甘い罠


「花子…貴様は今、嬉しいか?」



「?え、ええ…嬉しいと、思います。」



「そうか…」



鏡越し、私の髪を丁寧に編んでくれているカルラさんが真剣なお顔で問うてこられたので
素直に心の内を明かせば、彼の表情はどこか穏やかなものへと変わる。
…そもそもこんな状況で嬉しくない女などいるのだろうか。



今宵、ヴァンパイアと始祖の和解を祝して夜会が行われるのだが
どうしてだか無関係の人間である私をこともあろうかパートナーに指名してくださったのは
今回の主役の一人、始祖王のカルラさんだった。


しかもこうしてわざわざ彼自らドレスも何もかも選んでくださったらしく
私の体は深紅の美しいドレスに彩られ、普段あまり手入れをしていない髪だって彼の手によって美しく飾られていく。



「わ…すごい…綺麗、」



「自身の姿を見て美しいか……貴様はナルシシズムの傾向があるのか?」



ようやく全てを整えられて改めて自身の姿を鏡で見つめ、本能的に出てきた言葉に対して
カルラさんが皮肉めいて笑うけれど、その瞳はどこか優しげで…そういう彼の態度も実は少しうれしかったりするのだ。




「いえ、自己愛には目覚めていませんが…カルラさんが私を綺麗してくださったので率直な感想を述べたまでです。」



「…………そうか。」




クスクスと静かに笑って彼の言葉をやんわり訂正すれば
少し桜色に染まった頬を見て私の笑みは更に深くなる。
どうして彼はこうも私が嬉しいと思う行動や態度ばかり取ってくださるのだろうか。




「ありがとうございますカルラさん。私、今とても嬉しいです。」




「そうか…ならば私の計画も順調という事だな。」



「……え?」




そっと壊れ物を扱うかのように手を取られて立ち上がらされ
こういう扱いも嬉しくて素直な気持ちを口にする。
どうしてか、カルラさんはよく私に「花子、嬉しいか?」と問うてくるので
こうして嬉しく思うといつの日からかキチンと口にするようになってしまっていたのだ。



するとふいに紡がれた彼の
よくわからない言葉に私の首はくたりと角度を変えた。




「カルラさんどういう…」



「さぁ、もうすぐ夜会が始まる。…行こうか。」




私の問いを遮り、すっとあくまでも紳士的にエスコートしてくださる彼にまた嬉しいが募っていく。
だってこんなに優しく接してくださるなんて…
しかも偉大な始祖王が単なる一般人の私にである。
嬉しくて嬉しくて…嬉しくて。




瞬間、トクンと
いつもと違った胸の高鳴りがしたようで静かに目を見開いた。




「カルラさん…私、今…どきっとしました。どうしてでしょう…」



「………」



繋がれていない方の手で自身の胸に触れて頭に沢山の疑問符を浮かべる。
彼の言葉で態度で時折感じる普段とは違うこの高鳴りは何なのだろう…




ひたすらに首を傾げていれば
それを見つめていたカルラさんは笑う。
とても嬉しそうに、笑う。




「カルラさん?」



「花子はこのような仮説を知っているか?」



ゆったりと手を引かれながらも未だに嬉しそうなカルラさんの顔を覗き込めば
彼は何かの企みが成功したかのような笑みを浮かべ、得意げにある一つの過程を口にした。




「人間は嬉しい事をされ続けるとその相手に好意を抱いてしまうという愚かな生き物らしい。」



「…………それって、」



「花子…今、貴様は嬉しいか?」




紡がれたひとつの過程といつもの台詞。
ぐるぐると様々な考えがあまたを巡るがうまく整理がつかない。
どれだけ頑張って考え、纏め、推測しても
紡がれたそれらの言葉から割り出されてしまうのは全て自惚れた答えばかりである。



「………顔が赤いな。」



「あ……ちが、ちがい…ます。」




とくん、とくん
ドクドクドク。




心臓の高鳴りが激しい。
うるさい。
痛い。



だって日々、私に何かをしてくれた後確認するように「今、嬉しいか?」と問うてくる彼の口から紡がれたその仮説。
只の人間の私に沢山下さった「嬉しい」はもしかしなくても…




「う、う…」



「花子…」




夜会へと繋がる大きな扉の前でひとつ落とされた唇。
ぶわりと私の胸の内で「嬉しい」が溢れかえり、零れ落ちる。
ああ、どうしよう…このままだと…このままだと確実に…




いや、既に少し前から違う胸の高鳴りがあったのだから既に手遅れだったのかもしれないが…





そっと解放された先に映るのは満面の笑みを浮かべる始祖王。
彼の瞳に映る私は酷く嬉しそうな顔をしていた。




嗚呼、私はいつからこの王の罠に絡めとられていたのだろう。




「花子…もう、貴様は私の事を好きになってくれただろうか。」





ホラ、やっぱり…




彼の台詞が今までの全ての行動を裏付けてしまい
完全に降参だと、自らも背伸びをして彼の唇を塞いでしまう。



ねぇいつからですか?
いつから貴方は私の内側で貴方への好意を育て始めたのでしょうか?




王の計画通り、私の中にたまり切った「嬉しい」が
彼への「すき」に変化を遂げてしまったと気付いた今はもう、時すでに遅かったようで…




「カルラさん、すき」




ほら、彼の思惑通り
私から愛の言葉を紡ぐ羽目になってしまった。




恐らく初めに愛し始めたのは貴方だと言うのに
なんてずるいひと。




けれどこんな計画を立てるほどまでに
私を愛してくれたことも正直嬉しくて嬉しくてしかたがない。




ああ、ホラ…また




彼にもらった「嬉しい」がひとつ、
彼への「すき」に変わってしまった。




ふわり、




私の言葉を聞いた彼の表情が
今まで見たこともないような幸せなものへとなったのを
私は恐らく一生忘れることは、ないだろう。



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