妥協案
花子さんは俺に目を潰してと言った。
これ以上嫌なものを見たくないからと。
花子さんは俺に耳を落としてと言った。
これ以上嫌な音を聞きたくないからと。
花子さんは俺に足の筋を切ってと言った。
これ以上前に進んで傷付きたくないからと。
「花子さん…」
彼女しかいない部屋に足を踏み入れて名前を呼んでも反応してくれない。
だってもう花子さんには耳がないから俺の声は届かない。
彼女の言う【嫌な音】の中に俺の声が入っていたかは分からないけれど
花子さんがこうしたいなら、俺は何も反対することはない。
「花子さん、た・だ・い・ま」
そっと動かない彼女の手を取って、白い掌にゆっくり文字を書いてあげる。
するとようやく俺の存在に気付いてくれたのか無表情だったその顔はふわりと笑顔に変わる。
「お帰り、アズサ君。」
「うん、」
俺が言うのもおかしな話だけれど花子さんはちょっと変わってる。
嫌なものを見て気分が悪くなったり、嫌な言葉を聞いてイライラしたり
そういうのが積み重なって自分の中に嫌な感情が溜まるのを酷く嫌ってこうなった。
もう何も見る事の出来ない目はずっと閉じたまま。
もう何かを聴きとる為の耳も存在しない。
全部全部俺が抉って切り落としてあげた。
別に花子さんの考えが間違っているとは思わない。
けれど、うん…その眼に俺の姿が…その耳に俺の声が…
もう二度と届く事はないんだって思うと少し、悲しい。
「アズサ君、アズサ君。あのね、お願いがあるんだけど…」
「ん?なぁに?花子さん…また、どこか…切ってほしいの?それとも抉る?」
彼女の掌に言葉を落とす。
すると只々微笑む花子さんは目と耳がなくったってとても素敵だ。
「口を…喉を切り裂いて欲しいなって。」
「え、」
「嫌な言葉を紡ぐと悪い気持ちが際限なく広がってしまうから…」
しょんぼりとした様子の彼女に俺は戸惑いを隠せない。
確かに彼女の目や耳、足を切る前は当たり前だけれど色んなものを見たり聞いたりしてきたわけで
きっとその記憶がまだあって彼女が時折酷い言葉を連ねる時はある。
確かに一度何か毒めいた言葉を紡いでしまったら最後、それは身体中に…心にその酷くて醜い感情が満ちてしまうけれど。
けど…うん、唇と喉かぁ…。
いつだって彼女の願いは叶えてきてあげてきたけれど
今回ばかりはうんうんと躊躇してしまう。
そして最終的な結論は俺の我儘を通すことだ。
「ん、んぅ…アズ…ん、」
「ん…は…やっぱりだめ…この唇と喉だけは…ごめんね?花子さん。」
何度も何度もそっと触れたり、深く入り込むようなキスで彼女の唇を塞ぎながら聞こえるはずのない言葉ばかりを紡ぐ。
嗚呼、ごめんね…今回願いをかなえられない俺はもしかしてもう不要になるのかなぁ。
けれどこれだけはどうしても譲れない。
「ここ…切り裂いたらもう花子さんとこうしてキス出来ない。」
「ん…ぁ、アズ…んぅ」
ちゅっちゅと可愛い音が響くけど何だか今日はキス、やめる気にならないなぁ。
そしてそのままそっとのど元を優しく撫でると花子さんの体はビクリと跳ね上がった。
「ここも…切り裂いたら、花子さんのイイ声も…俺の名前も聴けなくなっちゃう。」
俺の言葉は聞こえてないはずなのに、どうしてだかそう言い終わった後、花子さんの顔がぼふんと赤くなったので
嗚呼、もしかしたら心からの言葉は耳を通さなくても彼女に届くのかなぁ…なんて、
何だかロマンチックな事を考えてしまった。
ふわりと彼女の手を取って文字を一つずつゆっくり書いてあげる。
すると彼女の表情は次第に更に赤く嬉しそうな笑顔になってくれたので、俺も思わず顔が綻んでしまう。
「…ね?」
「うん!」
全て言葉を落とし終えたら体を前へと倒して俺に寄りかかってくれる花子さんをぎゅっと抱き留める。
優しくて弱い花子さんにはこの現実という世界は少し合わない。それだけ。
だから俺は彼女が望む全てを切り落として削いで抉って何もない穏やかな此処へと閉じ込めてあげた。
けれどうん、今回は…今回だけは俺のこの妥協案を受け入れてね?
小さな手に落とした俺の提案。
“キミが酷い言葉を紡ごうとする度に俺がこの唇で塞いであげる”
だからこの可愛い唇と声は取り上げなくていいでしょう?
そんな俺の我儘を聞いてくれた花子さんはやっぱり優しいので
うん…この二つ以外は取り払って良かったと…思うよ。
君がこの世界に耐えきれずに死んでしまうなら
多少何処か欠損してたとしても生きていてくれる方がよっぽどしあわせ。
「花子さん…だいすき。」
俺の小さな愛の告白も、きっと届かないはずなのに
キミはにっこりと微笑んでくれるから、
俺は色々欠けてしまったこのままの花子さんさえも愛してしまうんだ。
戻る