深海以上に、深く
静かで音も何もない世界で
只々無心に水槽を眺める。
嗚呼、こんな狭い空間に閉じ込められて本当に可哀想…
そんな考えを抱きながらじっと見つめていれば
後ろから困ったような笑い声が響く。
「水族館はお気に召さなかったかな?…花子、」
「いいえ、そんな事はないのだけれど…」
彼の、カールハインツの言葉をすぐに否定して
再び水槽に目を向ける。
すると彼は静かに私の隣を陣取ってしまう。
「何だかこの子たちが可哀想で…」
「…それはどうして?」
「自由がないわ」
確かにこの水槽は自然とは違って餌の心配をする事も無ければ
天敵に襲われると言う不安もなく悠々自適に過ごすことが出来るだろう…
けれど彼等には完全に存在しないのだ…自由というモノが。
ひたり、水槽に触れていた手の上に彼の大きくて冷たい手が重なる。
少しばかり驚いて彼を見つめれば只々じっとこちを見つめていた。
「カールハインツ?」
「何かを得るのならば何かを手放さなければならない」
彼の言葉は世界の摂理そのもの。
全てを手に入れるなんてそんなおこがましい事は出来やしない。
何かを成し遂げるためには犠牲がつきもの。
何かを求める為には何かを手放さなければならない。
もしすべてを手に入れようとすれば許容範囲を超えて必然的に自身の破滅を招くだけである。
「けれど彼等は望んでここへ来たわけではないもの」
彼等は只私達人間の観賞用の為に強制的に捉えられて自由を奪われてしまっただけである。
…なんだかその立場はヴァンパイア達の餌である私達人間に似ている気がする。
カールハインツはそんな私の考えを読み取ったのか
徐に私の手を取り音をたててそこへと口付けてニッコリと微笑んだ。
「ならば…花子には選択権をあげよう」
「選択権?」
私の問いに彼の微笑みは更に深みを増して
今度はそのまま唇までもを貪られてしまう。
その行為に激しい快感を覚えてしまえばもはや彼の腕に全てを任せるしか道はない。
「カール、」
「花子、私に堕ちるか、元の脈絡のない世界に戻るか…決めなさい」
彼に堕ちると言う事は、きっと水槽の向こうの彼等の様に
不安も心配もない世界へ旅立てる代わりに
自由のない、即ちカールハインツの愛でがんじがらめにされてしまうと言う事。
けれど彼は酷く意地悪で
彼と関わってしまってから酷く時間が経ってしまったこんな時に選択しろだなんて馬鹿げた言葉を投げかける。
退路を全て遮った後での選択肢だなんて意味がないのに…
「堕ちて、堕ちて、堕ちて…深海よりも深く堕ちて…水面が見えない位深くまで…なら、いいかな?」
「…光はもう必要ないのかな?」
だって仕方がない。
とうの昔に貴方に溺れてしまっている私に元通りの世界に戻れだなんて酷く残酷な選択できやしない。
だったらせめて元の世界が…光が見えなくなる位貴方に堕ちてしまって
貴方以外何も見えなくなってしまえばいい。
だったらきっと世界も恋しいとは思わない。
「ようこそ花子、我が愛の巣窟へ」
恥ずかしいそんな台詞でさえ
もはや私の思考を蕩けさせる材料にしかなり得なくて
私は遂に深海の様に黒く冷たい彼の愛に溺れる覚悟を決めたのだ。
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