教育的指導



 カイナッツォは昔取った杵柄で人間の文字なんて余裕で読めちゃうし、ルビカンテやスカルミリョーネもやる気を出せば吸収力はすごい。
 だから私と同じペースで、一緒にゆっくり勉強してくれるのはバルバリシア様だけだったんだ。
 でもバルバリシア様の集中力がそんなに長く持たないのも分かってた。どうせ近いうちにこうなるんだろうなって、半ば諦めてはいたんだけど。
「魔物の筆頭たるあたしが人間ごときの文字を学ぶ必要があるかしら? ユウキには悪いけれど、あたしは矜持を捨てる気にはなれないわ」
 そんなもっともらしいこと言われたら無理強いできない。でも顔に本音が書いてあったよ。「勉強ヤダ、めんどくさいわ」って。
 結局、予想してたよりもずっと早い段階で、机にかじりついて勉強するのは私一人になってしまった。

 ああ、モチベーションが維持できない。がんばる理由がないんだもんな。
 なまじっか話し言葉が通じちゃうから「覚えなきゃ!」って切迫感がないんだ。字が読めなくても困らないんだもん。
 どうせなら文字も自動翻訳されるようにしてくれたらよかったのに。ゼムスのばーか。

 先生役をやるのは基本的にカイナッツォだ。一番人間の文化に詳しいからというのが建前で、ずっと家にいるし、一番暇そうだから。
 ルビカンテでもいいんだけど、やる気がないカイナッツォのほうが私もサボりやすいし。ってこういう甘えがいけないんだよね。
「真面目にやろっと」
 まだミシディアの子供たちが勉強を始める初期段階に使うような本が私の教材。読みたいと思える内容の本を読むレベルには程遠い。

 机に向かって勉強してる雰囲気だけを醸し出す私を見ながら、カイナッツォが心底めんどくさそうにぼやいた。
「文字なんぞ書けなくたって困らねえだろうに。無駄な苦労してんなぁ」
「困ってはないけど、書けたらもっと便利だもん。お金にもなるし」
「金になるようなもん書けんのかよ」
「書けるよ。あっちの世界の物語を本にできたら大儲けだよー」
 っても私は小説なんて書けないから他人の著作をかいつまんで抜き出して、吟遊詩人や役者や作家に売るんだけど。
 私が売るのは話の種だけ。クオリティを上げて面白い語り草にするのはプロがやってくれればいい。

 言っちゃえば泥棒だ。この世界には被害者がいないんだし、べつにいいよね。
 元の話と違ってても解釈がおかしくても誰に文句を言われるわけでもない。時代考証だって必要ない。こっちから見れば私の世界のぜーんぶファンタジー。
「童話もホラーも恋愛ドラマもアドベンチャーも、歴史とかエッセイだって、漫画やお笑いだってゲームだって、アイデアだけなら無限に出せちゃうよ」
「薄利多売っつーんだろ、そういうの」
「あっちの言葉使わないでよー」
 私の頭ん中覗いて向こう独特の概念も理解できちゃうカイナッツォが書いてくれたら簡単なのになぁ。

 お金、お金、何はなくともお金。そのことしか考えてないわけじゃないけど、結局のところ今も守られてる立場の私には他に心配事もなくって。暇を潰すにもお金がほしいの。
「今まで金なんか必要なかったじゃねえか」
「ゾットの塔にいた頃とは違うよ。もう必要なものは殺して奪っちゃえってわけにはいかないんだから。人間でいるためには人間らしく生きなきゃ」
「つくづくめんどくせぇ生き物だぜ」
 どっかに遊びに行ったり、ちょっと贅沢したり、一緒に買い物したり、ごはん食べたり。前はお金があってもできなかったこと、今はお金さえあればできるんだ。
 じゃあ、稼ぐっきゃないでしょ? それにゴルベーザの老後のために貯金もしないとね。

 相変わらずめんどくさそうではあるけど、カイナッツォが少しだけやる気になった。なんだかんだ言ってもゴルベーザのためなら協力してくれるんだ。
「うんうん、腐ってもゴルベーザ四天王」
「誰が腐ってるって? スカルミリョーネじゃあるまいし。あー、そんじゃまあ」
 私の手からぺらぺらの教材を取り上げて、代わりにカイナッツォが差し出してきたもの。これ祈りの館で見たことあるなぁ。魔道士さんたちが使う本格的な魔法の解説書だ。……ん?
「十秒やる。最初のページを暗記しろ」
「へっ!?」
「いーち、にーい」
 ちょっと待って! って言う間も惜しんでページを開く。最初最初、えーと、えーと。

 この、けん、研究を……私、の……せんせい、に? 我が教師? 名前が読めない……に捧ぐ。
 あ、これ献辞だ。文量少なくて楽だけどカイナッツォがこんなので許してくれるわけないからここじゃない。次は、ああ目次だ、違う違う、最初のページってどこ!
「は? 文字びっちりなんですけど」
 専門用語すぎて読むだけでも難しい。なんでこんな中途半端に英語っぽい文字なのかな、向こうの知識とごっちゃになって混乱させられる。
「九、十っと」
「ギャアアア! 待ってえ!」
 情けない悲鳴をするっと無視して真っ白な紙切れが私の前に置かれた。
「書け」
 うー。私のほうが視点は高いのに圧倒されるのが納得いかない。

 とりあえずカイナッツォが怖いから、白紙に向かって唸ってみる。単語だけなら拾い読みできたし、前後の流れでなんとなくの内容は分かる。
 でも……書けって言われるとまた別問題なんだってば。
「えー、あー……うーん。……はい」
 あんなに文字びっちりだったのに、二行くらいしか書けません。でも書いた部分は結構いけてるんじゃない? そんなことない?
 うぅ、もうダメ、全然ダメ! 辞書も教科書もなくって先生はカイナッツォ、背中を押してくれるのは自分のやる気だけ。勉強に大事なものがなんにもない。
 環境が悪いよ、環境が!

 すかすかの答案用紙を見てカイナッツォの視線が鋭くなる。
「一文字も合ってねえ」
「あはは、まっさかぁ」
「しかも字が汚え」
「それはこの際いいじゃん!」
 大体いきなりすぎだし時間も短すぎだし、あの一瞬で覚えて二行書けただけでもすごくない? 一文字も合ってなかったとしても。
 という抗議の声をかき消すように、氷の塊が頭に落ちてきた。むうっ、痛いって言葉では全然言い足りない痛さ。
「なあ、ユウキ。お前はつまり、追い込まれなきゃ全力が出せねえんだよなぁ?」
 なにそのやけに優しい笑顔。すごい怖いからやめてほしい。

 背筋がヒヤッとした。今すぐにも私を貫ける鋭い切っ先、氷の刃が背中にくっついてる。
「一度串刺しになってみりゃ、やる気も出るだろ」
「や、やだなー。本気じゃないくせに」
「そう思いたきゃ思えよ」
 だってもう、仲間とか友達とか家族とか、そういう言葉をカイナッツォは絶対に認めないだろうけど実質そうじゃん。おふざけじゃれ合いならともかく、敵に向けるような本気の“攻撃”はしないって。
 そんな期待を私が勝手に抱いてるだけ。仲間だから傷つけないなんて人間的な価値観だ。
 カイナッツォは魔物。そこらの野原で生まれて暴れて野垂れ死ぬような下等なのじゃなくって、他の魔物を使役できる、人間を圧倒して支配できるくらいの、残虐非道になれるだけの強さを持った魔物なのに。

「傷つけちゃならねえ人間を甚振るのは、さぞ楽しかろうなァ」
「殺したら、怒られるよ?」
 いや怒られるだけで済むの、って自分で言ってへこんじゃった。
「間違えるたびに殺されそうになってりゃ嫌でも覚えるだろうよ」
「そんな何度も殺されそうになるほどHP無いですぅー」
「心配するな。俺は誰かと違って回復魔法も得意だからな」
 半殺しを超えて八割くらい殺される。ほんとには死んじゃわない程度に何度も殺される!

 でもさ、そりゃ命の危機を感じれば必死になるし、カイナッツォの言い分にも一理あるかもしれないけどね? それただの暗記だもん。字の読み書きができるようになるわけじゃないもん。
「一冊まるごと暗記できても、意味ないじゃん」
「意味がないかどうか、まるごと暗記できてから言うことだよなぁ」
「確かに!」
 納得させられてどうすんの、私。
「おら、次のページだ」
「平然と話進めないで」

 もし日本語だったら画数ばっか多い見たこともない漢字が多用されてそうな専門書。一応、『難しいことが書かれてる』ってことくらいは理解できる。うへ、眺めてるだけで頭痛くなってきたー……。
 集中が切れてふっと気を抜いた瞬間、本能的にその場から飛び退いた。私が座ってたところに氷が突き刺さってる。
「死んでる! 一秒遅かったら死んでた!」
「チッ、勘のいいやつだな」
 脳天めがけて次々と氷が降ってきた。
 っていうかまだ答えてすらいないのに間違いのお仕置きが飛んでくるのはずるくない? ひどいよ。まず読めないんだからどうせ答えも間違えるんだけどね!

「あのね、もっとバカになっちゃうから頭はやめて」
「安心しろ。それ以上悪くなりようがねえ」
「ムカつく!!」
 投げ出してた本を拾って、再挑戦。……うん、なーんも読めない。
「せんせー、さっぱり分かりません」
 今までで一番でっかいブリザド、これは笑い事じゃ済まないなって音。たぶん私の頭が割れた。思わず両手で頭を押さえる。あ、よかった、まだ割れてない。
 あれ、こんなに痛いわりにはコブとかできてないんだ。カイナッツォの魔法くらってるのに。
「一応、手加減してくれてるの?」
「すぐ死んだら面白くねえだろ」
 うーん、さすが壁で押し潰してくるだけのことはある。ゆっくり死ねってことだね。

「とにかく読み上げてみろ。間違えるごとに殴って教えてやるから」
「わぁ、やっさしー」
 とても紳士的なカイナッツォさんを睨みつつ、もう一度ページを開いてみる。目がチカチカするよう。せめてもっと柔らかい、易しい表現の文章だったらいいのに。
「……とは、に、して、であり、が、には」
「暗号化すんじゃねえ」
「もうちょい簡単なとこから始めようよ、絵本とか」
「甘ったれるな。ちんたらやっても長引くだけだろうが。めんどくせぇことは手の届かねえところから先に終わらせんだよ」
「死ななきゃ届かないくらい遠いんですけど」
「じゃあ死ね」
 あー! あー! 泣いちゃおっかな、もう!

 でもほんと、切羽詰まってないからがんばれてない自覚はあるんだよね。死の恐怖で追い込もうとするカイナッツォのやり方は、私のことをよく分かってる。
 口でどう言ったって、遠慮なしに叩きのめされたって、やっぱり本気で殺されることはないって信じる。信じられる。離れたくないと思ってるのは私だけじゃないもん。
 もし、何かの手違いでうっかり死んじゃったとしても大丈夫。
「死んだら連れ戻してまた殺してやるよ」
「……うん」
 うん。それならいい。なんて思っちゃうんだからもう、死ななきゃ治らないところまできてるんだ。



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