染まる月


「嗚呼、花子…今日も悪くないんじゃない?それ、」



「ホント?えへへ…嬉しい」




俺の上っ面の言葉に心底嬉しそうな顔をして微笑むソレに
一応俺も合わせて微笑みを作る。
こんな言葉だけで中の血がうまくなるんだから人間と言うものは酷く簡単に出来ているのだなとホント呆れてものも言えない。




「ほら、こっち来なよ……いつもみたいにシてやる」



「あ………シュウ、」




少し強引に腕を引っ張っえば赤くなる頬に唾を吐き捨てたくなるけれど
そんな事してみろ、今まで散々薄っぺらでそれでいて吐き気がする甘い言葉を態度で熟成してきた血が一気に不味くなる。
…そう、こうやって少し強引にされるのも彼女がこういうのが好きだからしてやっているだけ。
俺は正直どうでもいい。




彼女の…花子の血は他の人間に比べて少しばかり美味くて、
それでいて彼女はどうやら俺に惚れているらしくこうして自分から近付いてくるので
出来れば一歩も動きたくない俺にとっては最高の歩く餌だ。




「嗚呼、乱れちまったな…髪…“可愛かったのに”」



「しゅ、シュウが乱れさせるなら…別にいいよ、」



「そ………?ん、“イイコ”」




彼女好みの深くて激しいキスをくれてやれば少しばかり乱れた先程褒めてやったソレ。
けれど彼女は俺の腕の中で更に頬を赤くして馬鹿な言葉を並べるけれど
その言葉と同時に中の血の香りが芳醇になったので俺は口角を上げてもう一度その唇にキスをした。




どうせよって来る都合のいい餌ならもっと美味い方がいい





たったそれだけの理由でこうして
彼女が喜ぶであろう言葉をくれてやり
彼女が笑うであろう態度を取り
彼女が悦ぶであろう行為を刻んでいく




こんなの本音を言えばこれだけでもめんどくさいけれど
花子が俺のもとに現れてからできるだけ動かずに血も吸えるので
必要最低限の事と考えて彼女を表面的に甘やかしている。




「(別にこんな奴……可愛いともイイコだとも思ってないけどな)」



胸の内で小さく毒を吐き捨てながらも表情は甘い笑みを浮かべる。
花子はそんな俺を見てその馬鹿な瞳をうっとりと潤ませるからもう笑いが止まらない。




「シュウ…?」



「ん?嗚呼、花子がカワイクテ…つい」




くつくつと声を漏らしてしまった俺に首を傾げて覗き込んでくる餌に曖昧な台詞を投げかけて
もうこれ以上は考えるなと至る所に唇を落とすとくすぐったそうに身を捩ってまた嬉しそうに微笑んだ。




全く……アンタは最高の馬鹿だな。




「シュウ、シュウ……」



「ん……?なぁに?花子」




彼女の血がまた今日も美味くなるようにと
彼女の望むように甘やかし、甘い態度をとってやっていれば何かを伝えようと唇を動かす花子…
いつものように上っ面だけ柔らかく微笑んでみれば投げかけられた最高に愚かしい言葉がひとつ




「あいしてる」



「……………、」





うっとりとしたそんな瞳と声でそういわれてしまって思わず表情も体もビシリと固めてしまった。
コイツは一体何を言っているんだ?
……愛してる?
誰を?
俺を?




「………シュウ?」



「…………ごめん花子、花子が可愛すぎて無理…ちょとトイレ」




俺の名を呼ぶ声に正気を取り戻して
またもう一度笑みを作り下世話な言葉を口にして部屋を出た。
向かう場所は彼女に告げた所だが用途は全くの別物だ。





「……っっ……ぅ、……ぇ、う…」



惨めにもそこで何度もえづいて胃の中の物を吐き出してえづいてを繰り返す。
気持ち悪い……キモチワルイ、
あいつ何言いだすんだ急に。



胃の中の物をすべて吐き出して、それでも嫌悪感は拭い切れずに胃液さえ吐ききってようやく肩で息をしながら自身を落ち着ける。
なんだあの餌……最高に気持ちが悪い。





「あー……キモ、」



洗面所に移動した俺の表情は疲弊してしまっていて
まさにぐったりと言う言葉が似合うものとなっていて、ひとつ大きくて長い溜息を吐いてしまった。




花子が起こした勘違いと思い上がりが未だに全て吐き出したはずの胃に渦巻いてどうしても不快で仕方がない。





只中の血の味をもっと美味くするだけに取ってきた行動なのに
あの餌はどうやら自身が俺に“愛されている”と勘違いしたようで先程のような言葉を紡いだらしいが…
正直俺は餌ごときに愛なんてくれてやる気は微塵もない。




「…結構うまかったのにな、花子」




小さく呟いたその言葉。
それは彼女の終わりを意味するもので…
自信を役割を忘れ、思い上がり勘違いした餌なんて幾らうまくても傍に置いておく気なんて更々ない。




「さて、最後の食事に行こう…」




小さく息を吐き、気持ちを切り替えて鏡を見つめる。
嗚呼、この歪んだ顔が花子の見る最期の俺の顔になるのだと思うと笑いが止まらない。




「あいしてる…?は、よくそんな気色悪い言葉が出たな花子」




部屋に戻る廊下で彼女を嗤えば普段より強い月の光に俺の口角は先ほどよりも酷く上がってしまう。
嗚呼、今宵は満月…餌の体から血を吸い尽すのに絶好の日だ。




「花子、いや……餌。さよならだ。」




餌の待つ部屋の扉に手を掛けて静かにひとり、さよならの言葉を口にする。
思い上がりの勘違い女はとっとと俺に吸われつくして消えればいい。




「愛なんて…………餌のクセに生意気なんだよ」




俺さえそれに正しく触れたことがないというのに
餌の分際で思い上がりの上に軽々しく紡ぐ馬鹿にどうしようもない感情が渦巻く。
嗚呼、俺は感情に波風は立てたくないのに全く…




じわり



俺の戻りを嬉しそうに笑顔で迎える彼女を見つめ、
白く柔らかに光っていた月が静かに深紅に染まっていく様をこの胸に湧き出る感情…殺意みたいだとくつりと笑い…




そっと最期になるであろう彼女の暖かな体を引き寄せ牙を深く深く埋め込んだ。



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