5:見つめる
それはある日突然やってきた。
「おいレイジ。お前親父の命令とはいえ、テキトーに済ますなよ…こっちが迷惑。」
「は?」
ある日いつものように起床して
今宵は殆どの教養を教え込んだ花子に最後の仕上げとして復習ををさせよう等頭の中で考えていれば
突然部屋の扉が開かれ、入ってきたのはこの世で一番見たくない男だった。
「何の用ですか穀潰し…私は貴方と言葉を交わす事さえ煩わしいのですが」
「……お前、俺の話聞いてたのかよ…ったく」
ギロリと彼を睨みながら話す事などないと突き放すが
彼は一向ひ引こうとはせず、ただただ長い溜息を吐き、コチラを相変わらず生気のない気怠げな瞳で射貫くばかり。
そして私の意志を無視しし、紡がれた言葉に私はピクリと表情を動かしてしまう。
「お前のペット……今俺のベッドの中にいる。」
「…………どういうことですか。」
「実際に自分で来てみて確認してみれば?……くくっ」
思いがけない花子の所在に言葉に棘が生まれてしまうのが分かる。
彼もそれを読み取ったのか、扉に手を掛けコチラを厭味ったらしく見つめ嘲笑う姿にザワリと殺意が沸く。
お前はいつもそうだ……いつもそうやって私を上から見下ろしてそうやって馬鹿にしたように笑う。
だから私はお前の全てを奪ってきてやったと言うのにまだ足りないのか。
まだそんな目で私を見て嗤うのか。
「何してんの?このまま放っておくならいい加減俺も食べるけど…?アレ。」
「……っ、」
彼の言葉の中にいくつか疑問が残るものがあったが今はそれらは後回しだ。
まず彼のベッドで眠っていると言う花子を取り返しに行かねば…
それでも父上は私に期待を寄せなければ見てもくれてない。
ここで更に彼の期待を裏切り花子を死なせてしまえば私は………
自分らしくなく少し速足で穀潰しの部屋に向かい、勢いよく扉を開けると
当たり前だが彼の香りが広がって顔を不快に歪めてしまう。
ああもう…本当に両方の血の繋がった兄弟と認めたくない程に憎らしい男だ。
「………花子、」
そんな不快な香りの中ひとつ、ちがうそれを見つけ、静かに辿りベッドへと向かう。
そこには酷く苦しそうな表情で眠っている花子がいた。
「………?どうして、食事も睡眠も十分に与えている筈、」
その表情が余りにも見るに堪えないものだったので
もしや彼女の飼育方法が間違っていたのではとすぐに今までの事を思い返す。
しかし見当たらない……花子がここまで苦しそうな表情をする理由が見当たらない。
「努力する者を見ない愚者」
「………っ、一体何ですか。」
彼女の余りにもの姿に花子がこんな所にいる理由などを詮索する余裕もなくしていた私に
背後からの言葉が突き刺さる。
嗚呼、その言葉……なんだか私と父上を指しているみたいで非常に不快で仕方がない。
言葉とこの部屋の主を振り返り睨めど、彼は現実と夢の狭間を行き来しているような
虚ろな瞳のまま私の態度など気にも留めずに言葉を続け始める。
………今でもお前には私は全く映っていない、下の存在だとでも言うのか。
「お前のペット。頻繁に倒れてるんだけど……気付かなかった訳?」
「…………は?」
「毎朝毎朝俺らが寝静まった後こっそりリビングでお前がその日教えただろう事柄を復習、復習、復習……微かな音だが俺にはずっと聞こえててここ最近寝不足だ。」
ガシガシと頭を掻いて不機嫌に呟かれたその言葉に私はもう言葉なんて出ない。
まさか……花子が異様に物覚えがよかったのは、
いつだって一度教えたことを次の日に全て覚えてキチンとマスターしていたのは……
じっと穀潰しのベッドで苦しそうに眠る花子の顔を見る。
知らなかった…
私が眠った後に眠らずにずっと教えを自分の中に吸収できるまでずっと復習を繰り返していたなんて。
「ずっと寝ずに学習しまくって限界が来たらその場で倒れての繰り返し……そりゃぁ体も壊すだろ。コイツ、人間だし。」
「……っ」
「それに、」
呆れたような穀潰しの声にギリリと奥歯を噛み締める。
気付かなかった……穀潰しは気付いていたのに私は…
花子の飼い主である私は彼女を恥ずかしくない生き物にするのに必死で彼女の影の努力なんて見ようともしなかった。
彼女の飼い主は私なのに
私より彼女の同行を知っていた穀潰しに腹が立って仕方がない。
いや………と、言うよりかは。
自身の中の考えをまとめるより先にまた穀潰しが口を開く。
何だか今日の彼はいつもより口が回る気がする。
「神に見放されたらと思う恐怖心しかないんだ……ストレスだって馬鹿にならない位大きくて潰れたんだろうな。」
「神…………?」
彼の言葉の中の単語の真意が掴めずに復唱すると
それと同時にきゅっと私の手を誰かが弱弱しく握った。
まぁ、ここには私と穀潰しと花子しかいないのだからその手の正体は紛れもなく花子なのだが…
ただ彼女は未だに眠っているのでそれは無意識下のものなのだろう…
「レイジ……」
「花子、」
「わた、し……がんばる………だから、捨てないで……」
ぎゅうと握られた手と悲痛な懇願。
今度はそれに私の顔が酷く歪む事となる。
嗚呼、もしかして……もしかして私は、
「自分を見てくれなんて訴えてる割には……レイジ。お前がしている事は親父と同じだな。」
「………るさい、」
胸の内で浮かんだ言葉を一番言われなくない彼にズバリ言い当てられてしまい
頭に一気に血が上ってしまう。
ふざけるな。私は……私はそんな、そんな…っ!
「なんだよ…俺に核心を言い当てられて頭に血でも登っちゃった訳?……はっ、相変わらずガキだなお前は。…お前みたいのが神だなんてソレに同情しちまうよ。」
「黙れっ!!!!」
彼の嘲笑うような言葉に限界を迎え、大きな声を出して怒鳴り散らす。
黙れ、黙れだまれダマレ!!!
生まれた時から全て持っているお前なんかに何が分かる
全て持ち合わせているお前に、お前に私の気持なんて…
一番見てもらいたい人に見てもらえない苦痛がお前に…!!!!
「レイジ?」
「……っ、花子」
頭の中でぐちゃぐちゃになった感情を殺意の名のもとに行動に移そうとしたとき
酷く弱った声が響いて意識を正常へと戻す。
そして視界に広がったのは酷く怯えたような……不安げな花子の表情。
嗚呼……嗚呼、穀潰しの言う通りなのかもしれない。
私は見てもらえない辛さを誰よりも知っているのに
それを私より弱い彼女に強いてきていたのか……
「花子…今日の教育は休みです。……私の部屋に戻りましょう。」
「え………どうして、わ、私…私もっとできるよ!?大丈夫!!!もっといい子になれるよ!?」
「花子、」
私の言葉を全く予想していなかったのか
もしくはこの言葉が遠回しに「お前はもういらない」と言う意味にとってしまったのか
未だに心身ともに疲労困憊の彼女はベッドから体を起こすことが出来ないまま必死にそれでもまだできると訴えるがそんなもの、私は最初から聞く気などない。
一刻も早く私と違って全てを持っている穀潰しの部屋から出たくて
花子の体を抱き上げスタスタと扉へと向かう。
扉の前で彼とすれ違ったがどうしてか、その空気が少しだけ柔らかく感じたのは気のせいか。
「あれ?これからちゃんとソレ、見る気なんだ………勝手に死ぬの、待たない訳?」
「ええ、花子は父上から預かったペットですし……それに、私は父上と違って“見ますよ”。」
「あっそ。ふぁ……ま、どうでもいけど。」
部屋の外に出る際にかけられた非常に不快な言葉。
相変わらずどこまでも私を見下した厭味ったらしい声色は酷く神経を逆なでさせられる。
けれど紡ぐ言葉は全て核心しか突かない……そういう所も本当に忌々しい。
只今は……今はそれよりも
「レイジ、あの……ええと、」
「ええそうですね……睡眠もろくに取らずひたすら努力ばかりして私に何も教えなかった貴女には休息と言う罰を与えましょうね。花子……これからはきちんと見ます。」
腕の中で酷く不安がっている彼女を宥めるのが先決だろう。
望まなかったとはいえ、花子の神はどうやら私のようなので…
本当の神に見てもらえていない私がソレだとはまさに皮肉そのものだが…
彼女にとって私がそうならば…私は、
必死に縋ろうと期待に応えようと
背伸びをして傷付いた足を見ないふりなんて絶対に出来やしない。
それが私の性分と言うものだ。
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