107:伸ばす手


絶望に心が押し潰される
嗚呼、所詮私には幸せな結末なんて許されなかったのか
久々に訪れるこの酷く卑屈な考えがこの世界での最期の思考になるのだろうか…
そう思い、全てを諦め彼に吸い殺されるのだと…瞳を閉じた。




嗚呼、今までしあわせが続いた分
この結末は酷く堪えるなぁ……




なんて、最後の最期に思った時に
耳元で酷く懐かしく感じてしまう酷くいとおしい声が聞こえた




「花子」




いつの間にか引き抜かれた牙
ぎゅうと先ほどより力が強い筈なのに優しく抱き締めてくれる腕
そして、




「ルキさん?」



「嗚呼、俺だ」





私を見つめる瞳の色は
先程の狂気に満ちたものとは違って私が愛した穏やかな夜空色




「ルキさん、ルキさん………ルキさん…っ」




「前にも言っただろう?お前の血如きに俺はもう堕ちない」




もう何十年も会っていない気がするいつもの彼に
安心しきってボロボロと涙を零して縋り付くけれど、
優しく、優しく何度もルキさんも頭を撫でてくれるけれど





どうしてか、まだ胸が騒めいて収まらない




チラリと視界の端に映る檻の向こうの彼の口角が更に上がったのを見て
ぞわり、背筋が反射的に凍り付いた。




「おはようございます、ルキ。ご機嫌いかがですか?」




「……………嗚呼、お前のお陰で最悪だな。逆巻レイジ」




私を片腕に抱きながら檻の向こうの彼に言葉を投げかけるルキさんは酷く冷静に感じる
嫌な予感がそんな彼の言葉と態度にどんどんと大きくなっていく。
ねぇ、ルキさん………ルキさん、もしかして




じっと彼の腕の中でその表情を伺えば
やはり私の血では堕ちないと言ってくれたけれど酷く余裕のない顔をしてる
当たり前だ……何もない時ではない、今はずっと吸っていないままここに監禁されていてそれでも酷く渇いているのに
それで私の血なんか飲んで耐えれるはずなんかない……今はこうしてすぐにでも壊れてしまいそうな理性で留まってくれているけれどきっとそれも永くは続かない




なのに、なのにどうして貴方は酷く冷静に言葉を紡げるの?




「嫌な予感はしていたが、まさか逆巻シュウの嫌がらせに俺達を使うとはな」



「嫌がらせ?ふふっ、そのような可愛らしいものではないことにお気付きでしょうに面白い事を言う」



「嗚呼、確かにこれは最高に趣味が悪い」




レイジさんと普通に世間話でもするかのように言葉を交わすルキさんに困惑を隠せない
その間も私を抱き締める腕に力はどんどん込められて少し、苦しい




「ルキ、さ」




「花子……すまなかった。痛むか?苦しくはないか?嗚呼、顔色が悪いな……少し吸い過ぎたな…」




彼のその身体は余裕がない筈なのに酷く冷静すぎる態度に
胸の中の不安や予感はますます膨れ上がって思わず震える声で彼の名を呼べば
ルキさんはこちらを向いて酷く穏やかに笑みを浮かべ、相も変わらず過保護に私を気遣ってくれるのに
どうしてだろう……




どうして、こんなにも嬉しいと思えないのか




その時、私を抱き締めてくれている腕が片腕だけになっているのには気づかず
彼のその穏やか過ぎる表情に気を取られていれば
動揺の余り扉の前で立ち尽くしていたシュウさんの震える声が部屋一面に響き渡る




「おい…………ルキ、やめろ……っ」




「逆巻シュウ、結局貴様に花子を預ける事になりそうだ………泣かせるなよ?」




「ルキさん……?」





穏やかに笑みを浮かべるルキさんが檻の中からシュウさんにそう告げて
漸く私は先ほどまで両腕で抱き締めてくれていた手が片腕になっていることに気付いたけれどもう遅い
トンと彼に胸元を押されてルキさんとの距離が離れてしまうのがまるでスローモーションに思えるくらい長く感じた




「ル………、」





穏やかに笑う彼
私から離していた手にはいつの間にか銀のナイフ




くしゃりと、初めてあどけなく笑う彼はぽつり
小さく呟いた




「花子、愛してた………最後に我儘になってしまってすまない……お前の、」




分かってた
此処に閉じ込められて出ることが出来ないのならば結末は二択
私が彼に吸い殺されてしまうか、彼が傍にある銀のナイフで命を絶つか
どちらかが死なない限りどうしようもない。きっとレイジさんもそうなるまでここから出してくれる気はない




どちらかを選ばなければいけないなら
彼なら………ルキさんならこうするって、分かってた






「お前の隣にずっと居たかった」




穏やかな笑顔なのにその声は酷く震えていて、酷く悲しい色をしていた
どうしようもない、分かってる。
頭では分かっている。
どちらかが犠牲にならないといけない……分かってる





でも、





「……っ」




「ほうら、穀潰し……いえ、シュウ……素晴らしい舞台でしょう?貴方が大切なものを作ったのがいけない」




絶望や罪悪感、様々な負の感情でその場から動けないシュウさんに向けて愉悦を孕んだ言葉と笑い声が放たれる
自身の胸にナイフを宛がうルキさんが悲し気に笑う
この場にいる全員が絶望に飲み込まれて息もできない……




けれど




ギリリ、と
奥歯を噛みしめ私は真っ暗なそんな絶望の中





気が付けば思い切り、手を伸ばしていた




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