36:俺のトクベツ


「なんで、こんなに緊張するんだろ…」



目の前の大きな扉の前で立ち止まったまま小さく呟いた。
いつだって親父の命令とかでここに来る事はあって、その時は何も思わなかったのに
どうして今はこんなにも足が震えるのか…



きっとこれが自身の意志で決めると言う重さなのだろう。



ひとつ、気持ちを整える為に息を吐き、そのまま両手で重くて大きなそれを押し開けた。
うん、もしかしなくても誰かの為にここまで動くの久しぶりだな。



「ああ、シュウ。遅かったね。」



「………どうして花子を連れ去ったんだ。」




扉を開けて真っ先に目に入ったのは安らかな表情で眠っている俺の最愛だった。
次に目に入ったのはそんな彼女を優しく抱き締めたままこちらを胡散臭い微笑みで見下す、何を考えているかわからない吸血鬼の王。


けれどこの二人の様子からして嫌な予感しかしなくて、自分でも少し驚く位大きくて攻撃的な口調で親父に言葉を吐いた。



「“どうして”…か。嗚呼、やはり彼女をお前から取り上げて正解だったようだ。」



「は?一体何…、」



「シュウ…お前は自身が今どんな顔をしているか分かっているか?」



何度も何度も花子の髪をそっと指で梳きながら俺に問うてくる姿にイライラする。
花子はあんたのモノじゃなくて俺のものなのに。


けれどその言葉にチラリと鏡に写る自身を見やる…特別に変わった顔なんてしていない気がする。


じっと暫く鏡の中の俺と見つめ合ってれば親父は長い溜息をついて、ぐいっと乱暴に彼女の髪を掴み上げた。



「自身の腑抜けた顔さえ気付かない程この子に毒されたのか…情けない。」



「おいやめろ…!何して、」



「………」




花子を乱雑に扱う彼に詰め寄ろうとしたがそこで違和感に気付いて頭が真っ白になる。
…彼女が、花子が動かない。
あれだけ乱暴に掴み上げられているのに目を覚まさないどころかうめき声一つ上げないのだ。
以前のレイジの事が思いだされて嫌な汗が全身を伝う。



「花子…花子…っ!!!」



「ほら、以前ならこんな違和感もすぐに気付いただろうに…お前は本当にこの子に甘やかされ過ぎた。」




声を荒げて彼女を呼んでも反応してくれない。
焦りが酷くてうまく頭が回らない。
何だ、何がいけない。
親父の細められた目に訴えても彼の眉間に皺が増えるだけで一向に彼女を解放しようとはしないので更に焦る。




「別に人間らしくなるのは歓迎だ…いい事だよ?けれど弱くなれとは言っていない。」



「………、」




彼の言葉に引いていた血が一気に頭に上る感覚に陥る。
と言う事はあれか?花子を連れ去って動けなくしたのは彼女が俺を散々甘やかして
俺がすっかり腑抜けになったからだとでも言うのか?ふざけるな。



ギリリと奥歯を噛み締める。
分かってない…何も分かってない。
目の前の王は本当に何もわかっちゃいない。




いつも以上に大きくため息をついて
ギロリと未だに悠々と玉座に座る彼を睨み上げた。




「分かってない…俺は花子に出会って馬鹿みたいに愛されて甘やかされたから此処にいるんだ。」



「ほう…?」



一歩、また一歩、彼に…いや、未だに眠ってる花子に近付く。
じっと彼女を見つめ、王の威圧なんかもうどうでもいいくらいに早く彼女をこの腕に抱きたくてゆっくりだが確実に前へ進んでいく。




「確かに弱くなったかもな…勘も鈍った。我慢だってしなくなった。…花子に甘やかされまくったからな。」



「そうだろう…?だから今ここで彼女を、」



「でも、」




今思えばおそらくあのダンスパーティで俺が何も言わず去ってしまったのを見ていたのだろう。
いや、もしかしたらそれまでもどこかで俺と花子の事を見ていたのかもしれない。
そして次第に腑抜けて幸せで馬鹿な日常になじんでいく俺を見て宜しくないと思ったのだろう。




きっと親父は花子をここで…俺の目の前で殺す気なんだ




すぐにでも結論の言葉を出そうとした彼の言葉をはっきりとした声で遮った。
今、まっすぐ彼を捉えた俺の瞳はきっと誰よりも弱くて甘ちゃんで…



でも、誰よりも誠実だ。



それは今まで花子が俺に向けていた愛情程大きくて強いものではないけれど
少なくとも彼女に影響された部分は大きいと思う。
彼女の愛はいつだってまっすぐで甘くて心地よくて…何よりも誠実だった。



「でも…俺はコイツに、花子に馬鹿みたいに甘やかされたから今生きてる…今ここに来てる。」



遂に目の前まで辿り着いて未だに王の腕の中で眠る彼女の頬にようやく触れることが出来た。
ふわりと伝う優しい体温に今すぐにでも泣きそうになったけれど、それよりもまだ息がある事実に安堵が胸の内からぶわりと溢れる。




「傘が…花子が俺を沢山の雨から守ってくれたから、俺は凍え死ぬことはなかったんだ。そしてこうして自分の意志でここまで来ることが出来た。」



「それだけか?」



「いや…違う。」



俺を射抜く親父の目が未だに厳しい。
けれど俺はもうそんな視線位で彼女を諦める気にはならない。
あ、もしかしたら今…ようやく花子に俺のトクベツをくれてやれるのかもしれない。




そっと彼の腕に横たわる彼女の体を抱きよせる。
約10日ぶりのその柔らかな感触を腕に力を込めて味わいながら自分でも分かる位ふにゃりと微笑んで未だに俺を睨む王に宣戦布告をする。
大丈夫、もう俺は一方的に守ってくれる傘はいらないんだ。




「傘たたんで、一緒に雨に濡れて…それから雨宿りって言うのも悪くないなって…思えたさ。」



「雨宿りだと?」



「ん、」



小さく返事をして花子を抱きかかえながら彼に背を向ける。
次第に距離が離れるけれどもう花子を俺から奪う事をしないという事は俺がどう思っているかは分かってくれたのだって、勝手に思ってる。



花子に散々甘やかされて始めはそれが心地よかったけれど次第に何処か腑に落ちなくなって来た。
愛されて守られるだけじゃ嫌だ。
俺だって花子を愛して守りたい。
雨は嫌いだ…でもだからって花子を傘にして俺だけが守られるのはちょっとやだ。



「親父、逆巻の跡…俺が継ぐ。」


「代わりに彼女を傍に…か?」


「王にだって癒しと愛は必要だろ?」



扉の前で振り返りニヤリと笑ってそう言うと
彼もこの言葉を待っていたかのようにニコリと唇で弧を描く。
これは彼が望んだからではなく、俺がしたいからと望んだからこの言葉を紡いだんだ。



そっと暖かで柔らかな唇を塞ぐ。
今はこうやって俺が愛しても叫ばないし泣かない…
目が覚めたときこの状況を教えてやれば花子はどんなリアクションをするのだろうか。
考えるだけでちょっと楽しみだ。




「あれだけ嫌っていた王の座に自ら…そこまでの価値がその子にあるのか?」



「あるさ。俺は花子の為なら何だってする。…それが俺の“トクベツ”だ。」




嫌味に笑ってさっさとその場を後にする。
今だって王や欲望まみれの輩に囲まれるのは虫唾が走るほどいやだ。
けれど花子に甘えて逃げてばかりで最終的に彼女を失う方がもっと嫌だ。




俺はもう花子を手放さないって、あの日…誓ったんだ。




「花子、ごめん。俺にあんたをこのまま持たせて?オネガイ。」



以前囁いた言葉と全く同じものを眠っている彼女へと捧げる。
大丈夫、俺にはあんたがいるんだ。
王になったって欲望に晒されたってその度に絶対それ以上の愛で俺の事包んでくれるだろう?




だったら王の役職なんてどうって事ないさ。




「なぁ花子…起きたら一緒に雨宿り、しような。」




ようやく彼女を取り戻せた俺の声は何処かご機嫌で
やっぱり彼が言うように以前に比べて甘いものだと思う。
でも…うん、




以前に比べて幸せそうなのだって、確かだ。





もう花子に包まれるばかりじゃない。
俺だって花子を愛で包んで守って慈しむ。
よくわかんないけど多分愛って…こういう形もあるって、思う。






「ねぇシュウ…最後に見せたお前の顔、どんなものだったか自分で分かっているかな?」




誰もいなくなった王の間にポツリ、穏やかな声が響き渡る。




「誰よりも弱くて甘くて強く…





そして誰よりも幸せそうな顔をしていたよ。」




その言葉は誰に聞かれる事無く部屋に溶けて消えたが
王の表情は何処か呆れたような、嬉しそうなものだったという事を
花子を抱いて屋敷に戻る足を速めていた俺は気付かないままだったのだ。



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