29:たった五文字
「それにしてもレイジ君はどうして一か月も会社を休ませたのかな?」
「…初夜と新婚旅行と云々って言ってたけど。」
「すっごい!レイジ君もはや本当にシュウ君のおかあさんなんじゃないの!?」
現在逆巻家お屋敷のベッドの上である。
今までの…と言っても一日か経ってないけれどその分を補うようにぎゅうぎゅうと私に抱き付いて離れないシュウ君に
素朴な疑問を投げかければ帰って来た答えに大きく叫んでしまう。
れ、レイジ君…レイジ君ホント思考回路が半端じゃない!
けれどそんな事を考えるのもここまでのようだ。
すっごく不満気なシュウ君がじとりと抱き付いたまま私を見上げてしまった。
ああ、うん。分かったよ。
「俺が傍に居るのにレイジの話しないで」でしょ?
小さく笑って彼の頭を撫でてあげれば気持ちよさそうに目を細めてくれる。
あ、うん。ちゃんと今日頑張ってよかったかも…
こうしてシュウ君が傍に居て私にだけこうして甘えてくれるの…すごく嬉しい。
しかし、シュウ君の顔はみるみる暗いものへと曇っていってしまう。
そして少し震えた手で、懇願するみたいに私の指を絡め取る。
「シュウ君?」
「花子、ごめん」
嗚呼、またそんな事言うの?
さっき言ったじゃない。私の愛だってあなたほどではないかもしれないけれど大きく育ってるって。
けれどどうやら彼が言いたいことはそうじゃなかったようで…
ゆるゆると起き上がってぎゅっと私を包み込む様に抱き締めた。
「シュウ、く…」
「俺が…、」
声も、体も、腕も震えてしまっている。
どうしたと言うのだろうか…
こんなにも不安定なシュウ君は初めてかもしれない。
落ち着くように何度も何度も背中を撫でてあげて彼の言葉を静かに待った。
紡がれたのは今までひた隠しにしてきたであろう彼の本音
「俺があの時絶望してなきゃよかった…?俺があの時笑わなければよかった…?俺があの時花子を好きにならなければよかった…?」
「シュウ君…?」
「俺があのまま花子の言葉通り待たなければ…花子は普通の生活を送れた?」
覗き込んだ彼の顔は酷く歪んでいて同調したかのように私の顔も酷く悲しく歪んでしまった。
そんな事…そんな事ずっと思ってたの?
シュウ君、私が普通の人間としての生活を離そうとしなかったから…ずっとそんな事思ってたの?
「花子、花子…ごめん…すきになってごめん…こんな所まで連れて来て…ごめん…」
「シュウ君…シュウ君…」
懺悔のようなそんな言葉に私の涙腺は遂に崩壊してしまった。
ちがう、ちがうよシュウ君…此処に来たのは私の意志だよ。
静かに涙を流してしまっている彼に大丈夫だよって気持ちを込めてぎゅうぎゅう自らも抱き付くけれど彼の涙は止まらない。
「ごめん…花子…ごめん…お前から、平凡を取り上げて…ごめん」
彼の言葉通り大々的に私はシュウ君の花嫁に選ばれたから
もう以前のような生活には戻れないだろう…
彼はそれがずっとずっと悲しかったようで。
ひたすら嘆き、懺悔して、私に許しを請うかのように
抱き締めている腕に力を込めるシュウ君にかける言葉が見つからない。
「お前から大事なもの…全部取り上げたのに、俺は…俺、は…どうしてこんなに…」
不意に涙で濡れた唇が私に重なる。
少しだけ悲しい味がしたけれど、それ以上に何処かふわりと甘く感じてしまうのは何故だろう…
ゆっくり離されれば涙で濡れきった海のようなその瞳が私をまっすぐ映す。
「花子から全て取り上げてしまったのに…俺はお前が此処にいることが酷く嬉しい。」
「………っ!」
そんな言葉を聞いてしまえばもう私の身体は考えるより先に勝手に動いてしまう。
自分からシュウ君にキスをして彼の頭を抱きかかえるように包んで子供をあやすように何度も何度も撫でてあげる。
…辛かったんだね。
そんな矛盾しきった感情に酷く戸惑ってたんだね。
ああ、なんていとおしい
「花子、花子…花子…っ」
謝罪の言葉の代わりに必死に私の名前を呼ぶ貴方がすき。
縋るように私の背中に腕を回して折れる位に抱き付いてくる貴方が好き。
「シュウ君…」
自分でも驚く位柔らかい声で彼を名前を呼べば
少しばかり目を見開いて私を見上げる彼の瞼にそっと唇を落とした。
もう大丈夫…もうそんな辛い事、考えなくていい。
もう私も子供じゃない。
今の貴方の涙を止める言葉は既に胸にひとつだけ存在する。
人形劇も
マジックも
歌も
そんなの必要ない。
ねぇ私が貴方を笑顔にできる魔法の言葉をあげる
「あいしてる」
たった五文字。
けれど
重要な五文字。
言葉に紡げば酷く優しい気持ちになってそのままの感情を表情でつくる。
シュウ君はそんな私を見てまた顔を歪めて今度は大きな声で泣き喚いてしまった。
「あれ…泣いちゃった…シュウ君、平気?」
「平気じゃない…わらえ、ない…うれし、…花子、」
途切れ途切れなそんな言葉に私は困ってしまって小さく笑う。
ねぇ大丈夫…私、あの生活を貴方に取り上げられて嫌って思ってない。
それどころか、今、酷く幸せなの…
未だに泣きじゃくっている最愛にひとつ、唇を落として
私は彼と一緒に幸せの涙を零した。
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