…」
「花子…」
ぎゅっと絡められた指に力を込める。
彼は少しばかり驚いて目を見開く。そんな彼の瞳をじっとまっすぐに見つめて宣言する。
「貴方に触れてもらえるなら…愛してもらえるなら…私、喜んで傷付きます。」
きっとそれはとても苦しくて辛くて悲しい事が沢山ある道だろう。
けれどこの部屋の様に何もない真っ白で平坦な道なんかよりずっといい。
私の言葉に答えるように、ルキさんもぎゅっと指に力を入れて優しく微笑んでくれた。
「なら…花子が傷付けばその度に、俺がその傷を舐めてやろう。」
「ルキさん…」
「不器用で情けない吸血鬼でもそれくらいできるさ…」
そう言うと同時に降って来た優しいキスは鉄格子を隔てていても暖かくて
私は嬉しくて嬉しくて、また一つ涙を零した。
…そう言えば、あの時。
ルキさんはどうして急に怒り出してしまったんだろう…?
そんな純粋な疑問を抱きながらも今は只々この甘くて冷たいキスに溺れていたかった。
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