犬と狼


「人間って本当に低能だよね」




「はいはい、低能低能」




カタカタとパソコンのキーボードを叩き、必死に持ち帰った仕事をこなしていれば
隣に座った最愛が酷くご機嫌斜めで私を種族レベルで貶して来たから反論することなくあっさり肯定しながら指の動きは止めないまま。
まぁ、彼と出会って間もない時にこんな事を言われたら迷わずその鳩尾に渾身の一撃を食らわせてやっているが
こんなの日常茶飯事だし、彼にとって「人間は低能」という単語はもはや呼吸と同じくらい自然ですっかり身体に身についてしまっているものだから。





「ねぇちょっと花子聞いてる訳!?俺はアンタの事を言ってんの!!」




「おうおう、聞いてるよシン君我々人間は屑でゴミで生きている価値のないナマモノダヨネーごめんね酸素を二酸化炭素にしちゃって」




「そ、そこまでは言ってないじゃん…」




私の生返事が気に食わなかったのか最愛の彼…シン君は
ずいっと私の視線の目の前に顔を差し入れて抗議してきちゃうけれど生憎今の私が構わなきゃいけないのは君ではなく
その顔の向こうにいる液晶のお仕事ちゃんなので迫る綺麗な顔をぐいいいと押しのけて
軽い自虐を呟きながら再度キーボードと液晶に夢中になれば「花子のばーか」って可愛い言葉が聞こえてしまう。






ううん、これで彼曰く高貴で偉大で素晴らしい始祖様だと言うのだから
ちょっと私は耳を疑ってしまうね。





「ほんと人間っていうか花子は低能」





「はいはい」





「この俺がわざわざ遊びに来てやったのに仕事仕事だし」





「ふんふん」





「そもそも最愛より仕事選ぶとかありえな……って聞いてるの!?」





「うん、聞いてるよ後は見直しをしてファイルを保存するんでしょ?大丈夫フリーズなんて命に代えてもさせない仕事は私が命に代えても保存する」




「全然聞いてない!!馬鹿花子!!!」





カタカタと一定の音を奏でる私に対して
徐々に不満の言葉が小さくなってしょんぼりと俯いちゃうシン君を視界の端に捉えながらも
適当に相槌を打っていれば再び大きな声が響き渡るけれど今非常に大事な場面だ偉大なる始祖様に構ってる場合じゃない
この保存ボタンを押せずに画面がフリーズしてしまうと今までの作業が全て水泡に帰すと言う奴だ
それだけは絶対に在ってはいけないこれ以上私の在宅サービス残業を伸ばしてたまるか





「っと、よーし……いいこ、今宵も最後まで頑張ったね今度メモリ増築してあげる愛してるよ」




「はぁ!?花子が愛してるのは俺でしょ、なんかよくわかんないけどそんな機械の何かを増築するなら俺を増築しなよ!!俺は始祖だよ!?」





「…………………う、ううん」




ぽちっとセーブボタンをクリックすれば素直にデータを保存してくれたパソコンをぎゅうと優しく抱き締めて
そんな事を呟くと彼はそんな私をベリっとパソコンちゃんから引きはがしいきり立っちゃうけれど
シン君、シン君、メモリ増築って生き物で言うともっと性能よくしてあげるって事だからそれを言っちゃうと今のシン君が低能って事になっちゃうんだけどいいのかな?
けれど今この事を教えてしまうと本当に怒ってしまってこの部屋を使い魔達を呼んで滅茶苦茶に荒らしそうなのであえて黙っててあげることにした
空気読める低能人間で良かったよ本当に。





静かに頭で考えを巡らせながらチラリと先程まで最愛より大切だった仕事仲間のパソコンを見つめる。
すると数秒動かさなかったのでスリープモードに入っているのか画面は真っ暗で、そこには私とむーってほっぺを少しばかり膨らませて拗ねてしまってるシン君の姿が映し出されていた。
嗚呼、もう仕方がない…さっき仕事は終えたんだし彼氏より仕事を優先する愚かしい人間も終了だ。





「シン君、シン君」




「…………なに?無能低能人間花子」




「わ、辛辣」





むっすり不機嫌彼氏の腕の中でじっと見上げれば帰ってきたのは流石に傷ついちゃうような言葉で
思わず苦笑を漏らしてしまうけれど、仕方がない…彼をここまで不機嫌にさせてしまったのは紛れもない私だ。
社畜人間とは言え、せっかく遊びに来てくれた彼氏を無視して仕事に没頭するのはいただけなかったか。




小さく笑ったままぐっと背伸びして彼の頬にそっと唇を落とす。
瞬間、突然の事で驚いたのかピクリと身体を揺らしてしまう彼はなんとも愛らしいと思ってしまうのも内緒話。
ゆっくり唇を離して微笑みかけて、彼の機嫌が直るであろう魔法の言葉をひとつ






「そんな無能人間はこれから明日の朝までシン君を構い倒そうと思うんだけど、やっぱり低能無能だからいらない?」





「!い、要るにきまってるでしょ!?俺は始祖だから器が広いんだ、さっきまであの機械に夢中だったのは許してあげる感謝しなよ。」





「ふふっ、ありがと」




ひとつ、そう紡げばさっきまで不機嫌全開だった彼の表情は満更でもないようなものに変わり
未だにちょっとだけ素直じゃないその態度だけれど隠しきれてない嬉しい空気に充てられて私自身も思わず表情を緩める
嗚呼、今シン君は人の姿なのに狼の尻尾が見える気がする…ぶんぶんと嬉しそうに振っている幻が見えるよ
まるで狼というよりこれじゃわんちゃんだ、かわいい…





私はこうして何でも自身の都合を優先してしまいがちだけれど
それをこういう一言ですべて許してくれるシン君がだいすきだ。





「シン君、シン君、今夜は何したい?」




「ん?決まってるでしょ、恋人同士がこんな夜部屋にふたりきりでスる事なんて一つ……だよね?」




「んん、お手柔らかにお願いします。」





彼に問うたその言葉の返事の前にぐらりと揺れた自身の視界と身体
コツンと床にちょっと後頭部を打ってしまって少し痛いけれど
それより視界いっぱいに広がるシン君の表情が煽情的で思わずドキリと胸が高鳴ってしまう












さっきまで犬の尻尾だと思っていたその幻が、オオカミのそれに見える






だって今私を押し倒した彼の瞳は
飼い犬というよりかはギラギラした獣……狼そのものだから





嗚呼、私は彼のこう言う可愛らしい一面と、獣のような一面
両面が愛しくて、溜まらなくて
それでいて、酷く興奮を覚えてしまう





漸く恋人同士の時間が過ごせると、喜んでいた可愛らしい彼にほわりと胸を温める時間もなく
ギラついたその瞳に射抜かれ、明日は少し足腰立たなくなる事を覚悟してそのまま彼の首にそっと手を回し全てを委ねた




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