水飴のマーチ(三蔵)


今年の夏はどうもぱっとしない天気が続いている。
まだ8月だというのに朝がとんでもなく寒かったり、しとしとと梅雨のように雨が降り続いたり。
暑いのは得意ではないけれど、晴れてほしかったな、と思うことはある。
例えばこんな――夏祭りの日、なんかは。

「……止まない、ですね」

マンションの高層階から見る夕方の街は白く煙っていて、一見霧のようにも見える。
けれど窓を開けるとぶわりと流れ込む空気に感じるのは、雨。

「除湿かけてる意味ねぇだろうが」

先程から半刻おきに窓を開けたり閉めたりしている光織に、ばさりと新聞を折った三蔵が不機嫌そうに声をかけた。
彼は雨も湿気も暑さも嫌いだ。――即ち、夏が。

「だって」

かちゃり、と音を立ててロックをかけ、光織は窓に寄り掛かる。
空調のドライ機能が万遍なく行き届いた室内はとても快適だ。

「お祭り、行きたかったんですもん」
「くだらねぇ」

ほとんど反射のように、そう彼女の言葉を両断しておきながらもふと考えた。
どこかに行きたい、だなんて珍しい。いつも遠慮ばかりだから。
少し不貞腐れたように俯いて、窓硝子越しに外の世界を指でなぞる光織の後ろ姿に、少しだけ何とも言えない気持ちが浮かんだ。
そんな風に口を尖らせる、それほど大切なことなのだろうか。
それは甘やかな理由であったりするのだろうか。例えば、三蔵と行きたかったから、とか、そういう。

(絶対にくだらねぇ理由だ)

そう自身に言い聞かせながら、咳払いをする。少しだけ光織の答えに期待しているのをごまかすように。

「……そんなに行きたがる理由でもあんのか」
「まぁ、その、……行ったことないので、色々調べたりして、少し楽しみにしてたので」
「楽しい想像だけにとどめておけ。お前が思ってるほど楽しいもんじゃねぇ」
「そうかもしれないですけど、どうしても」

言うのが躊躇われるのか、光織は三蔵の顔色を窺う。

「あんずあめ、が、食べてみたくて」








「っ、すごい」

人、いっぱいですね!と光織が目を丸くする。
小雨が鬱陶しい縁日会場は、色とりどりの傘と浴衣と露天で溢れていた。
よくもまぁ傘をさしてまでこれだけ集まるもんだ。暇なのかと毒づきそうになった三蔵は、己もその暇人にカウントされるのかと片手で目元を押さえる。ぴーぴードンドンと賑やかな祭囃子さえ癪に障る。彼は夏も祭りも好きではない。

光織の夏祭りに行きたい理由がとんでもなくくだらなく、しかし聞いてしまったからには連れていった方がいいのかと――否、とっととその飴菓子を買い与えれば溜め息も窓の開け閉めを伴う天候チェックもなくなるのではと思い連れてきたまでだ。
もっとも、三蔵は縁日をやっている場所が自宅から歩いて行ける範囲ということも知らなかったので、うきうきと傘をさす光織の後ろについてきただけだが。

そこで「一人で行ってこい」と言えない辺りが何とかの弱みというもの。
どうせこのほにゃほにゃした世間知らずが一人で出かければ何かしらの面倒ごとに巻き込まれるに決まっている。それを保護者として監視も兼ねて――そう言い訳を連ねていた思考は、くんっ、と引かれた腕に中断された。

「……すごい……」

あんずあめ、と書かれた褪せた赤色の幕の下には、ライトに照らされてきらきらと輝く氷の台座。
丸くくり抜かれたくぼみには鮮やかな色とりどりの水飴と、ぽってりとしたすももやあんず、缶詰のみかんが短く折られた割り箸と共に冷え固まっている。
そんなありふれた屋台のひとつが、それでも光織には新鮮なのだろうか。
瞳を大きく開けて、ぱかりと口を半開きにさせて、食い入るように見つめている。
氷と水飴のきらめきが反射して、細かな光が目の中に散って眩しい。

「――二つくれ」

店主に小銭を渡せば、どれでも好きなものを取っていいと言う。
渡された最中の皮をしげしげと眺める光織に使い方を教えてやろうとすれば、調べたので知ってますと胸を張られて三蔵は口元を僅かに緩ませる。

「わたし、私あんずのがいいです! それ、その透明の……あ、待ってください、どうしよう赤いのもきれい」
「言っとくがどれでも味は同じだぞ」
「ええと、じゃあ赤! 赤いので! 三蔵はどうします?」
「これはすもも一択だろうが」
「あんずあめなのに!?」

珍しくテンション高く頬を上気させて光織がはしゃぐ。
縁日のあんず飴ごときで安いものだと三蔵は思う。

「想像より、ずっときれい」
「とっとと食っちまえ、もう溶け始めてんじゃねぇか」
「もったいなくて……」
「……来年も買ってやるよ」
「!!」

甘やかな理由などなくてもいいのかもしれない。
とりあえずは、このままで。
――丁度、雨も止んだことだ。

「次は何だ、とっとと回るぞ」
「! い、いいんですか」





水飴のマーチ

(どうせなら浴衣とか着たら雰囲気が出ましたかね)
(……それも来年でいいだろ)


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