1:期限付きの同居


ヴァンパイアが人間ごときと共存なんてありえない。
奴らが生きているのは我々の餌として…ただそれだけだ。



正直彼らが私達と同じ外見を模っているだけでも虫唾が走る。




「嗚呼、今日も空は愛おしい黒ですね」




漆黒の闇に包まれ、唯一の光…月に照らされた静かで愛おしい空を見上げ私は満足げに微笑んだ。
このような素晴らしい時間に瞳を閉じて休む人間はやはり愚かでしかないと、思う。
嗚呼、ほら…今宵も世界は酷く冷たくて静かで……それが愛おしい。






そんなある日…





「ねぇレイジ。人間を育ててみる気はないか?」




「は?」




父上の使い魔に呼び出され、言われるがままにエデンに足を向ければ突然告げられた真意のつかめない言葉に思わず間抜けな声を出してしまったが、
目の前の呼び出した張本人である父上はそんな私に構わずゴキゲンに微笑んだままだ。




「人間を…ですか。ご冗談を。」



「いいや、冗談ではないよ。」




父上にしては趣味の悪い冗談だと気を持ち直して笑ってみせれば
彼の金色の瞳はスッと細められて声色もずしりと落ちたのでその言葉が本気だと悟る。
私に人間を育てろと……?父上は一体何を考えておられるのだろう…
私が誰よりもその下等な人間を毛嫌いされているのはご存知なはずなのに。




父上の言葉に困惑をしていると彼の後ろからひょっこりと小さな顔がこちらを見つめているのに気付いた。
パチリと視線が合えばそれは慌てて彼の後ろへと隠れてしまう。
ちらりと見えたその姿は小汚くて、けれどどこかあどけないようにその少女の姿にどこか苛立ちを覚えてしまう。




「…丁度奴隷市場で目を引いてしまってね。買ったのは良いけれど、私は執務に忙しい。」



「だ、だからと言って何故私に…っ!」



「レイジ」




言葉の続きを待てばなんとも気紛れすぎるソレに相手を弁えず声を荒げてしまう。
すると彼は少しばかり強く私の名を呼びこの反論を中途半端なまま遮断してしまった。
そして後ろから取り出した先程のちいさな「人間」




「至って普通の人間だから覚醒することもあり得ない…生きたとしても数十年。名前はまだない。逃げない餌だと思って育ててみなさい。」



「しかし…っ」



「…………」




父上に首の根を掴まれて、まるで捨て猫のような格好のソレに
こんなものをもらい受けてもと…もう一度反論しようとしたが、ソレがじっと私を見つめるのでどうしてだか「いらない」の四文字が喉の奥で詰まって出てこなくなってしまった。




「…イイコだ。嗚呼、まず育てるのだからこの子に名前を付けてやるといい。今この瞬間からこの子の所有者はお前だ。」



「…………、」




言葉に詰まった私を見て申し出を受け入れたのだと判断されたのか
またニコリと笑顔に戻った彼はそのままどこかへと消えてしまわれた。
………残されたのは私と名前のまだない今日から私のものだと言う人間。




「…………はぁ、」



「れいじ?」



「………嗚呼、先程の父上の言葉を聞いていたのですね。まぁ言葉の理解は出来るようで安心致しましたよ。」




もうこうなってしまってはどうしようもないと長い溜息をつけばその小さな人間から紡がれた私の名にもう一度ため息をついた。
正直、こんな小さくて汚らしい人間…今すぐにこの場で殺してしまっても構わないのだが何せ父上の言いつけである
彼女を投げ出してしまえば恐らく恐ろしい罰が待っているに違いない。




「……とりあえず、貴女の名前を考えるとしましょう。」



「…………なまえ、」



「ええ、そうです。これから一緒に生活するのですからなくては困るでしょう?」




じっと私を見上げる彼女が「名前」と言う単語に興味を示したのでこちらもそれに合わせてやる。
仕方ない…どうせ覚醒できない只の人間だ。
だったら彼の押し付けに付き合って数十年、付き合ってやっても構わないだろう…
どうせ私は永遠を生きるのだから目の前の彼女の一生なんて一瞬だ。





「……………花子、というのはいかがです?」



「花子?」



「ええ、それが今日から貴女の名です。これからそう呼ばれたらきちんと返事をなさい。」



「!うんっ!花子……花子……えへへ、花子…」




ふと頭に思い浮かんだ名詞を口にすれば彼女はきょとんとしたようにまた復唱したので
それがこの瞬間から自分の区別名だと教え込んでやればどうしてだか彼女はその瞳を大きく見開いて酷く嬉しそうに微笑んだ。
全く……たかだか名をくれてやっただけだと言うのにここまでの喜びようだなんて…気持ちが悪い。




「では花子、まずはその汚い身なりと何とか致しましょうか?」



「きた、み……?」



「はぁ……」




私の言葉が理解できなかったのか、くたりと首を傾げてしまったソレに今日三度目のため息を零す。
流れで育ててしまう事になってしまったがこの私が育てるのだから幾ら低能な人間だと言ってもここまで教養がないのもいただけない。




「先が思いやられますよ」




こうして父上の気まぐれにより私と花子の期限付きの同居は始まってしまったのだ。



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