気持ちが悪くて、思わず逃げた。エリオットの引き留める声がしたけれど、それに応える余裕なんてなくて。吐きそうだと思いながら飛び込んだのは自室で、急いでドアを閉め、慣れた景色に息を吐いた。トイレに行けばよかっただろうかと思うも、この広い屋敷ではすぐに行けるような距離ではない。ベッドに崩れるように横たわり、数回深呼吸をする。精神的疲労からだったからか、吐き気は比較的すぐに落ち着いた。それでも、枕に顔を埋めながら小さく呻く。

「気持ち悪い……」

それは、何に対してなのか。そんなこと、考えずともわかる。エリオットに酷い言葉をぶつけてしまった自覚はあるし、本当なら言うべきではなかったこともわかっていた。否定されてばかりで苦しかったけれど、それはきっと僕の“業”なのだから一人で抱えるべきだったのだ。それが、エリオットがあんなことをするから。僕を、撫でたりするから。

「また、人のせいにして」

自分は悪くないと、心のどこかで言い訳をする。わからない周りが悪い。否定するみんなが悪い。ずっと泣いてばかりだと思いながらも堪えられず、枕が濡れていく。鼻を啜る音がやけに部屋に響き、思わず笑みが零れた。
そうだ、僕が悪いんだ。全部、ぜんぶ、僕が悪い。僕の行いは間違っていた。だから誰も、僕を認めてくれないんだ。僕のしてきたことを、全て否定するんだ。

「もう、やだ……っ」

シーツを握り、身体を丸める。未来なんてわからない、先駆者もいない世界。切りひらいたのは、僕と『バスカヴィルの民』達だった。今までの関係性を変えるべきだと決めたのは他でもない僕だったから、暗闇の中をみんなと支え合って道を進んでいった。アヴィスの核とバスカヴィルの関係は危ういバランスの上で成り立っていると嫌でもわかってしまって、それがより僕の原動力となった。オズ君達が残してくれた世界を救うために、エリオットが生きた世界の為に、誰よりも尽力したつもりだった。けれど、ならばどうしてこの世界に生まれ落ちてしまったんだろう。みんなよりもずっと早くに思い出したのは、頑張りが足りなかったからなのだろうか。

『おまえはやり直すべきだ。何も成し遂げてなんていないから、もう一度』

そう言われているような気がして、またあの日々を繰り返すのかと、独りで泣いたのを思い出す。暗闇の中を手探りで進むのは、とても怖かった。けれど、オズ君達が命がけで守ってくれた世界を、なんとしてでも良くしたかったから止まることはしなかった。それが間違っているとしても、止まるわけにはいかなかったから。正解に辿り着くためには、間違うことも必要だ。失敗は成功の母と言ったのは、かの有名な発明王だ。今ではとても有名になった言葉。それは、僕にも当てはまるのだろうか。当てはまってくれるのだろうか。
頑張った筈だった。出来る限りのことをしたつもりだった。でも、正解も不正解も、誰もなにも言ってくれない。先がわからなくて、戻る道もわからなくなって、もう自分がどこにいるのかさえもぐちゃぐちゃで。みんなが、特にエリオットが僕を否定するのだから、辿ってきた道も否定されるのが当然なのかもしれない。なんて怖いことなのだろう、まるで昔みたいだ。温かい場所を知る前の、全てを否定されてきたあの頃のような。

「僕がすることは、いけないことなのかなあ。だからみんな、僕を責めるのかなあ」

エリオットも、ギルバートも、オズ君だって。誰も僕をわかってくれない。僕の言うことを、受け入れてくれない。今度こそ正解に辿り着きたいのに、一体なにをすれば良いのか、もうわからなくなってしまった。そもそも僕は、本当にそれを望んでいるのだろうか。正解を、求めているのだろうか。

「リーオ様。」

不意に控えめな声がし、視線だけを向ける。今もヴィンセントの従者をしているエコーが、表情を変えることなく僕を見ていた。返事をせずにいる僕に、それでも気にすることなく口を開く。

「暗闇は、怖いですか。」
「……うん、とっても」

何も見えない空間、先頭で走るのはとても怖かった。合っているのか間違っているのか、進んでいる方向は歪んでいないのか。僕がしていることは正しいことなのかわからないことへの恐怖。大間違いだと、誰かが嗤う声がする。耳を塞ごうとした手を、数多の手が掴み許してくれない。目を閉じることだって、出来やしなかった。

「明るい場所を、求めているのですか。」
「そうだよ」

傍にいてほしい、手を握っていてほしい、共に笑い合ってほしい。温かくて、明るくて、優しい場所に行きたい。存在が許される場所が欲しい。全てが認められる、そんな世界が。そんなのありゃしないと、誰かが嘲笑う。ああ、雑音が混じったような、気持ち声。この物語は、本当に『正しい』のだろうか。
かつ、と音をたて、エコーが部屋に入ってくる。ぼうっと眺めていると、枕元で足を止めた。冷たい瞳が僕を見下ろす。オズ君達が消えた後の世界を知らない筈のこの子は、まるで全てを知っているかのような目をすることがある。怖いと、純粋に思った。

「リーオ様が望んでいるものは、本当にそんなものなのですか。」
「どういう意味?」
「くだらないと、そう言っているのです。」

す、と視線を逸らし、窓の外へとそれを移す。身体を起こそうとすれば、なぜだかエコーに止められた。肩を押され、再びベッドに沈む。

「否定しているのは、誰なのでしょうか。」
「…………」
「あなたは、確かに“グレン様”でした。そして同時に、“リーオ様”でもあったのです。今のあなたが一体どっちなのか、エコーにはわかりません。」

言い、エコーは首を振る。話はここまでだと、そう言っているのだろう。ただの反響音だったエコー。彼女が今まで見てきた景色がわかれば、僕も自分のことがわかるのだろうか。けれど、話は終わってしまった。僕が問う機会は失われた。倦怠感が身体を支配し、指一本動かすことが出来ない。まだまだ弱いと自嘲すれば、エコーが窓を開く音がする。そういえば今日は、眩しいくらいの青空だった。

「もう少しお休みください。冷たいタオルをお持ちします。」
「……ありがとう」
「いえ。それでは失礼します。」

扉が閉まり、気配が遠のいていく。なんとか身体を動かし仰向きで窓の外を見て、その眩しさに目を閉じた。たくさん泣いたからか、たくさん叫んだからか、酷く喉が渇いている。エコーが帰ってきたら冷たい水を頼もうと思いながら、僕は今度こそと耳を塞いだ。