19:ありがとう、だいすき


全く持ってこの世に神様ってやつは存在しないと思う。



…何故なら私は現在絶賛出張中だからである。




あれから…シュウ君のキスで盛大に失神してしまってから意識を取り戻したのは数時間後で
眠っている彼の腕の中でもぞもぞと動きながらカレンダーを見て青ざめた。
…今この状況で彼をおいて出社って言うのも非常にまずいと思っていたのに今日から三日間支社へ出向かなければならなかったのだ。
しかもタイミングの悪い事にシュウ君は何度も揺すって声をかけても目覚めることはなかったのだ。




「…嫌われてなきゃいいけど。」



小さくそう呟いていつも通り仕事をこなしていく。
置いてきたのは小さな紙切れだけだ。
『会社の出張で三日間留守にします 花子』
それだけ書いて時間がなかったので足早に部屋を出てきてしまっている。



普通ならこんな女愛想つかしてもう二度と現れてくれないだろう。
最低な事をしてる自覚もあるし、ホントはこんな事したくなかったけれど
悲しきかな私は会社員だ。「シュウ君が不安定なので会社休みます」だなんて馬鹿な事が許される身分ではない。



少しばかりキーボードを打つ指が、震えた。






「あー、懐かしきかな地元。」



ようやく三日間の出張を終えてそのままコンビニでいつもの如くストレスのはけ口であるスイーツを購入して帰路につく。
普段ならこの帰り道もシュウ君と手を繋いで一緒に帰っていたのだけれど…



「多分、もう…無理だよね。」



以前だって彼を置いてきぼりにして相当悲しませた。
それに私は10年も彼を待たせている。
そんな中今回の出張だ…
シュウ君だっていい加減こんな私、見放すだろう。



少し淋しいし、悲しいけれど仕方ない。
幾ら社畜だからっていい訳なんて出来ない。私が選択したんだから。



これからまた独りきりの平凡な生活が戻ってくるのだと思うと少しばかり足取りが重くなる。
元通りになるだけなのに今まで味わってきた非凡が酷く愛おしい。
…けれどそんな考えも自宅の玄関の前までやってきていとも簡単に破壊されてしまう。



「…しゅ、シュウ君!?」



「……………」




三日ぶりの彼は事もあろうか私の家の玄関の前で蹲って眠ってしまっていた。
幾ら春先だからってこんな所で眠ってしまっては風邪をひいてしまう。
…ん?そもそも吸血鬼って風邪ひくのかな?いや、今はそんなことどうでもいい。



「シュウ君、シュウ君!起きて!!寒いでしょ!?」



「ん……んぅ、ん?………花子?」




全力で彼の体を揺すればようやくゆっくり瞳を開けてくれたシュウ君に少しばかりほっとする。
けれどシュウ君は未だに半分夢の中なのか起き上がる事もせず、そのままぼーっと私の顔を見つめる。



「シュウ君?」



「ん…花子、」



「ぅおわっ!?」



ゆるゆると伸びてきた両腕がそのまま私の身体に絡みついて勢いよく彼の方へと引き寄せられてしまう。
体勢を崩した私はすっぽりと彼の腕の中へと納まってしまい、何とか抜け出そうとするけれど強すぎるその力はそれさえも許してはくれない。



「花子、花子…花子だ…花子、」



「わわわわわわわかった…わかったから、とりあえず部屋に入ろう?ね?」



嬉しそうな、泣きそうな声で何度も何度も私の名前を呼びながら
今までのものを補うようにすりすりと頬を寄せてくるシュウ君は非常に可愛いけれど
取りあえずここ外だしなんだかんだ言っても寒いしと必死に彼を説得すればようやく虚ろな目のまま立ち上がって部屋に入ってくれた。



「…………」


「…………」



き、気まずい。
非常に気まずいですセンセイ!!



先程から数十分このままだ。
部屋に入って私が座ればそのままシュウ君がぎゅっと後ろから私を抱き締めて
そのまま互いに無言を決め込んでしまっている。



「あ、あのね、シュウく、」


「ごめん」


「え?」



私が何か話を切り出そうと思い彼の名を呼べば突然謝罪の言葉で遮られ、驚きで目を見開いてしまう。
すると彼は苦しそうに顔を歪めてしまう。



「花子が、俺の事…好きじゃなくてもいい。…けど、嫌いには、ならないで」



…なんだソレ。
この三日間で出されたであろう彼の結論に思わず今度は私が盛大に顔を歪ませてしまった。
そしてそのまま彼の腕の中で大暴れして向かい合いの体勢をとって思いっきりシュウ君の唇を奪う。
突然の出来事にシュウ君は驚いて固まってしまっている。



「好きだ!馬鹿!!」


「…花子?」



盛大に叫んだ私の台詞にビクリとシュウ君は体を揺らす。
そんな彼にもう一度キスをすれば同じようにびくつく彼に渾身のデコピンを食らわせる。



「私は好きでもない男を部屋に入れないし、抱き締めさせないし、キスだってしない!!」



「………………花子、」




何だかんだで彼を名前で呼び始めた時に言いそびれた二文字の言葉。
きっと、ううん、絶対この言葉がなかったからシュウ君はずっと不安で揺れていたんだ。
だからちょっとしたことで嫉妬したり、他の吸血鬼達を酷く私から遠ざけようとした。



そんな事しなくたって私はもうずっとシュウ君の虜だっていうのに




じわり。
彼の綺麗な青い瞳が涙で濡れる。
けれどそれを見られまいとぎゅっと私の顔を胸板へと押し付ける。



「花子…もういっかい。もういっかい…言って?」



「好き…好きだよシュウ君。…だいすき」



「ぅ…ふ、…っ、…っ、」




途切れ途切れに聞こえる嗚咽。
シュウ君には悪いけれど必死に隠そうとしたところで私の耳にしっかり届いてる。



ごめんね、今まで言えなくて。
けれどもう不安がらないで。
私だってちゃんとシュウ君がすきだよ…?



彼を安心させるようにぎゅっと自分からも背中に手を回して抱き締めてやれば再び揺れるシュウ君。
ああもう、やっぱり私からって言うのが弱いみたい。




「ふふ…シュウ君かわいい。」



「…可愛いって言うのは、花子だけ。」



ああ、この会話、懐かしいなぁ。
…なんて思っていれば少しだけ目を赤くしたシュウ君がじっと私の顔を覗き込む。
その瞳に映る私はどうしてかとても優しい笑顔をしている。



「ねぇ花子…キス、して?」



「ん、シュウ君…だいすきよ?」




彼の言われるがままにもう一度唇にキスをすればポロリと一筋、彼の瞳から涙が零れた。
俺はとても綺麗な光景で、思わず見惚れてしまう。




「花子…ありがとう」




きっとその言葉は本来私が言わなければいけない言葉なのに
シュウ君に先に言われてしまって私は困ったように微笑んだ。




ねぇシュウ君、こんな私を好きになってくれて本当にありがとう。



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